相撲日記 R.1.5.4 立ち合いとは6つの目を欺く手品である

↑タイトルで格言ぽく書いたがもちろんそんな言葉はない。しかし、どうも立ち合いの手つきの基準が不明瞭でもやもやしている。呼吸が完全に合っているのに手つきが不十分で止められたり、逆に呼吸が合っていれば手つき不十分はスルーされる(あるいは見落とされる)ケースもある。

野球においてバッテリーが審判特有のストライクゾーンを把握することが重要なように、今や力士は行司や正面審判長によってバラつきがある手つきの判定の厳しさや視力、また対戦相手がどのタイミングで立つ判断をするかといった癖を把握し、手をつくつかないは別にして(コラ)ベストなタイミングで立つことが要求されている。

行司サイドと審判長サイド、片手を死角にして判定の甘い方の手をつかなかったり、あるいは対戦相手の立ち合いの癖が強く、行司や審判長から目をつけられているときには、自分には視線が10段階で2くらいしか注がれていないのでそのあたりもうまく利用しているだろう。

そんな姑息なことをせず最初から両手をつけばいい、とはまったくの正論なのだ。手をついた方が立ち合いの威力が増すことは科学的に証明されていて?立ち合い正常化の際の正当な裏付けとされた。

ただ、威力が増すことと、攻防においてバランスのよいポジショニングは必ずしも一致しない。威力があったとしても変化されて土俵を飛び出したり、頭が低くて叩かれたら意味がない。

両手をつくことで真によい立ち合いができる力士は、構えたときにしっかり腰が割れている力士だけだと思う。この腰が割れているとはどんな状態かを、連日寝不足気味の頭で説明することは難しい。元稀勢の里の荒磯親方でさえ、説明に苦労していたし、自身も目指してはいたものの、理想としていた形を完全に表現できたことも少なかったようである。

膝が外側に開いていて、その上に腰が乗っていて、下半身が胴体のサスペンションのような働きをして、相手が下から攻める力を上に逃がしつつ、ディフェンス力を保ったままに前に攻められる形・・・私の素人なりの解釈を言語化するとこんなところだ。

荒磯親方が説明なしに腰が割れていると連呼していたので、お茶の間に伝わっているのか少し気になった。だいたいの人にはなんとなく伝わったものと思われるが、中には「ケツアゴみたいなもの?」と全く通じていない人もいるのではないか

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