≪魅力という極上の謎≫よ、どうか続け ~ミュージカル『憂国のモリアーティ』-OP.2 大英帝国の醜聞

コロナ禍未だ収まりきらぬ中、無事に幕を開けた、「ミュージカル『憂国のモリアーティ』Op.2 -大英帝国の醜聞」。通称「モリミュ」。

2019年の第一弾公演から、その圧倒的な歌唱力の高さと、原作を緻密に分解・再構成した脚本、ピアノとバイオリンの生演奏で観客の心を見事に奪っていったモリミュが、さらなる進化を遂げてやって来た。

以下、モリミュ(1も2も両方)と原作(本誌#49のことも少し)のネタバレを含みます。


今回、サブタイトルの「大英帝国の醜聞」を見て「やったー!!」とバンザイしたファンは私だけじゃないし、列車の中でウィリアムとシャーロックが並び立つビジュアルが「二人の探偵」のそれだと察して「嬉しい!!」と狂喜したファンも私だけじゃない、きっと。
さらに追加キャストであり、今後の物語に深くかかわってくるアイリーンとマイクロフトが、大湖さんと根本さんだと発表されて、もう勝利は約束されたも同然だった。
ただしその勝利には「無事に公演できれば」という条件が付く。

演じる方にとっても観る方にとっても、およそ半年ぶりの舞台だったという人が多いのではないか。
私自身、昨年末に観た「カリギュラ」以来、8カ月ぶりの観劇となってしまった。
久々に踏み入れた劇場は、以前と全く変わっていた。

私は舞台が始まる前の客席の潮騒のようなざわめきが、照明が暗くなっていくと同時にスッ……と引いていく瞬間が好きだ。そしてそれと同じくらい、休憩や終演後の、興奮気味の囁きがぶわっと爆発する瞬間も。
しかしそれらは、今やもう過去の光景だ。
今回、感染拡大防止の観点から、客席は一席ずつ間が空いていたし、客席やロビーに至るまで私語は控えるように呼びかけがあった。だから客席は開演前から終演後に至るまで、ずっと静寂に包まれていた。
こんなにも静かで緊張感に溢れた劇場を、私は知らなかった。仕方のないこととはいえ、この静けさを、寂しく思わなかったといえば嘘になる。

だがそこには目には見えぬ、音にもならぬ、「期待」と「ようやく観劇できる喜び」が混ざり合った、観劇前特有のソワソワした空気が間違いなく満ちていたし、来場者数は単純に普段の半分なはずなのに、劇場に響く拍手の大きさは決して普段の半分になっていなかったように感じられた。
何より、舞台上で繰り広げられるお芝居は、以前と何ひとつ変わらない。私たちがこの数カ月で失ってしまった「それまでの日常」が、舞台の上には変わらずあったことに、涙ぐむほど感動してしまった。
もちろん、「それまでの日常」は何の努力もなしにそこにあり続けたわけではない。それを変わらず舞台の上で見せるために、裏で膨大な手間を掛けた人たちがいる。公演関係者のPCR検査にはじまり、稽古場や楽屋など私たちの知り得ない場所でどれほどの工夫と困難があったことか、その全容を想像すらできない。
無事に幕が上がるか分からないし、幕が上がっても千秋楽までやりきれるかどうか分からない。
観客にとっても不安だったが、公演関係者にとってこれほど不安に満ちた開幕は、かつてなかったのではなかろうか。

そんな中、モリミュは無事に初日を迎え、先日東京公演千秋楽の幕を無事下ろした。
大成功を収めるための、絶対必要条件であり同時に最大の難関でもあった「無事に公演できれば」を、クリアしたのである。
残る京都公演を無事に終えればパーフェクトだ。どうか最後まで無事に終えてほしい。


私は元々、『憂国のモリアーティ』原作のファンだ。構成の竹内先生の『ST&RS』が好きだったので、その繋がりで読み始めた。
原作ファンとは面倒くさいもので、「好きな作品が有名になるのは嬉しい」のだが、「有名になってメディアミックスされることに怯える」習性がある。
「原作ファン」と主語が大きいが、好きな作品がメディアミックスされて「うーん……これは私の好きなあの作品と別物だな」となった経験がない人はいないのではないかと思う(素直に生きていたらそんなことはない、拗らせたオタクと一緒にしないでほしい、という方には申し訳ない)。
とかく私は面倒くさいオタクなので、メディアミックスというものには、とりあえず怯える。それが舞台化であれ、アニメ化であれ、ノベライズであれ、コミカライズであれ。好きな原作が別の形に姿を変えると発表されたら、まずは一度「嬉しいけど怖い」と宙を見つめる人間だ。
そんな習性持ちなので、モリミュOp.1のときも、観る前までは正直言って、期待値MAXが100とするなら、かなり低めに設定して、85くらいの期待値で観に行った。
キャストもスタッフも安心信頼できるのだが、憂モリの物語は情報が多いし、やや難解だ。構成をよほど上手くやらないと……と思っていたのだが、劇場でモリミュを浴びた瞬間、期待値を低めに持っていたひねくれた自分を殴りたくなった。
信じられないくらい、面白かったのだ。
歌が上手いし、脚本は丁寧だし、演出は面白い。
歌の上手さは観た人が口を揃えて絶賛するところだが、本当に上手い。こちらの期待とイメージを遥かに良い意味で裏切ってくる。
原作である憂モリと、原典であるシャーロック・ホームズシリーズへの、理解と愛に溢れているのが観客に伝わってくる脚本には、畏敬の念を抱きっぱなしだった。聞きたいと思う台詞がひとつ残らず入っているし、原作では別々の場所にあるエピソードを組み合わせているのに、無理がないどころかごく自然で分かりやすくストーリーが再構築されている。魔法のようだった。
そしてこの作品の肝でもある「劇場型犯罪」を、まさに劇場にいる私たち観客を巻き込んで行なってしまうノアティック号の演出にはゾクッとした。原作の完全再現に留まらず、私たちをただの「観客」から、犯罪卿の犯行の「目撃者」にしてしまった。
――この作品は、スタッフも、キャストも、何もかもがすごいぞ……!
その衝撃をずるずると忘れられずに過ごしていたところに、今回のOp.2が来た。


……と、ここまでが長い前置きで、ようやくOp.2の感想に入るのだが、期待値MAXが100だとするなら、今回の期待値は200用意していった。
それでもまだ足りないかもなと思っていたが、結果から言うと全然足りなかった。
いつか来てくれるであろうOp.3への期待値は、少なくとも500くらいに引き上げて臨みたい。

Op.2は、化け物だった。

何度も繰り返して恐縮だが、とにかく歌が上手い。
そして台詞と歌の境目がごく自然で、お芝居の中で歌が浮かない。
ミュージカルを苦手な人には「いきなり歌い出すノリについていけない」という人も多いと思う。私もわずかにその傾向があるが、モリミュでは歌が始まっても「始まった!」と変に身構えてしまうことがない。歌が台詞の延長線上にある。

そして大事なことだから重ねてしつこく言うのだが、本当に歌が上手い。
全員が、アンサンブル一人一人に至るまで、とにかくよく歌うし、それがことごとく上手い。
「プリンシパルとアンサンブルという言葉で分けるのは嫌だ」とはインタビューなどでも出ていた言葉だが、その言葉に偽りなし。
そんな歌うま集団によるハイレベルなナンバーが並ぶ中でも、特に鈴木勝吾さんの高音の美しさには、前作でも今作でも圧倒された。
濁りのない高音が、青天に響く鐘の音のような明朗たる清々しさをもって力強く耳に届いてくる。しかも高音でありながら、男性らしさを失わない。あくまでものびやかに、堂々と品に溢れ、美しさを湛え、全ての事件の裏で糸を引くウィリアムという人物に相応しく、座組全体の中心となって引っ張っていく力を持つ声だ。
私は原作のウィリアムを、「何を感じているのか分かりにくい人だ」と思っている。彼の理念や思想は事あるごとに表に出てくるのだが、彼が犯罪卿を離れた一人の人間ウィリアムとして何を感じ生きているのかは、おそろしい程に描写されない(だから#49で彼の心情が明かされたとき、大変なショックを受けた)。
鈴木ウィリアムは、そういうところが原作ウィリアムにそっくりだ。
良い意味で、人間としての内面を見せてくれない。容易に近づかせてくれない。捕えさせてくれない。
そういう心惹かれるミステリアスさが、鈴木さんのウィリアムからは感じられるように思う。

そしてそのウィリアムと並び立つ、もう一人の主役・シャーロック。
平野良さんのシャーロックというのは、なぜこうもかっこいいのだろう。
彼は適度な悪人面……と言ったら語弊があるかもしれないが、私が思う憂モリのシャーロック、まさにそのものの姿をしている。
原作である憂モリのシャーロックは決して品が良いわけではなく(やや意識的なものではあるようだが)、人が良さそうなわけでもなく、ワトソンと出会う前の荒れていた頃にいつ戻ってもおかしくない危うさを秘めていて、人付き合いが下手で、謝るのが下手で、人間としてはどうしようもない部類に入るが、芯に正義感を持ち、心優しく、極上の謎に出会うと俄然いきいきとして目をギラつかせながら食らいつく。やさぐれていて凶暴で危険な男の香りと、子供っぽくすら見える身勝手さ――裏返すと純粋さとも呼べるものを矛盾なく併せ持つ、魅力的なキャラクターだ。
そんなシャーロック像を、平野さんは舞台の上で余すところなく体現している。立ち方ひとつ、声の出し方ひとつに至るまで、シャーロックの正解の姿――いや、シャーロックその人なのである。

公式の「ライブ・ディレイ配信+BD/DVD発売告知ダイジェスト映像」にも入っている、
「そのこ『こ』ろの ともし『び』」とか、
「行くぜ犯罪卿 お前のもと『に』」とか、
Op.1の「どんな『あ』りえなさそうなことでも それが真実なんだ それが真実『な』んだ」とか
(※いずれも『』にアクセントを置いたあの歌声を脳内再生してほしい)
の、アクセント部分の発音に微妙に空気が入っていい感じに濁る、激しい感情がこもったクセの強い歌い上げ方をするところが個人的に大好きなのだが(説明が微妙だけど同士には伝わると思っている。ついでに言うならワトソンを「ジョォン」と独特のクセで呼ぶのも好きだ)、もしかしてあのクセの強さは、「誇りを持って敢えてコックニーで話す」という憂モリのシャーロックの設定を意識したものではないか……? とは少々考えすぎだろうか。
しかしインタビューや対談からうかがえる平野さんの研究熱心さを鑑みるに、この推論も決して妄言ではないと思いたい。(※12月追記/アニメージュのインタビューでこの喋り方の件に触れてくださっていましたね。シェイクスピア芝居の技術だとか。すごい……!)

鈴木勝吾のウィリアムと、平野良のシャーロック。好対照な歌声の二人を取り巻くそれぞれの陣営のメンバーも、皆それぞれに「らしい」歌声を披露する。
今回とりわけそれを感じたのは、根本さんのマイクロフトだ。
変なたとえになるのだが、マイクロフトが「誉れ高き祖国」の歌を歌っているとき、ぼんやりと何か思い出されるものがあった。それが何なのかしばらく分からず、ずっと記憶を探っていたのだが、終演後一日経ったとき、ようやく「それ」の正体が分かった。
小学校のときに音楽の授業で見た教材ビデオの、黒タキシードで唱歌を歌うテノール歌手。その姿を思い出していたのだ。
元の映像を知らないと共感してもらいにくい、不親切なたとえであるのは重々承知なのだが、もう二十余年も経つのに未だに覚えているほど印象深かった、礼装で朗々と歌い上げるあの歌手の姿が、根本マイクロフトの佇まいと重なった。つまりは私の中で「隙のない出で立ち」「朗々たる歌声」「絶対的な実力を感じさせる圧倒的存在」というキーワードが見事に一致したのだろう。
今回、マイクロフトが出たおかげで、Op.1ではひたすら自由だったシャーロックの「弟」の顔が見られたのも嬉しいところだ。「女には気を付けろ」の額を指で押さえるシーンの再現度の高さなど、まるで原作から抜け出てきたようだった。
さっきからシャーロックの話が多くて、まるでシャーロックファンのようだが、それもこれも平野シャーロックがかっこよかったせいなのだ。
ついでにもう少しシャーロックの話をするならば、聞き手を置いていかない早口の喋りも、実にシャーロックだなと感じさせてくれて良かった。極限までスピードを巻いているのに、理解しやすいし聞き取りやすい。
紳士らしく貴族らしく、まっすぐ立つキャラクターが多い中で、シャーロックはまっすぐ立つことが少ない。しかしそれが格好悪くは見えず、むしろ魅力の一端となっているところも好きだ。
私はモリミュで初めて平野さんのお芝居を見たが、この人の演技には「この人が演じるなら信頼できる」と思わせるものがあるなと感じた。
モリミュへの感謝と絶賛は尽きないが、平野さんのお芝居に出会わせてくれたという点においても、モリミュは私にとって今後ずっと忘れられない作品になるだろう。


さて、歌の話はそろそろ横に置いて、ストーリーの話をするが、まずはあらすじが出たときに「バスカヴィルをやってくれるの!?」と叫んでしまった。
Op.1のノアティック号がバスカヴィルの代わりになってしまったのかな……と思っていたので、まさか改めてやってくれると思わなかったのだ。
だがこの事件を通して、フレッドがウィリアムに感じていた距離が少し縮まるため、外してほしくないエピソードでもある。(ルイスには穢れのない世界にいてほしいと願うウィリアムと、ウィリアムのいない世界に意味はないというルイスが、互いのエゴをぶつけて心の内を明かし合う重大エピソードも本来バスカヴィルでの出来事なのだが、モリミュではこのくだりをOp.1でやってしまっている。その分、今回のルイスは最初から「兄さんの為に」という一貫性のある動きができていたし、フレッドの葛藤にスポットが当たったので良かった)。
それまで控えめな印象だったルイスに一気に注目するきっかけになった「兄さんの為に上手く焼けた」台詞の前後も印象的に演出されたし、眼鏡を外しての殺陣も鮮やかだった。

「二人の探偵」は主役の二人の貴重な邂逅シーンとして、テンポよく展開していった。
原作の、列車の中でウィリアムを見つけた瞬間のシャーロックの豹変ぶりと、喜びすぎておかしくなっている様子が大好きなのだが、平野シャーロックはそれの完全再現、というより原作より過激にハイになっていて、平野シャーロックへの信頼感が増した。椅子の背もたれをバンバン叩いて、ルイスにすごい目で睨まれていたのなど最高だった。
「Catch me if you can,Mr.Holmes.……とでも申し上げれば~」の後の、先に手が震え出して一拍遅れて笑みが浮かんでくる演技は実にシャーロックらしかったし、ワトソンに謝る(が実際に謝れているとは到底言い難い)シーンも原作に負けず劣らずの微笑ましい不器用さを見せてくれた。なんて細かいところまでキャラクターを作り込んでくれているのだろう。

そしてこの「二人の探偵」パートで何より驚いたのが、列車に乗り合わせたのが偶然ではない、としたところ。そう来るか……! と思った。
バスカヴィルのときも、「アルバート兄さんに処理してもらおう」のような台詞があったが、こういうサラッとした何気ない台詞で、原作のエピソード同士を有機的に繋ぎ合わせ補完するのがモリミュは上手い。
ロリンソンのエピソードの裏に、モランの過去話である「黄金の軍隊を持つ男」エピソードの一端を混ぜたのもそうだ。舞台でやるには難しそうな、しかし外せないエピソードを上手く切り取って混ぜてくる手腕が絶妙なのである。
だが、今回のOp.2に混ざったエピソードでは、モランはまだ過去と決着を付け切れていないようにも思う。これはOp.1で人狩りの話をやってバスカヴィルの代わりとしてしまったかと思ったらOp.2で改めてバスカヴィルをやってくれたように、今回のモランの過去エピソードがOp.3で「黄金の軍隊を持つ男」をやるための布石となっているのでは……? と期待しておきたい。
ついでに言うなら、Op.1のカテコで言及されつつ未だ果たされていないモランの「踊れ踊れ!」もとい「橋の上の踊り子」も、「一人の学生」と混ぜられなくもないのでは? と密かに期待している。ダラム大学周りでの事件ということで、こう、西森さんの神のごとき手腕をもって何とか……。

そして原作でも個人的にとりわけ好きな「大英帝国の醜聞」編。
大湖せしるさんという、宝塚で男役と女役両方をつとめた方がアイリーンを演じるのは、これ以上ない適役だった。
「フォン・クラム伯爵」「アイリーン・アドラー」「ジェームズ・ボンド」それぞれの声を巧みに使い分け、身のこなしもまるで別人のように変化する。
特にフォン・クラム伯爵は、マンガだからできる表現だろうと思っていたのに、まさか舞台でこんなに見事に変装されてしまうとは。そういえばボンドに変わる瞬間のウィッグが、あまりに美しくスパッと切れるのでびっくりした。アイリーン周りは、その再現度の高さに驚かされっぱなしだった。

あとモリミュ名物とも呼べる、原作にない教養ネタ。Op.1ではリチャード三世はじめシェイクスピアネタがいくつか出てきたが、今回はドン・ジョヴァンニ。そしてベラドンナ。
ドン・ジョヴァンニはモリミュ中でも触れられた通りのあらすじで、それを綺麗に憂モリのストーリーの中に嵌め込んでしまったのは見事、いやあまりにもできすぎていてゾッとするレベルの親和性だった。
一方のベラドンナはというと、原典のファンならご存知、『瀕死の探偵』に出てくる、シャーロック・ホームズが瀕死状態を偽装するために使用した毒物である(と偉そうに言っているが私も調べて初めて知った)。
しかもただ小道具として出すだけでなく、花言葉をターゲットへのメッセージとして機能させる鮮やかさ。全てが最初から仕組まれていたかのように、あちこちに散らばっていた別々の要素が絡まり合い、ひとつの旋律を形成していく。
さらにベラドンナのことを検索していて知ったのだが、今回使われたベラドンナの花言葉は「汝を呪う」。しかし花言葉というのはひとつの花に対して大抵複数あるもので、あるサイトで別の花言葉が紹介されているのが目に留まった。
それは「沈黙」。
大英帝国の醜聞における「沈黙」とは、言わずもがな、アルバートのあの台詞。マイクロフトとの取引で放ったあの一言を思い出させる。
ここまで勘繰るのは牽強付会が過ぎるかもしれないが、何重もの意味を持たせられるベラドンナをこのエピソード内で出してきたセンス、尋常ではない。
Op.3があるのなら、次はどんな要素を混ぜてくるのだろう。楽しみに待ち受けておきたい。


あとは、時系列関係なく取り留めのない感想になる。

伴奏がピアノとバイオリンの生演奏、というOp.1のときから続く贅沢。
しかもオーケストラピットではなく舞台上に演奏者がいる。
Op.1でバイオリンとホームズの動きが時々シンクロするのがいいなと思っていたのだが、今回もそういう場面がいくつかあったのが嬉しかった。ホームズと一緒にアイリーンに頭を下げるバイオリンなど、とてもかわいく笑いを誘った。
ピアノは基本的にずっと出ずっぱりで、一瞬たりとも気が抜けず、本当に大変だろうな……と思う。間違いなく一番の功労賞。
仮面舞踏会の「何故演奏を止めるんだ! 続けさせろ!」の台詞の瞬間、それまで見えているけど見えていない黒子のようだったピアノとバイオリンが、仮面舞踏会の楽士に変わってしまったのには、やられた! と思った。
生演奏あっての、演奏者が舞台の一部そしてときに演者の一人になっていてこそのモリミュ。このスタイルはOp.3でも健在であってほしい。

入れてほしい台詞に関しては、「銀行強盗の計画」の相談をフレッドに持ってくる台詞を入れてくれたのがさすが! と思った。これは切り裂きジャック編で「モリアーティ家の使用人たち」をやってくれるフラグではないか。
ボンドとモランの8カウントのシーンは絶対舞台向きだと思っているので、モリミュでぜひ見てみたい。

そういえば非常にピンポイントなところだが、シャーロックが封筒を燃やすシーン、初見で驚かなかった人はいないのではないか。
原作でも確かに燃やしていたが、燃やすにしても、原作通り火をつけてすぐ灰皿にポイッとやるのかと思っていたら、手に持ったまま燃やして、振って火を消している。
綺麗に燃え残っていたので、持ち手周辺に防炎剤的なものを塗っているのかとも思ったが、実際の炎を舞台上で見せられると、視覚効果があまりにも抜群。(後から配信で見てみると、手元の燃え残るところだけ燃えない別素材のように見えた)
シャーロックがアイリーンに別れを告げる、印象的な演出だった。(※12月追記/これもアニメージュで触れてくれていましたね。燃えない箇所を決めてある特殊な紙なのだそうで……。他の部分も聞きたかった話ばかり詰まっていて、アニメージュのインタビュー記事が優秀すぎて拝みました。ライターさんありがとうございます……!)

キャラクターに関しては、今回「ウィリアム(とごく偶にアルバート)以外には微笑みを向けないルイス」が舞台上で見られて、非常に「解釈の一致……!」となった部分だった……のだが、私が見ていた限りでは多分そうだったと思うが、もしかしたらルイスとはそういう人物であってほしいという勝手な願望が見せた幻覚だったかもしれない。円盤が出たら見直さなければならない。
そういえば、どうやら最後の事件編に入った本誌が凄いことになっているようだと察し、ついに本誌に手を出すことになった。
最後の事件編、まだ第二幕なのにつらすぎる。予定されていた決まった結末に計画通り向かっているのだと分かっていても。フレッドもルイスもつらい。何よりあのウィリアムがようやく心の内を語ったかと思えばそれがよりによってあんな台詞だなんていうのがつらい。表情がなお沁みる。
こんなものを読まされて、この先、ライヘンバッハに辿り着くまで読者は息をしていられるのだろうか。
そしてこれがミュージカルになったとき、観客は正気を保てるのだろうか。
狂う準備はしておくので、このキャストとスタッフのままモリミュが続いて、「最後の事件」の最後までやってほしいなと願っている。

上で言及し損ねている全員に詳しく触れると長くなってしまうので、今回は一言ずつで済ませてしまうけれど、アルバートは常に余裕と気品に溢れた完璧な英国紳士だし、モランはフレッドの兄貴分感が強くて頼もしいし、フレッドは一途で優しくて純粋さが滲み出ているし、ワトソンは存在そのものが圧倒的な光で出てきてくれるだけで安心するし、ハドソンさんはシンデレラの歌が最高にキュートだし、レストレード警部はシリアスになりがちなストーリーに上手く笑いをもたらしてくれた。
Op.3ではジャック・レンフィールドやパターソンも出てくるのだろうか。そして、もしかしたらミルヴァートンも。
どんな方がキャスティングされるのか、楽しみでならない。


今回、観劇というこれまで当たり前に享受してきたエンタメが、当たり前ではない世界になってしまったことを、改めて思い知らされた。
それでも、いつまでもこのままだとは思わない。思いたくない。まったく元通りとまではいかずとも、観に行きたい人が当たり前に観に行ける、劇場がそういう場所に戻ればいいと思う。

モリミュOp.1のときの合言葉、≪魅力という極上の謎≫。
それを目撃し続けたい。解き明かすまで、最後まで。
満席に埋まった劇場で、見届けられる日が来ることを信じている。


※(8/15 追記)
投稿当初思っていたより多くの方に読んでいただいているようで、せっかく1万字近く読んでいただいたのに自推しの話が1行しかないと正直がっかりだと思うし、何より私が語りたいので、完全な趣味に走った感想ですが、改めてもうちょっとお話しさせていただきます。
真面目な感想は上で終了で、この下は観劇オタクの趣味と贔屓による感想です。
お暇のある方と自推しが褒められているのを見たい方はどうぞお付き合いください。

【ウィリアム】
私は鈴木勝吾さんを見るたびに、毎回、「私はなぜこの人がこんなに気になるのだろう」と考える。お芝居が上手いから、歌が上手いから。もちろんそれはそうなのだけれど、それ以上に「この人をもっと見ていたい」と思わせるものがある。
多分「華がある」のだと思う。
前に舞台「ちょっと今から仕事やめてくる」を観た時の自分の感想を久々に読み返してみたら、鈴木さんが演じたヤマモトに対して「ミステリアスで心惹かれる」と、今回のウィリアムに対する感想にどこか被るようなことを言っていた。
原作を読んで素性を知っているキャラクターに対して、観客が「ミステリアス」と感じられるのは、役者さんがキャラクターを深く読み込んで、観客に見せる情報をとても意識的にコントロールできているからではないだろうか。こういうところが、鈴木さんの上手さだと思う。
ただの欲望を言うならば、Op.3ではぜひ、ボンドたちの前でお昼寝……ではなかった寝落ちてしまうウィリアムを見たい。

【シャーロック】
上で熱の入った誉め方をしているのでお察しかもしれないが、今回の話で一番好きだ。
憂モリ原作は基本的に全員箱推しなのだけれど、今回はインタビューやゲネ映像を事前に眺めているうちに、「この人ってすごいのでは?」と何を今さらなことを思い、観劇中、一番注目していたのは平野さんかもしれない。
何をしてくるか一番分からないのはこの人だと思うし(特に列車内のあれこれ)、何をされても安心して見ていられるのもこの人だと思う。
あとバイオリンを弾くシーン、こういう吹替(?)というかシャドーというか、演奏のふりをして音は別の人が当てているとき、「ああっ、運弓が合っていない! せっかく良いシーンなのに惜しい!」みたいな気持ちになってしまうことがままあるのだが、平野さんの運弓、本当に弾いているのかとすら思った。信頼度上昇が止まるところを知らない。

【アルバート】
本物の英国貴族というものを生で見たことはないが、分かる。久保田秀敏さんのアルバートの物腰が貴族のそれであることを。きっと前世で貴族だったのだと思う。何ならアルバートだったかもしれない。
犯罪相談役として計画立案をしているのはウィリアムだが、ウィリアムが活動できるのはそもそもアルバートがウィリアムを見出し、陸軍で出世し、MI6を手に入れたからである。卓越した頭脳の非凡さゆえについウィリアムに注目してしまいがちだけれど、アルバートも只者ではない(第一、いくら歪んだ人々とはいえ家族を焼き殺そうという発想は常人のものではない)。
そういう一種の狂気ともいえる潔癖さ、意志の固さ、使えるものをすべて利用するしたたかさ、野心を持つアルバートは、生身の人間が演じたとき、ややもすればいやらしいギラつきが出てしまいそうなところだが、久保田アルバートには良い意味で、そういう生身っぽさがない。人を警戒させるもの、反発を感じさせるもの、隙となるものを、微笑みと優雅な振る舞いの中に冷静に閉じ込めて外に見せようとしない。
しかし、マイクロフトからの文書奪還指令が下るシーンや、アイリーンとの取引では、そんなアルバートがここぞとばかりに、柔らかな微笑みの中に「毒」のようなものを一滴混ぜ込む。このバランスの取り方に、見ていて思わず引き込まれた。

【ルイス】
Op.1のルイスを見たとき、「ルイスとはこんなに美味しいキャラだったか⁉」と思って一気に贔屓度が増したが、今回もルイスはとても良かった。
山本さんのルイスは、「この子はウィリアムをよく見て育ったんだな」と感じるルイスだ。
シャーロックに対して「利用価値が無くなったときは僕が……」などと考えてしまう過激さと、ウィリアムを崇拝するように慕う純粋さ、またそれゆえウィリアムの計画を一番理解しながらウィリアムを失うことをおそれるまっとうな人間らしさ、そして弟らしいかわいらしさを詰め込んだルイスは、「軸」となるものが多く、多面性のある難しいキャラクターかと思うのだが、山本ルイスは場面によって的確にその顔を使い分け、しかもキャラクターのブレを感じさせない。
原作ではサクッと相手を始末してしまっているバスカヴィルでの立ち回りが、モリミュでは見せ場のひとつとなって鋭い殺陣を披露していて、とてもかっこよかった。
あと1幕でのウィリアムへの兄さんソング(で通じると思っている)のとき、わざわざ階段を数段降りて、兄を見上げながら歌うルイス。兄を慕っている感が全身から出ていて、あの立ち位置は大正解中の大正解で印象深かった。
ときにモリミュ感想ではなく私のただの妄想なので恐縮ながら、一人で考えているのに堪えきれず誰かに読んでもらって成仏したいので書くのだが、「ダラムが雨で靴に泥が付いたウィリアム」と「メイドに靴を磨かせるマイクロフト」と「秘密主義ゆえメイドさえ外部の者を雇えないモリアーティ家」という情報を合わせると、列車から降りてロンドンに着いたとき、メイドのいない屋敷でウィリアムの靴を磨いてくれたのはもしやルイスじゃないのかなと思っている。甲斐甲斐しい。

【モラン】
「行こう、俺たちのウィリアムのところへ」で、今なんて言った、俺たちのウィリアム? と驚いて、終演後、思わず原作を見直した。私の聞き違いや妄想でないと信じたい。(※8/16訂正 「行くぞフレッド、俺たちのあいつのとこへ」でしたね)
「俺たちの」という、原作にない一言だが、モランのウィリアムに対する付き合いの長さと強い信頼があの「俺たちの」の一言に詰まっていて、よくぞ追加してくれたと思った。天才の言葉選びだ。
原作のモランはフレッドの「兄貴分」だが、井澤モランはフレッドの「お兄ちゃん」ぽさが強いなと感じた。フレッドの頭をクシャッと撫でる仕草など、行動の端々に、おそらく役者さん持ち前の心優しさが滲み出ているように思う。
上でも書いたが、モランの過去にちょっと触れてはくれたものの、モリミュのモランの心はまだ過去の鎖から自由になりきっていない。難しいとは思うのだが、「黄金の軍隊を持つ男」がモリミュで観られたらよいなと思っている。何より、元は貴族のお家柄なモランが育ちの良さを発揮する貴重な場面が見たい。

【フレッド】
違和感のなさすぎる女装には驚いた。喋らなかったら普通にメイド役のアンサンブルの女の子だと思ったまま終わるところだった。
上でも述べた通り、ルイスがウィリアムと心中を明かし合うエピソードがOp.1に回ったため、モリミュのバスカヴィルでは実質フレッドがメインのようなものだった。
私は赤澤くんのお顔が大好きなのだが(以前別の舞台で観たとき「あの美しい顔の子は誰だ!?」と思った)、モリミュでその思いを強くした。何と言っても目がかわいい。
「俺達の中で唯一ウィリアムに似ているところがある」とモランに言わしめる、誰一人見捨てたくないという優しさ、純粋さに、赤澤くんの瞳はぴったり嵌る。
優しげな歌声もまさにフレッド。
赤澤くんのフレッドで#49を見たいので、Op.4くらいに入るかなと期待している。

【ワトソン】
社会の闇を照らし出すための「光」としての役割を我知らず背負わされたシャーロック。ならばシャーロックが「光」と頼れる存在は? と考えたとき、それは間違いなくワトソンであろう。
鎌苅さんのワトソンはそんな「光」に相応しく、ご本人とも重なるところのある、ひたすら明るく柔らかい雰囲気を湛えており、シャーロックにとってだけでなく、観客にとってもホッとできる存在だ。
ハドソンさんと一緒にシャーロックのどうしようもないところを言い合うシーンでは、あれこれ文句を言いながらも、そのまなざしの優しさにシャーロックへの揺るぎない信頼と憧憬がうかがえた。
どうでもいいことを言うのだが、ワトソンが列車の切符を地面に叩きつけるとき、ただの紙切れと思えない、小気味いい「ペシッ!」という音がしたのは、SEだろうか、それともあの小道具の切符自体がいい音を鳴らす硬めの紙だったのだろうか。
なかなか気持ちのいい叩きつけ方だな、と妙なところで感心してしまった。

【ミス・ハドソン】
Op.1でもかわいさ満点だったが、Op.2ではよりパワーアップしていた。
レストレードと共に、ややコミカルなシーンを担当し、彼女が出てくると舞台がパッと明るくなる。
七木さんの演じる、可憐でチャーミングで、ちょっと気が強いけど優しさに溢れた、元気なハドソンさんが大好きだ。
そしてその歌声たるや、かわいらしさを十二分に含んだ朗らかな高音が、スラーッと気持ちよく冴えわたる。まるで彼女自身がひとつの楽器であるかのように。
シンデレラの歌は、原作でたった2ページほどのシーンが、こんなに尺を取ったハドソンさんの見せ場になるとは思っていなくて、アンサンブルさんとの絡みを含めて今作中でも群を抜いて好きなシーンだった。

【レストレード】
出番の数だけ笑いを取っていくモリミュの癒しキャラだと思っているので、今回はOp.1より出番が増えていて嬉しかった。
敵(いない)に向かって発砲するシーンは笑ってしまった。笑いの取り方が絶妙に上手くて、テンポが良い。
私は原典のレストレードに少々頼りない印象を勝手に持っていたのだが、憂モリの、そしてモリミュのレストレードは出てきてくれると安心する。憂モリ原作に関してはシャーロックの良き理解者ポジションとして描かれているからだと思うし、モリミュに関しては髙木さんの安定した存在感によるところが大きいのだと思う。
いつか「スコットランドヤード狂騒曲」で大奮闘するレストレードをモリミュでも見たい。

【アイリーン】
私は斬劇戦国BASARAの民なので、大湖さんは京極マリア役の印象が強い。
京極マリアの雰囲気からして、アイリーンのお芝居はきっとこんな感じになるだろう、と想像が付いたのだが、男役時代を知らないので、ボンドやフォン・クラム伯爵がどんな風になるかは個人的に未知数だった。それでも宝塚男役らしく、当然かっこよく仕上げてくるのだろうなと思ったら、予想以上だった。
仮面舞踏会のレーヴェニヒ・アルブレヒトの扮装のときなど、「このシーンのどこかでさらっと出てくるはずだから注意して見ておかないと」と思ったのに、名乗り出るまでどこにいるか初見で気付けなかった。完全に出し抜かれた形である。
原作を読んで、「大英帝国の醜聞」編の最初と最後に「Good-night,Mr.Sherlock Holmes.」という同じ台詞が全く違うニュアンスで入っていることに気付いたとき、震えるほど感動したので、その再現がモリミュでもあったのがとても嬉しい。
Op.3では、ボンド姿での活躍がたくさん見られるのを楽しみにしている。

【マイクロフト】
ミュージカル「リボンの騎士」以来に根本さんのお芝居を拝見した。
あのときのナイロン卿役も、歌の上手さが際立っていて素敵! と思った(私の中で根本さんは、中村誠治郎さんの相方で歌の上手い人、という印象が強い)ので、今回マイクロフトが根本さんだと発表されたとき、諸手を上げて喜んだ。
マイクロフトらしいビシッと決まった隙のなさと、祖国への忠誠心を豊かな声量で紡ぎ上げる姿に、魅了されない人はいまい。
ビシッと感が強いのは、根本さんの演技力はもちろんのこと、原作より毛先の細かいハネが少なめな、かっちりした髪型の影響もあると思う。このモリミュマイクロフトの作画が、私はめっぽう好きだ。
根本マイクロフトは、決して態度が高圧的ではないのに、目の前の相手を圧倒してしまう「人の上に立つ者」らしいオーラがある。かと思えば、弟に対しては少年時代から続いているのであろう勝負を仕掛け、圧倒的勝利を収め、ドヤ顔を見せる。根本さんが見せるあの不敵な笑みが大好きだ。
ディオゲネス・クラブでシャーロックに勝ち誇った顔をするマイクロフトもぜひ見てみたい。

以上、蛇足ながら、長文を読んでいただいた方へのおまけ追記でした。
最後までお読みいただきありがとうございます。
Op.3が来たら、きっとまた気合いを入れた感想を書くと思いますので、お暇があればお付き合いくださいませ。

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