心の格闘技

私はスルースキルというのを好まない立場の人間である。他人を平気で傷つけてしまう誰でもできてしまう行為だからだ。これは心をえぐる弾丸でさえあると思っている。無視でなく受け流すというのも嘘っぱちだ。自分で無視しているつもりがないだけだ。本当にスルースキルを使っていい対象は人間などの生き物でなく、自身から湧き上がってくる情念に対してであってほしいのだ。文字だけのコミュニケーションではターン制が利くから訓練すれば身につくものだが、リアルの対人関係だとタイムリーだからこれが難しい。受け方を考えてるうちはもう遅い。

この心の格闘技を学べないまま義務教育を受けたり社会に放り出されたりすることが殊に多いので、私達は人間関係に立ち向かう術をスルースキルに委ねざるを得なくなってきてしまっている。賢者は歴史から学びといった言葉もあるので、過去や歴史からその術を学んでそれを正しいと思い込んで使っている人々、そしてそれを見てきた若い人達が、その真似事をしだす。極力、瞬間的な言葉の返し方に注意を払うべきである。

ジャンピングについて少し考えてみよう。まず軽くジャンプしてみてほしい。着地した時の抗力はどれぐらい大きかっただろうか。今度はもう少し高めに跳んでみてほしい。着地した時の抗力は先ほどよりも大きいはずだ。では、着地寸前に足元に瞬時に力を入れてみてほしい。どうだろう、先ほどよりも楽に着地ができたはずである。

これは心にも言える。何かのメッセージを見る前に一度どこか覚悟を決めたように心の姿勢を維持してみてほしい。文章を読み進めるときにも同様に気を張り巡らせながら、最後に安全に着地をするのである。どうだろう? 要はリーディングというのはジャンピングの繰り返しなのだ。ページが土地なら文は山と谷である。

つまり、ジャンピングの位置エネルギーが心の期待に対応しているのである。心は物理学で記述できる部分が確かに存在する。現代では心理学よりは物理学を学んだ方が建設的であるし、心のセラピストから何か学ぶよりは格闘技のテクニックを数理学的に分析する方が効果も大きい。

世界はこのようにできている、と言い放つのもやや傲慢だが、傲慢さに欠けるというのもややつまらぬというものだ。


『心の格闘技』