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神様なんて嘘

お祈りが聞かれていないと感じる時、こう思ってしまいます。
こんなに苦しんでるのに、神様からは沈黙しか返ってこない。

昨日、ジムでランニングマシーンで走りながら↓この動画見てたら
泣きながらトレーニングする怪しい奴になってしまいました。

(該当箇所は15分40秒〜になります)

話の中で出てくる奥様の話は本当に私に刺さってしまった。
例えば、病床で苦しんでいる人から「神様なんていない」と言われたら
周りの人は何と言ったらよいのだろう。
その人の苦しみを変わってあげられないし、
「神様が守ってくれるよ」と他人事のように言うのも何だか違う気がする。

実際、病床で「かみさまーころしてー」と叫んでる患者さんを見た。
その方は認知症が進み寝たきりで体の痛みと闘っているご老人だ。
クリスチャンではないと聞いてるけど、神様により頼んでいる。
何もしてあげられないし、早く解放してあげて・・・と祈るしかない。

十字架上でのイエス様も一人で
「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫んだ。
神ですら、神に見捨てられる体験。
それが死なのかもしれない。

死というのは、本当に忌むべきものなのだろう。
蛇はあなたは死なないと嘘を言った。
でも実際は死ぬ。

その「死」から我々を解放するためにイエス様は十字架で死なれた。
私たちは一度は「死」ななければならないけど、
イエス様の十字架を信じた人は死からの解放が約束されている。
(我々の終末世代はワンチャン生きたままイエス様と再会する可能性があると
噂されているけど、クリスチャンは殺されると聖書にはあるしどうでしょうね)

そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、 キリストもまた、多くの人の罪を負うために、一度だけご自身をささげられた後、彼を待ち望んでいる人々に、罪を負うためではなしに二度目に現れて、救を与えられるのである。

ヘブル人への手紙 9:27-28

神様から見放された世界は、地獄と呼ばれている。
そこには神の怒りの炎しかない。
私たち人間は、エデンの園から地上へ追い出され、死ぬと黄泉へ行く。
だんだん下に下がっている。
そこから引き上げてくれるのがイエス様の十字架の力。

肉体で苦しんで、”神様なんかいない”と思うくらいの体験をするかもしれないけど
そこから解放された後は絶対に神様が迎えに来てくれて引き取ってくれる。
それが私の希望。

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