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フォーランドとアメストリスの思い出

今年に入ってから観た、感想を残しておきたいと思った二つの舞台の感想をまとめました。
メインがハイカステージ、おまけで舞台ハガレンのことを書いています。
どちらかのみ読んでいただいても大丈夫な仕様です。


『HIGH CARD the STAGE – CRACK A HAND』感想

楽しくて、何だかハッピーな気持ちで劇場を後にできる、愛のある作品であったと、半年経った今でもしみじみ思う。

2024年1月、『HIGH CARD the STAGE – CRACK A HAND』(通称・ハイカステージ)を観に行った。

私の感想は、観劇当時の感情を文字に起こして保存しておいて、後から自分で読み返したときに「ああ、この時こんなことを感じていたな」といつでも取り出せるようにしたい、というところが大きい。
なので実は、こうして半年後に感想を書くのは、自分が感想を書く目的からは本来ちょっとズレるのだ。半年の間に忘れてしまったこと、逆に記憶に補正がかかってしまったことがいっぱいある。
それでも、円盤を再生していると、当時の記憶がよみがえってきて、何か残しておきたいと思ったから。円盤が無事に出たのをお祝いする気持ちも込めて、細かいところには触れられていないけれど、書き残しておきたい。


さて、このハイカステージという作品、私と同じ気持ちで劇場に向かった人は決して少なくなかったと思う。
それはつまり「あの『モリミュ』のスタッフとキャストが作る舞台ならば観なければ!」の感情だ。

この感想に辿りつく方ならご存知の方も多いと思うが、モリミュ――ミュージカル『憂国のモリアーティ』という作品を、私はすごくすごく贔屓して愛している。
毎回長文感想を書き続け、「大好き!」を叫びながら追いかけてきた。
原作を大切にしつつも、大胆に分解・再構築して膨らませる鮮やかな脚本。
観客を作品世界に取り込もうとする、意表を突くような演出。
一人残らず高い歌唱力と演技力。
どこを取っても見事さしかない、観る者を夢中にさせる、2.5次元舞台の金字塔とも呼ぶべき極上のミュージカルだった。

そんなモリミュが2023年9月に『Op.5最後の事件』を以て一区切りとなり、私がロスを起こしてモリミュOp.6の幻影を見続けていたところに来たのが、ハイカステージの報だった。
主演のフィンに、モリミュでフレッドを演じた赤澤遼太郎くん。
ウェンディに、ミス・ハドソンを演じた七木奏音ちゃん。
そしてキングに、アルバートの久保田秀敏さん。
さらに脚本があのモリミュを生み出した西森さんで、音楽があのモリミュの音楽を作られたただすけさん。とどめに演出がモリミュでルイスの山本一慶くん。
これだけで「行く!」と即決なところだが、後日発表されたアンサンブルさんの中にモリミュでもお馴染みの永咲さんや竹内さん、若林さんのお名前が見えて、行かないという選択肢はますますなくなった(その他にも、振付のMAMORUさんをはじめ、モリミュに関わってくださったスタッフさんの名前が散見された)。

もう、これは「そういうこと」だ。
制作会社が、モリミュの観客を狙ってきている。
ならばこちらも、それ相応の期待を携えて、観に行こうというものだ。

私はひとまずアニメと、その時点で出ていたコミカライズ1巻を履修してハイカステージに臨んだ。
ワクワクしながら観に行ったハイカステージは、スピーディーだけれども丁寧で、愛があって、キラキラした、2.5次元の面白さが詰まった舞台になっていた。

まず目を引いたのはビジュアルの良さ。
えびも先生の描かれたポップで個性的な愛すべきキャラクター達が、そのまま三次元の人間として立ち現れた、完成度の高い見事なビジュアルだった。
イラストで(もしくはアニメで)見ている分には特に意識しなくても、いざ立体になった姿を改めて見てみると、皆それぞれになかなかド派手な衣装である。しかし、あの派手な衣装をキャスト全員が一欠片の違和感すらなく着こなしていて、さすがの一言に尽きた。あの衣装に「着られている」感がないし、普通に似合っていて、かっこいい。
特にフィンなんて、金髪に黄色スーツでちょっと間違えればガラの悪さが前面に出てきてしまいそうなところを、遼太郎くんが身につけると不思議なくらい品良く(しかしフィンのやんちゃさと弾けるような明るさは纏ったままに)仕上がっていて最高だった。
私は舞台キャスト発表のニュースを見るまで、ハイカードという作品を浅学ながら知らなかったのだが、遼太郎くんのフィンのビジュアルを一目見て「かわいい!」と思ったし、これが間違いなく彼にぴったりの役であろうということを確信した。

2.5次元作品への印象は、最初に発表されたキービジュアルによって大きく左右されるところがあると思う。
最初のビジュアルで、どれだけ心が摑まれるか――原作を知っている場合は、自分の好きなあの作品がどれだけ自分の理想と違わず再現されていると思えるか。また原作を知らず役者さんだけを知っている場合は、「この人がこのキャラを演じたらぴったりだろうな」と直感的に感じられるかどうか。それで観に行くモチベも変わってくる。
第一印象ではピンと来なかったけれど、実際に舞台の上で「動いている姿」を観たら好きになる、ということも往々にしてある。
でもやはり、最初のキービジュアルへの第一印象で「あ、良い!」と思えた舞台は、その時点で好感度が爆上がりなので、実際観に行っても良いところが目につきやすいように、個人的には感じている。
そういう意味で、ハイカステージのビジュアルの良さは、原作を知らず役者さんだけ知っている私から見て理想的なほどの満点だった。
原作ファンの方からも、あのかわいい赤澤フィンや強烈な美を放つ丘山クリスが第一印象から「良い!」と思ってもらえていたらいいなと思う。

そしてハイカステージは、ストーリー展開も巧みだった。
舞台作品の尺に収めるために細かなエピソードは削られていたが、各キャラのいわゆる「お当番回」のエピソードでの出来事がダイジェスト的に入りつつ、それら各回の敵キャラがほんの一瞬だが確かに姿を現し、しかも各メインキャラの紹介も兼ねていて、場面のまとめ方がスマートに感じられた。
一つの場面に二つの意味(原作エピソードダイジェストと観客へのキャラ紹介)を持たせながら展開する、この構成は西森さんの脚本だからこその丁寧さだと思ったし、2.5次元に多く出演し原作を大切にすることの大切さを良く知っている一慶くんだからこその演出だと思った。
エピソードを大きくカットはしていても、要素は残そうとするその塩梅に、「じっくりやることはできないけど、このエピソードがあった上でのお話になっているよ。この物語に欠かせない大切なエピソードだよね」という、原作へのリスペクトと原作ファンへの優しいまなざしが感じられるようだった。

とはいえ特に前半は、かなり駆け足ではあったので、アニメを履修していないと細かいところまで理解するのはちょっと厳しいかも、とは感じた。しかし、ハイカードのメンバーひとりひとりの魅力が、カードの異能バトルという心躍る設定が、観る者に間違いなく伝わってきて、彼らのことを自然と好きになれるパワーを持った展開になっていたと思う。
何より、フィンとクリスがバディとして成長し関係性を築いていく過程が作品を貫く「軸」になっていたので、やや忙しくとも、焦点がぼやけた印象が全くなかった。

……と手放しで褒めているものの、アップルさんやオーウェンが出てこなかったのはちょっと惜しいと思ったのが正直なところではある。特に続編を見据えるならば、アップルさんはどこかに一瞬でも出てきておいてほしい(孤児院再建的な意味で)と個人的に思った。それでも、詰め込みすぎてストーリーがぼやけるのを避けるためには、やはり削れるのはその辺りかなという思いもあり、観客としても悩ましいところだ。
続編があるかどうかは今のところ分からないが、もし作られることになったときは、その辺りがどう補完され物語られていくのだろうと楽しみだ。きっと丁寧に、巧みに、展開してくださるに違いない。

あと、ハイカステージは歌の入り方のバランスが個人的にとても好みだった。
まず舞台オリジナルの2曲。
「歌える」力のあるキャストを集めているので、ミュージカルではないものの歌をしっかり聞かせてくる場面がきっとあるだろうと予想(というより期待)していたが、私は大満足を得た。
1曲目「HIGH CARD」は、フィンとクリスのバディがメインになりながらも、ハイカードのキャラクターたちが自己紹介的に雰囲気の異なるメロディでソロを歌い上げ、軽快なリズムで観客を一気に「ハイカード」という作品の世界へと誘った。各々の信念や性格、特徴が詰め込まれた楽しげな曲で、まさにハイカステージの象徴とも言える一曲になっていたと思う。
私はこの曲の中で、奏音ちゃんがその歌の上手さと安定感を存分に発揮していたのが特に好きだ。ウェンディがラヴピになった途端、歌声までもがガラッと雰囲気を変え、あれだけワードが詰め込まれていて早口なのに、全ての音が明瞭に聞こえる。改めて、素晴らしい技量の持ち主でいらっしゃるのだなと感じた。
ときに、この曲でブギ(ブギウギ)というスタイルが取られたことには、何か特別な狙いがあったのだろうか。もし私が見逃しているどこかで語られていたならば、読みたいのでぜひ教えていただけたら幸いです。

舞台オリジナルのもう1曲は、チェルシーとの追いかけっこのときの歌「Love Connection」。
チェルシー役の明音亜弥ちゃんの芯の通った美声が冴え渡り、1曲目「HIGH CARD」とまた趣の違った、いっそミュージカル的な雰囲気さえ持つ歌である。
オープニング「Trickster」、エンディング「スクワッド!」、そして舞台オリジナル曲「HIGH CARD」ときて、もしあともう1曲歌う場面を作るとすれば、いくつか候補が考えられるが、一番映える場面はやはりここしかあるまい。
(個人的願望を言うならば、クリスがフィンを迎えに行って扉越しに会話する場面なども、歌で表現されたら面白かったかもと思ったりはしたが、ミュージカル的になりすぎるという思いもあり、やはりラヴコネクションで歌うのが最適解だと思う)。
本人たちは真剣なのに、繋いだ手が離れないという状況の引き起こすおかしみが、歌に載ることでより一層コミカルに演出され、面白く印象的なシーンになっていた。

そして、アニメのオープニングとエンディングの2曲。この使い方がまたすごく良かった。

私は本来、アニメ版を持つ作品の場合、舞台のストーリーが展開する中でアニメと同じ曲を使用することに、些か懐疑的なところがある。
アニメが原作の舞台の場合、アニメ曲を使うのは正しいかもしれないけれど、それが元来アニメのために作られた曲である以上、その曲が流れた瞬間、アニメのシーンが浮かんできて、目の前の舞台の光景がぼやけてしまうような気がしてしまうことがあるからだ。
もう少し表現を変えて言うならば、その曲が流れた瞬間に提供される「エモさ」はアニメが作り上げた功績だから、舞台が作り上げる感動は、また別のところにあってほしい。
我ながら意固地な考えだとは思うし、アニメ曲を使う全部の舞台に対してそう思うわけではない。
それでも、感動を作り上げるとき、舞台版には舞台版が独自に生み出したものを見せてくれたら、というわがままな願望がある。
そんな厄介オタクの私であるが、ハイカステージのアニメ曲の使い方には「上手い!」と唸らされた。
アニメ曲をそのまま使うのではなく、舞台版キャストが歌うことで(そしてアレンジも加わって)、その曲を「アニメから輸入し借りてきたもの」ではなく、自分たちのものとして昇華している。単に歌い手を変えただけでなく、そこにちゃんと「舞台版の解釈」が込められているのが、観ていて伝わってきた。
その上でのアニメ曲使用であれば、こんなに舞台に馴染みながらも、原作とのリンクを感じさせる要素として活き、EDのドライブシーン再現という形で原作の「エモさ」を借りつつもそこに寄りかからず、むしろ違った方向に発展させ、舞台オリジナルな感動を生み出すことができるのだ。
目から鱗が落ちるような思いだったし、これまで舞台でのアニメ曲使用と聞いて無条件に難色を示しがちだった己がいかに狭量であったかを知った。
この2曲が舞台オリジナル曲であったなら生み出しえなかった感動――原作アニメへの最大限のリスペクトと舞台なりの曲への解釈が込められているからこその面白さが、あの場にはあった。
そういうところが好ましかったし、純粋に楽しかったなと思う。

あと、ハイカステージは演出も面白く、ハイカードという作品を語るときに誰もがきっと口にする「お洒落な」という形容詞を、舞台上でも最大限に表現しようという意気込みが様々な場所に散りばめられていた。
特に、原作の見せ場でもあるカーチェイス。ピノクルが自動車メーカーということもあり、絶対に外せないし他のアクションへの替えが利かない要素を、移動式の階段を使って表現しているのが面白かった。ちゃんと迫力のあるシーンに仕上がっていて、工夫したなと思うところだった。
そして、役者として彼らと共に演じてきた一慶くんが演出を手掛けているからだろうか、キャストそれぞれの良さが思いがけない形で引き出されていると感じるシーンが多く、どんな風にこの舞台を作り上げたのだろうと想像するのも楽しかった(なので、円盤のメイキングで演出を付けているシーンが思っていたより多く入っていて嬉しい)。
原作へのリスペクトを常に示しながら、舞台ならではの面白さの表現を追求する演出であったと思う。

それと、プロジェクションマッピングの映像がハイカステージは特に綺麗だなと劇場でも思っていたが、円盤だとより美しく見えて、その鮮明さに感動したことも付け加えておきたい。
ヘッダーに設定した舞台セット写真からも、その美術の美しさの一端を感じてもらえるのではないかと思う(※開演前に舞台セット撮影可の舞台でした)。
円盤の話をついでにするなら、ED曲のキャラ別フィーチャリング映像が最高だった。
全景では小さすぎて表情が判然としない、カメラで抜かれていないときの推しのあの動きや表情を、記憶の中にしか残せないなんて……! と嘆かずに済む。
しかも曲の一部ではなく全部入れてくれるのが太っ腹だ。あらゆる円盤でこれがほしいと思った。


最後に、キャストについても、ハイカードのメンバーについてだけほんの少し。
いつも通り、分量の多寡は大いにありますが、どうぞお許しください。

まず、フィンの赤澤遼太郎くん。
私は彼を結構贔屓していて、演技は勿論だが、笑顔の天才的なまでのかわいさをとてもとても愛している。
役者さんとは皆素敵な笑顔がお上手な方々だけれど、その中にあって、透明感があるのに温かみもある見ていて疲れない遼太郎くんの笑顔は群を抜いて素晴らしいと私は常々思っている。あの笑顔を嫌いな人は、きっとそうそういないだろう。
なので、フィンというキャラクターの持つ、周りの人間を自然と明るくしてしまうような性質は、遼太郎くんの特性が最も発揮されるところのひとつだった。観劇直後にX(Twitter)でもちょっと呟いたが、他人にスッと寄り添える優しさや、素直なまっすぐさを演じさせて、こんなにも自然に嵌まってしまう人って、実はなかなかいないのではと思う。自然で、背伸びを感じなくて、でもその等身大の素直さがじんわり人の心を打つ。本当に良い演技を見せてもらった。
しかし、遼太郎くんのフィンは切なげな表情も抜群に良くて、特に過去の真実を知ったときの一幕終わりから二幕最初にかけての、目の奥に哀しみとやるせなさと空っぽの孤独を抱えた、帰る場所が分からない迷子のような表情の上手さには、「ああ、天才の笑顔だけでなく、遼太郎くんのこういう表情ができるところが私は好きなんだ……!」と痺れるように思った。
単純なほどにまっすぐな部分と、何も持たない空虚な孤独を、裏表のようにガラッと切り替えるのではなく、一人の人間が併せ持つものとして、同じ次元でごく自然に見せてくれる。そういうところが好きだった。
一瞬たりとも目が離せないと思わされる、くるくる変わる豊かな表情も素晴らしかった。
マシュステのインタビュー記事であっただろうか、ご自分のことを「筋肉がつきやすい体質」と語っているのを以前読んだが、やはりそういう体質だと、表情筋も特別に発達しやすいのだろうか、などとあさっての方向のことを考えてしまうくらいに表情豊かだ。
本当にぴったりの役だったと思う。観劇中、ずっとずっとフィンのことを目で追っていた。追わずにはいられなかった。
もし続編を全く考えていない作りならば、舞台では黒騎士のことを匂わせない構成に変えることもできたかもしれないと個人的には思っており、黒騎士を映像で出したということは、勿論原作通りの展開ではあるのだけれど、少なからず続編への希望はあると見て良いのかな、と期待している。遼太郎くんのフィンと対峙するティルト役は誰がいいかまで勝手に予想して楽しみにしているくらいに。
歌も演技も、元から好きだったが、ハイカステージを経てより好きになった。またあの黄色いスーツで舞台の中央に立つ彼を観られたらと思う。

そしてフィンのバディであるクリスを演じた丘山晴己さん。
キービジュアル初見時からバチバチに決まっていてクセの強さを感じたが、幕が開いてみると予想以上に最初から最後までクセの強いクリスで、しかしあれだけのクセの強さを出しながらも匂い立つような色男のキャラクターを壊すことなく、華やかな顔立ちと動きで観客の目を攫っていくのは、さすがという一言に尽きる。
ダンスも歌も当然素晴らしく、フィンと遼太郎くんを相棒として支える頼もしい存在だった。
一方で、嘘の仮面で自分を隠した男、という摑みどころのない軽さ、思い詰めて突っ走る危うさがあれほど魅力的に見えたのは、やはり丘山さんの表現力、演技力ゆえだろう。
「スクワッド!」でクリスが「僕を嘘つきにしたくないからさ」と歌った瞬間、この嘘つき男が……! と顔を覆いたくなるほどにヒットを食らった観客は私だけではあるまい。言うまでもないが、これは褒め言葉だ。
もう、何もかもが「ずるい男」なのだ。丘山クリスという存在は。
ものすごく欲望しかないことを言ってしまうのだが、クリスの拷問シーンが舞台になかったのは少しだけ残念だった。残念といっても、不満というわけではなく、「あったら嬉しかったな」くらいの気持ちで。
というのも、「フィンは敵の言葉でクリスのピンチを聞かされるだけだが、観客には実際に捕まっている姿を見せておけば、観ている側のハラハラ感が増すかもしれない」という尤もらしい理由もあるが、さぞや耽美……もとい美しい絵面になっただろうと思うから。
他の人が演じたとしても、きっと格好いいクリス像は出来上がっていたと思う。でもこんなにチャーミングなクリス、丘山さんにしか作れない。
この役を演じたのがこの人で良かった、とは全員に言えることだけれど、クリスは特にそう思った。

レオの石橋弘毅くんは、あのお顔立ちがまずレオにぴったりなのが素晴らしかった。
生意気で偉そうだけれど気品を感じさせて実力がある、しかし年相応の未熟さも残している、というキャラクター。えびも先生の描かれる、目が大きくてきつめの顔立ちの美少年。そういうレオを見事にその身に宿していた。
ヴィジャイの日替わりにあえなく笑わされている姿に、「頑張れ……!」と心の中で声援を送ったのは私だけではないだろう。ああいう部分が良い感じに「隙」になっていて、愛すべきレオだった。
舞台オリジナル(だったはずだと思う)のエド・ノーランとの対決は、アニメで描かれなかったレオの活躍が観られて嬉しかった。アニメにあったレオ誘拐の話が舞台で省略されたのをフォローするような部分もあったと思う。
フィンとのやり取りが伏線となってレオを救う展開が爽快だったし、何より、敵を見据えて毅然と戦う石橋くんのレオの、その瞳の光の強さがたまらなかった。目力のある役者さんだなと思う。

ウェンディの七木奏音ちゃんを初めて知ったのはモリミュであったが、様々な役で観れば観るほど魅力の増していく方だなと毎回思う。
その凛とした可愛らしさが観る者の心を虜にするのは勿論、出てくるどの場面においても安定感があり、彼女がいる場面はいつもホッとできるのに瞬きすら惜しいほどに見逃せないと思わされる。
ウェンディがラヴピに乗っ取られた表現は、アニメだと体つきなどを変えて描写できるが、舞台上で同じことはできない。しかし表情や声の変化、そして姿勢の工夫などもあったのだろう、「刀を抜いた瞬間、さっきまでのウェンディと明らかに違う人格になった」のが舞台上で表現されていて、演出の面白さと奏音ちゃんの演技力が存分に披露されていた。
上でも褒めたが、歌声も素晴らしく、「この人が出ているならこの舞台は面白くなるに違いない」と思わせてくれる役者さんの一人である。
ついでに、下で話題に出しているので混ぜてしまうが、先日観に行った舞台『鋼の錬金術師』でのマリア・ロス役もすごく良かった。理不尽に巻き込まれても、それを嘆いて挫けるのではなく立ち向かっていく芯の強さが奏音ちゃんの佇まいにぴたりと嵌まっていた。
「戦う女」がかっこよく似合う方だと思う。

ヴィジャイの松田岳くんについては、以前私があんステを観て凪砂くんに熱狂した際の記事を読んでいただけたらお分かりかと思うが、観るたびにそこそこ狂わされる程度に好きな役者さんだ。
特にここ数年で、ぐっと色気のある芝居をするようになった。毎回、「この人はこんな芝居もできるのか」と新鮮な発見をさせてくれる。
ヴィジャイのような、ちょっと変わり者で真面目ボケしがちなキャラクターを演じたときの親和性と面白さは、もはや他の追随を許さぬレベルだと思う。自由にマイペースに活き活きと舞台の上で生きる姿を見せてくれるのが魅力的なヴィジャイだった。
あんステのときも思ったが、ダンスを見ていると周りより明らかに手数が多く、多分、自分がより美しく見える方法をとてもよくご存知なのだろうと思う。特に、着地したときの足を普通に地面につけるのではなく、踵だけつけて爪先を浮かせている瞬間が私は大好きだ(この説明で伝わるか分からないが、案外伝わるんじゃないかと思っている)。
強い体幹に支えられた伸びやかなダンスを惜しみ無く披露する松田岳くんのすぐ横に丘山さんが並ぶのも、ハイカステージの見どころのひとつだったと言えるだろう。私はフィンのことも観たいのに、ヴィジャイも観たいしクリスも観たくて、でもレオもウェンディも観なければならないし、まるで目が足りなかった。
全員をじっくり観たいと思わせてくれる、魅力的な役者さんの揃った舞台だった。

あとハイカードのメンバーのみと言ったが、キングの久保田秀敏さんについても。
最初の配役発表のときは、ノーマン役だけだと出番はそんなにないはずだし、他にも何か兼役を……? と思っていたが、まさか5役もなさるとは予想外だった。
シュッとしたイケメンの役(具体的にはモリミュのアルバートや薄ミュの土方さん)の印象が強いので、ノーマン役というのにまず驚いたし、リンジーのように穏やかな善性を持つキャラクターは嵌まるだろうと想像できたが、ラッキー・ランチマンのような豪快な役やエド・ノーランという冷酷な役までをも同じ舞台の中で演じ分けてみせたのに、ますます驚いた。
あんなに顔を歪ませても美しい造形だと分かるのがすごいな……とキングが出るたびに思う。
表現の幅の広い役者さんであることを改めて知ることができたし、ついでに勝手なアテレコを許してもらうなら「皆さん見てください、この人はすごいんですよ!」という演出家の声が聞こえてくるような大活躍だった。

演出家といえば、先日発売された一慶くんのフォトブック『Why?』を買った。
もしかしてとは思っていたが、表紙の写真がやはりシアター1010で撮影されたもので、中のエッセイでもハイカステージの話が多く出ており、演出の際に考えていたことや、他の舞台で観るときのあのクレバーな演技がどういう思考回路で作り上げられているかの一端に触れられて、読み物としてとても面白かった。
何より、ハイカステージが一慶くんにとって楽しく思い入れのある作品であったんだなというのが伝わってきたのが、ハイカステージを楽しんだファンとして嬉しかった。そして、写真も言うまでもなく良かった。

「モリミュのチームが作るならば面白くならないわけがないし、信頼できる」という期待を持って観に行ったが、その期待が裏切られなかった。
続編があるかどうかは分からないけれど、あってほしい、あの続きを観たいと思わせてくれる舞台だった。
その報が来るのを楽しみにしていたい。

そして余談と急な宣伝をひとつ。
お察しの方もいるかもしれないが、ハイカステージ観劇当時に感想を書けなかったのは、『ミステリマガジン』に掲載されるミュージカル『憂国のモリアーティ』のアクターズレヴューの原稿を抱えていたからだった。

自分で言うのもあれですが、ハイカステージ感想を書くのを控えて打ち込んだだけのことはあった、と我ながら思う熱量の文章になっているので、モリミュもお好きな方、モリミュを知らないけど興味があるという方は、ぜひご覧いただけたら嬉しいです。役者さんの演じ方から見たモリミュの魅力を語っています。

バックナンバーは在庫がある限り、早川書房様のサイトや書店でもお取り寄せいただけます。


「舞台『鋼の錬金術師』~それぞれの戦場」感想


ハイカステージの感想を書いている間に「舞台『鋼の錬金術師』第二弾~それぞれの戦場」を観に行く機会を得たので、その感想……というよりほんの少しの叫びをおまけで書き留めておきたい。
主にキンブリーの話です。短いです。

第一弾は気になりつつも余裕がなくて見送ってしまった舞台ハガレンに、第二弾にしてようやく行ってきた。
好きな役者さんが勢揃いしているし、石丸さち子先生の手掛ける舞台を生で観てみたいという興味もあったし、それと実のところ、半分くらいは勝吾くんのキンブリー目当てで。

第一弾のときから、原作ファンをも唸らせ夢中にさせるキンブリーが劇場に現れた、という評判は伝え聞いていた。
そして今回、第二弾のチケットも買ったしと思い、いざ遅ればせながら配信で第一弾を観たところ、かなり狂いの強いキンブリーが出てきて、その佇まいの強烈さに私は焦りを覚えてしまった。
――私は原作を十数年前に友人に借りて読んで、その後もう一度通して読み返すことはあったし2018年のハガレン展も行ったが、決して熱心なファンというわけではない。
それでも、二度読んでいるから大筋は知っているし、まあ観ているうちに細かいことは思い出してくるだろう、というくらいの気持ちで配信に臨んでいた。
だが、そんな生ぬるい、以前読んだときはどうしてもエドワードやロイやリザの格好良さばかりに注目してしまった、キンブリーについて覚えていることがあまりにも少ない中途半端なオタクが、気軽に受け取って良いキンブリーであるような気がしなかった。これはいけない、と思った。
ただし、これは私が普段いわゆる「原作厨」な傾向にあるから、オタクとして中途半端な自分を許せないだけで、別に他人にまでこのスタイルを求めるものでは決してない。原作を知らなくても、全然気軽に観に行って、ハガレンも読んでみようかなと思う、それはとっても素敵な連鎖だし、演劇はそのくらい気軽に足を運べるものであっていい。あってほしい。
今回だって、劇場で「やっぱり原作読まなあかんか~」とか「原作って何巻くらいあるの?」とかいう声が休憩中そこかしこで聞こえてきて、嬉しさにマスクの下で一人にんまりした。原作へのリスペクトが溢れる舞台化であったればこそ、原作を知らない人にも原作の魅力が伝わるし、原作への橋渡しができるというものだ。

さて、ようやく話を戻すが、第一弾の配信を観て、己が舞台ハガレンを楽しみ尽くすにはあまりにも浅すぎるオタクであったことを反省した私は、慌ててコミックスを全巻買って読み返した。勿論、キンブリーに大いに注目しつつ。
どんな作品にも多かれ少なかれそういうところはあるが、ハガレンという作品は特に、何歳の頃、どんな社会的立場や状況に置かれているときに読むかによって、注目するキャラクターや作品への印象が大きく変わる作品だと思う。
エドとさほど変わらぬ年齢の少年少女時代に読むのと、就職してロイの年齢も超えてから読むのとでは、主人公たちへの視線がまず違うだろう。年の近い友達のような親しみを覚えつつも、その背中に憧れるヒーローと思うか。挫けず立ち上がるヒーロー性に勇気づけられながらも、庇護すべき年齢の子どもと思うか。
圧倒的に後者である年齢の私だが、今回キンブリーと出会い直して、なぜ私は以前読んだときにこのキャラクターの記憶をちゃんと残していなかったのか! と思ったし、同時に、今出会い直したからこそ、この人のことをこんなに興味深いと感じたのだとも思った。思いを貫き通すことの難しさと、それを美とする在り方を貫くのもまた難しいということを、実感を以て理解できる年齢になってから出会った方が「刺さる」キャラクターだろう(無論、好きな役者さんが演じるという贔屓目も、今回は大いに入ってはいるのだけれど)。
実際に身の回りにいたら関わりたくないと思うに違いない、しかし己の美学を裏切ることのない、外見や能力由来の分かりやすい格好良さとはまた違った魅力――不思議な引力のあるキャラクターだ。それを好きな役者さんが演じるのだ。こんなに幸せなことがあるだろうか?

いざ劇場で観てみると、キンブリーの破壊力は凄まじかった。
私は、勝吾くんは繊細な芝居をする人だと常々思ってきた。明確な言葉にすることのできない、しかし誰もがやるせなく抱えたことのある思いを、共鳴するように掬い上げて昇華する演技を見せてくれる人だなと。
でもキンブリーに関しては、声の張り方も、動作の大きさも、観ていて驚かされるほどに大胆だ。
しかし、その大胆さは決して「大味」という意味ではない。
彼のキンブリーには、華やかで破壊的な大胆さの中に、計算と経験と研鑽と感性に基づいた、観客の視線を捉えて離さない巧妙なまでの緻密さを感じる。
目の動き、手の角度、歩き方。至るところに「キンブリーが今目の前にいるならば、こうであるに違いない」を感じさせられるし、「この人が今、キンブリーその人である」ことを思い知らされる。
その抗いがたいほどの魅力について、観劇後しばし考えているうちに、ふっと頭に浮かんできたことがある。
際立つ大胆さと共存する、説得力に満ちた、しかしハッとするほどの心惹かれる細やかさ。――それはもしかして、「芸術」と人に呼ばれるものが持つ魅力と限りなく同質なのではないだろうか?
……と、ここまで言うとさすがに大げさすぎるだろうか? と少しの照れもあるのだけれど。
だが、おそらく舞台のキンブリーに魅入られた人なら、私の言わんとすることを汲んでくださるのではないかと思う。
鈴木キンブリーは、「芸術」と呼ばれるものが持つのと同じ魔性を持っている。観る者をややもすれば狂わせかねないほどの凄みを全身から放っている。
「演じるのがこの人でなければ、この役はこうはなっていなかった」を感じられるのが私は好きだ。その点、鈴木キンブリーは「他の人が同じことをやったとしてもここまでの狂気は引き出せまい」と確信させてくれる演技を見せてくれた。
佇んでいるときの姿勢や表情、特に地面に手を当ててじっとうずくまりながら戦場の爆発音が手に伝わってくる感触を確かめているようなシーンのキンブリーの一部始終を見届けられて、現地に観に行くことにしておいて、本当に良かったと思った。配信や円盤だとこうはいかない。
そして、急に俗っぽい視点になって主語が大きくなるのを許してほしいのだが、裾の長いマント状の衣装をヒラヒラとはためかせながら美しく捌くキャラを嫌いなオタクはいないから、軍服の前を開けて舞うように動き回るキンブリーには実に心くすぐられたし、「いいいいいい音だ!」と大絶叫した瞬間には、あの場にいた全員が息を呑んだに違いないと思う。
そして、これを嬉しげに挙げてしまうのも何だか謎に後ろめたい気持ちになるのだけれど、「私を護るのがあなた方の仕事でしょう」と言いつつ、盾にした兵士を投げ捨てる直前、その頬辺りにキスを落としたのには、完全にやられてしまった。
「意志を貫く人間が私は好きです」の台詞や、仕事を完璧に遂行することへのこだわりからも、順当に考えるなら「仕事を正しく全うしたものに対して発生する好ましさ」の表れであろうか、と造詣が深くないなりに考えてはみたが、何せ理屈抜きで、脳が一瞬で焼かれるような、破壊力抜群の絵面である。
あのキスは初日にはなく途中から加わった演技らしいと聞いているが(私の覚え違いならすみません)、一体どういう思考プロセスを経てあれが実行され定番化まで至ったものか、下心なく純粋な興味として訊いてみたいような気持ちと、永遠に正解を知らず謎にしたままでいてこそではないかという気持ちが今もせめぎあっている。

また、鈴木キンブリーの、どこか芝居がかったような演技を見せるところも好きだった。
誰もが誰かに隠し事をして、嘘をついて、騙し騙されて、それでも真っ当な心ある人間ならば、本当は全てを明かしてしまえたら、正直であれたら、手を取り合えたらという願いをきっと心のどこかに持ちながら生きている。
しかしキンブリーは、「まともになりたいと願う」のではなく「まともを演じて」いる、常に意識して演技で己を作り上げている人間だ。
そんなキャラクターであるからこそ、役者が「芝居がかった演技」をしたときに映えるし、意味を持つ。きっと、そこまで織り込み済みで作り上げている舞台キンブリーなのだろう。
既に色々な人から100万回言われ尽くしていると思うが、第三弾では白スーツキンブリーを拝めるのが楽しみで仕方ない。絶対ある。ないわけがないと信じている。

また、兼役の話もちょっとだけするならば、グリードのアクションは素早いのに重みがあり、確かな強さを感じさせられたし、あの衣装が反則なくらい似合っていて格好良かった。
そしてバリーの声もすごく良かった。バリーの声は、事前に兼役一覧を見ていたから最初から意識して聞けたものの、もし発表されていなかったら、勝吾くんの声だと途中まで気付かなかったと思う。
戦隊のゲスト怪人の声のような、抜けた感じの愛嬌がありつつも不気味さも備えている、可愛いバリーだった。

あと、他の役者さんについても、ごく一部の方々だけにはなるが、ほんの一言だけ。
まずリザの佃井皆美ちゃん。原作でリザはかなり好きなキャラクターなのだけれど、そのリザを佃井ちゃんが演じると知ったときの私の喜びと期待を、私の「仮面ライダー鎧武」への傾倒をご存知の方なら想像していただけると思う。
もう、観る前から分かる。彼女がやるなら絶対に完璧が約束されているじゃないか。
キリッとしていて、動きが機敏で、強く、凛々しく、バリーが惚れ込むのが分かりすぎるほど分かる。
第一弾のとき、佃井リザを生で見逃したことをとてもとても後悔していたので、今回やっとお目にかかれて本当に嬉しかった。

次にリンの本田くん。リン役をやる方は身軽なアクションのできる役者さんだといいなと思っていたところ、ぴったりの人選だった。
またアクションだけではなく、ランファンたちに語りかける声の調子が、落ち着きと、人に言葉を伝えようとする明確な意思を宿しており、いかにも育ちの良い「若」の身分を感じさせる喋り方だったのがすごく好きだ。

それと、鎧のアルの桜田さん。中に人がいることを忘れさせる、しかし活き活きとした、少年らしい可愛さを動きの端々に感じさせるアルだった。
逆に中に人が入っているマーテルのシーンでの、無理に中から動かされている感のある動きの表現力の素晴らしさときたら。
鎧の頭が取れているシーンの再現では、驚いてオペラグラスでひたすら凝視してしまった。どうやって再現していたのかを桜田さんがX(Twitter)で解説してくださっていたが、あの体勢であれだけ動けていたのが今でも信じられない。

本当は全員分、もっともっと字数をかけて語りたい気持ちはあるのだけれど、今回はあくまでもハイカステージ感想のおまけのつもりで書き始めたので、この辺りで切り上げさせてもらいたい。

代わりに、舞台全体の感想をサラッと語って終わりにしておく。

上でさんざんキンブリーの話ばかりをしてしまったが、原作を履修し直して劇場で観た第二弾、とても良かった!
今回の内容としては、コミックス版でいうと、ざっくり5巻の一部~15巻の辺りまで。
かなり内容が詰め込まれているので、原作を知らないとエピソードの細部が分かりにくいかもと思うところはあったが、原作を知らず舞台だけ観ていても『鋼の錬金術師』という物語が不足なく理解できる作りになっていたのは、見事というほかない。

2.5次元舞台とは、「舞台だけ観ていても分かる」作りであってほしいと私は思っている。そして同時に「原作通りにやりすぎない」ことも重要なんじゃないか、とも。
勿論、原作あっての舞台であるから、原作へのリスペクトは大前提として必要だが、リスペクトとは「原作をそっくりそのままなぞる」ことではなく、原作の「核」となるテーマやメッセージを汲み取って、それを軸に物語を舞台作品として面白い形に変換する――ハガレンらしい言葉を選ぶなら「錬成する」ことではないか、と思う。
その点、舞台ハガレンは石丸先生が「原作コミックスの台詞を全部書き出して、理解、分解し、脚本として再構築した」という旨のことを語っておられるだけあって、原作の台詞がとても大切に、丁寧に、みっしりと詰め込まれ、原作と同じ「核」を持ちながらも、舞台として観やすい流れに整理された、2.5次元舞台のひとつの理想形だったと思う。

取りこぼさぬよう、大切なものを全部詰め込んで。
それでいて、舞台作品として面白く成立するように。
その両立がいかに困難なことであるかは、一観客でしかない私にも分かる。
しかし、その困難な道を諦めない、捨てずに全部舞台の上に持って行こうとする良い意味での欲深さは、いかにもなハガレンらしさではなかろうか?
元の身体に戻ることも、誰かを犠牲にしないことも、どちらも諦めないエドたちのような舞台だと思った。

そして何より、石丸先生の構成によって、第一弾も第二弾も、「次の旅への始まり」で物語が終わり、前を向いて進む勇気に背中を押されながら劇場を後にできる作りになっているのが、舞台ハガレンの素敵なところだ。
観に行く前の自分に、1上乗せされた状態で帰路につける。そして自分もそこにまた1を上乗せしてどこかで誰かに何かを渡せたらと、自然とそう思わせてくれる。大切なものを手渡してくれる、温もりのある舞台だと思う。

次回作もまた、大満足の舞台を見せてくださるに違いない。今からすごく楽しみだ。

おまけで語ってしまうが、今回舞台ハガレンを観るために初めて足を踏み入れたSkyシアターMBSが、すごく良い劇場だった。
JR大阪駅直結で雨が降っていても傘を差さずに行ける(ということはつまり、遠回りにはなるが阪急阪神地下鉄などからも天候に左右されないアクセスが可能ということだ)。
新しいから綺麗なのは勿論のこと、ロビーは採光部が大きく開放感に溢れて広々とし(線路が見下ろせるのがちょっと楽しい)、座席は千鳥状(サイドブロックは違うらしいが見やすい工夫がされていると聞く)。
今回私は2階席に座ったが、手すりが視界を遮らず、もし手すりが視界を遮る場合はクッション貸出があると手すりに掲示されている。階段正面の一段高くなっている手すりは開演前に下げてくれるし、2階からでも舞台が本当に近く見える。
また肝心の音響だが、2階の後方ややサイド寄りセンターブロック席でも、割れることなくほぼすべての音がクリアに届いてきた。
席の横幅はさほど広々というわけでもないが、狭くて不便を感じることは少なくともなかった。
椅子の固さは人によって好みもあろうが、私はわりと座りやすいと思った。
お手洗いは通り抜けタイプで、ドアの上部に空室プレートも付いていて、およそ劇場に求める快適さをほぼ完璧に兼ね備えている劇場であるように思う。
ニュース記事などで「過ごしやすい劇場」を堂々謳うのを見て期待していたが、その期待を裏切らないだけの空間だった。

ただし、新しいゆえに空調設備も良いからだろうか、冷房がめちゃくちゃ寒かった。「寒いので羽織りものがいる」とは事前に観劇した方から聞いていたが、それっていつも言われるやつだし……と油断して薄手のカーディガンとスカーフしか持って行かず、ちょっと後悔した。ステラボール(特に端の方の席)の寒さをご存知の方は、あれを思い浮かべていただいて装備していくといいと思う。
しかし、「空調が効きすぎて寒かった」以外、もっとこうだといいのにと思う不満ポイントが特に思い浮かばなかったので、本当にユーザーの声を拾い上げて、良い劇場を作ってくださったのだなと嬉しくなった。

この7月末には、今回はまだ閉まっていた他のテナントもオープンするし、これからこの劇場でも、たくさんの楽しい思い出を作っていきたい。


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