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医療現場から見たコロナワクチン摂取


いつかはまとめないといけないと思っていたこの話題。
コロナワクチンの摂取開始からまもなく3年が経とうとしている。
打つか、打たないか、の分かれ道の先に見えてきたものを
ここにまとめようと思う。

私はキリスト教系の病院で働いている。
その為、環境的にクリスチャンが多い職場である。
コロナが始まってから何故かこの職場に導かれた(としか言いようがない出来事があったがそれはまたの機会)ので私には神様に呼ばれたという確信がある。
そして、あろうことか、まさかのコロナワクチンの運営を任された・・・。

私はもともと10年選手の陰謀論者である。
以前からワクチンを全人類に接種させて管理する、なんて陰謀論を知ってた訳で
Facebook、Twitterなんかで注意喚起していた人間だ。
神様はこんな私にあえて試練を与えられたのだ。

お前は実際にどう動くのか?
口先だけで注意喚起し行動に移さないことに意味はあるのか?

なんだか試されているような気分だった。

教会のワクチン推奨

まずは、通っている教会の牧師さんへ相談をした。
「このワクチンは危険です。打たないようにしないといけません」

牧師さんの答えは・・・
「自分も打つつもりはない。でも陰謀論に惑わされてはいけない。
教会の人が分裂してしまう可能性がある。分裂はサタンが喜ぶ。神様がきっと良い知恵を下さるでしょう。祈りましょう」とのことだった。

当時は、この牧師さんの答えを聞いて、頼りにならないな!と憤っていた。
しかし、後にこの牧師さんが言ったことは正しかったということに気が付くのだった。

目の前で、喜び勇んでワクチンを打っていく人々。
予約が取れたと安心し、偽物の平安を手に入れたことで無駄に感謝される日々。
なんなんだこれは…。これがキリスト教を名乗る病院がやることなのか。
本当の平安は神様しか与えられないのに…。

そんな葛藤の毎日。

教会では相談した方とは別の高齢の牧師さんが、
壇上から「自分は皆さんを怖がらせないよう打ちました」と言った。
その発言で教会がワクチン接種を推奨したような空気になった。

ワクチンに平安を求める人々


ワクチンの予約が始まると、人々は争ってそれが救世主かのように求めた。
Twitterではワクチンの注意喚起をしておきながら、
リアル世界では何もできなかった自分。
少しでも接種を迷ってる人がいたら、やめるよう伝えた。
でも自分が止めたせいでコロナになって害を与える可能性もあるから、
下手なことが言えなかった。だからせめて接種前にこの人たちが守られますようにと申し訳程度にお祈りをすることしかできることはなかった。
人を殺す係の御使ってこんな気分なんだろうか。

この頃、本当に苦しかった。
正解が分からず何もできない毎日が気持ち悪くてたまらなかった。
自分が今止めないとみんなが打ってしまうのではないか・・・。
当時はそんな勘違いも甚だしい葛藤を抱いていた。
もっとも、教団側はそんなことを言う人間への対処法を教えていた。
「陰謀論に注意」なんてね。

「陰謀論」と言われていたことが真実だったことに間違いはないが
結局のところ、私には祈ることしかできなかったのだ。
と思っていたけど、今となっては私はワクチンを打つ人たちの為、
リアルタイムで神様に祈る事ができたのだろうかと考えられるようになった。
お祈りの力を信じることができたことを感謝する。

コロナクラスター

そんな中、ついに我が病院もコロナクラスターが起きてしまった。
コロナによって患者さんが数名亡くなるという事例が発生してしまった。
例えるなら病院中が黒いもので覆われている感覚。暗黒の2週間。
ネット上では「コロナは風邪」なんて言う人もいたけど、
現場感覚からいうと実際に亡くなる人が続出するとそうも思えなかった。
本当はニュースになるくらいの大惨事だったのかもしれない。

やがて職場のスタッフ医者もコロナに感染し始めた。
ワクチンを打ってても打ってなくても、クリスチャンであろうとも関係なかった。
これはエジプトでも起きたような神様からきた災いなのだと感じた。
コロナワクチンを推奨したせいだ・・・なんてことも頭をよぎった。
病院は休診となり、数名の生き残りだけで勤務を行った。

でも、私はコロナの災いを過ぎ越していた。
神様に泣きながらお祈りをしていたから憐れんでくださった可能性もある。
神様、ありがとうございます。

結局、コロナ感染にはクリスチャンであるとかワクチン接種の有無は関係なかったように思う。まさに神様の御心ひとつ。

気がついたのは、コロナを怖がれば怖がる人ほど陽性になったことだ。
かつてそんなウイルスあっただろうか。
ということは、マスコミで恐怖を流しまくってたあの頃、
どれだけの人がこの恐怖の催眠にかかったことだろうか。
恐怖から逃れるための平安をワクチンに求めた人と、神様に求めた人。

壇上からワクチン接種を報告した牧師さんは、
2年後に血栓系で体調を崩してしまい、結果亡くなった。
ワクチンが原因だったかどうかは知る由もない…
けど、そうなんだろうなと思う。
体調が悪くなってるのに6回目のワクチンを懇願するので流石に止めた。

いくら神様を信じていても全てが守られる訳ではなく、自分が撒いた種は刈り取らなければならないんだと痛感した。しかし、神様はその牧師さんが死の直前まで、全身全霊で神様を伝えていた姿を私に見せてくれた。(としか言いようのない出来事あり)その姿が強烈に頭に残っている。
優しく、力強かったありし日の姿。
本当にその牧師さんには尊敬の念しかない。

神様は私に何を言いたいんだろう。
その亡骸を見てももうすぐ再臨が来てこの牧師さんとすぐ再会できると確信したから「またね!」と肩を叩いてお別れした。

今現在、私の職場はワクチン接種業務を撤退した。
なぜなら、接種してもコロナによって死亡例が相次いだこと、また副反応の事例が相次いだからだ。しかも、最近は急にガンになる人が増えた。
それらのことから医師がようやくワクチンの危険に気がついてくれた。

私は、このコロナ騒動の前はお祈りが一番頼りないと感じていた。
でも、こうした経験からお祈りが最強だということに気がつかされた訳だ。
そう言えば、クリスチャンではないおばさんの職員が、
「なんとなく毎朝神様にコロナになりませんようにってお祈りしてるんだよね」って言ってたことが思い出される。そのおばさん職員はコロナから守られている。
すべての答えはこれにあるような気がした。

だからお祈りは最強なのだ。

ワクチンによって、コロナによって亡くなった人たちが神様によって平安を得られていますように。今、ワクチンによって体調不良に陥ってる人たちが、早く神様と出会い、その呪いから解かれますように。

信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。
その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。だから主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり効果をもたらします。

ヤコブの手紙5章15−16



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