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昔のテレビ対局でやってしまったヤバいこと

三村九段のミム囲碁ラジオ 第52回

今回はテレビ対局戦でやってしまった恥ずかしい話をします。
この放送はプロ棋士40年、囲碁サロンと子供囲碁道場を運営する三村智保が囲碁の情報をサクッとお伝えする番組です。

昔、テレビ東京で早碁トーナメントをやってました。知ってる方もいるかもしれませんが、早碁選手権という名前で日曜日の朝に放送してた記憶があります。NHK杯というのがお昼にあって、朝がテレビ東京さんだったような気が。

ウィキペディアで調べたところでは、1968年から2002年まで35年間放送されたそうです。早碁選手権はトップ選手が1手30秒でのトーナメントだったと思います。その下に若手戦も一緒にありました。早碁選手権と新鋭トーナメント、新鋭トーナメントの方に私はよく出ていた記憶があります。

これは30歳以下の棋士で賞金ランキングの上位のものが選ばれて、若手だけの30歳以下だけの早碁戦ということで、今思うと30歳以下で若手っていうのが、昭和の日本という気がします。今の感覚でしたらまあ20歳以下にしないと若手とは言えないんじゃないか、最低でも25歳だよねっていう、まあその違いありますね。

昔はね、30歳を過ぎてから少しずつトップに近づいて、40代50代と活躍をする。今は全く変わって10代のうちにどんどん上がって、20歳ぐらいでもうトップにたどり着くのが普通です。そういう意味で若手の定義もだいぶ変わりましたけども。

で、私がやってしまったことは何かと言うと、助言ですね。助言を聞いてその手を打ってしまったんですよ。本当にプロ棋士が絶対やってはいけない、はずべき行為なんです。

NHK杯と違ってテレビ東京さんのスタジオは壁が薄いんですよ。
対局をするスタジオと解説者と聞き手の2人で解説室っていうのあるんですけども、この間の壁がだいぶ薄くて聞こえるんですよ。

私、結構ね、耳がいいんです。だから言ってることが丸聞こえなんで、まあ特に序盤でまだ対局に入り込んでいない頃には困ることがあるんですよ。
その時私は誰を打ってたのかな、打ってる相手はちょっと思い出せません。

ただ解説の先生が小林覚九段で、小林覚先生が
「ここは切る一手。必ず切ります」って言ったんですよ。
それが聞こえちゃった。

で、私は切る手を考えてなかった。
局面がね、今ね、なんかモヤモヤっとしか浮かばないんですけども、違う手を打とうとしてたんですよ。
で、切るって言われて、「え、切るのか。切るか、なるほど。そう、そういうものか」って思って。

それ打っちゃダメですよね。その手を打ったらダメなんですけど、助言だから。
テレビの放送中、1手30秒なんで秒読みが遅れてくるわけですよね。で、対局中に次にこう打ちなさい、ここがいいよって聞こえてくる状況もなかなかないですよ。だから慣れてないんで。で、時間もないんで。で、言われたその手がね、すごいもうその手しかないように見えてきちゃって、なんか「ああっ!!」て心の中は乱れて手がそこに行ってしまったというか、その他の対案も見えなくなってしまって。確かそのキリを打っちゃったと思います。

私は言葉を真に受けてしまう人間なんですよ。言葉に支配されやすい人間で、そういう弱点を露呈したということで、後々いつまで経ってもそのことが罪悪感が残ってしまったりとかして。まあ本当に恥ずかしいです。

一体何年前のことだろう・・多分18歳とかだったと思いますね。
18歳とだから、まあ40年は経ってないんですけど、40年近い前のことだということで、まあ時効ということにしていただきたいです。

小林覚先生、私より10歳年上の先輩で、かっこいい兄貴という感じで。
囲碁の実績もすごいんですけど、後輩によく声をかけてくれて、ご飯とかお酒を飲みに行った時には必ずご馳走してくれて。

で、僕ら払いますとか言っても「いや、それはダメだよ。僕らも先輩からそういう風にしてもらってきてるから、君たちは君たちの後輩にご馳走してあげなさい」とかね、言うんですよ。かっこいいなっとか思いました。

そういう兄貴から言われた「この次はこの一手しかないだろう」みたいな言葉に、まんま飲み込まれてしまったという思い出の話でした。

棋譜がもしあったら、その局面をちょっと今からでも見てみたいんですけど、方法がなかったですね。うーん、残念。

ということで今回は、昔テレビ対局の時にやってしまった恥ずかしい出来事のお話をしました。

それではまた次の放送でお会いしましょう。囲碁棋士の三村智保でした。

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