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朧月夜に洗濯干せば【シロクマ文芸部】

"朧月夜に洗濯干せば
乾いたシーツは魔法のシーツ
乾いたタオルは魔法のタオル"

「あなた、このタオルやこのシーツ、朧月夜に干したでしょう?」
うちに泊まりにきた年上の従姉妹が、一晩寝て起きた朝に
洗面所で顔を洗い、用意してあったタオルで顔を吹きながらキッチンに来てそう言った。
「ええ。どうして分かったの?」
「どうして分からないと思うの?
自分では同じ晩に干したシーツやタオルを使ってないの?」
「ええ。だってお姉さんが来るっていうから、無理して急いで洗って干したんだもの」
一人っ子の私は昔からその従姉妹を「お姉さん」と呼ぶ。
母がそう言えと言ったから。
お姉さんはため息をついた。
「ちょっと今からで良いから寝てごらんなさいな」
私は窓のほうを見る。
まぶしい朝陽がいっぱいに差し込んでいる。
次にテーブルを見る。
テーブルにも洗濯したばかりの赤いチェックの布を掛け、焼きたてのパンケーキの山とティーコゼーを被せた紅茶のポットが置いてある。
お姉さんも私と同じように窓を見て、テーブルを見た。
「あらあらあら。テーブルクロスも!」
お姉さんはがたがたと椅子をひいて座った。
「私がちゃんと食べておくから安心して寝てらっしゃい」
お姉さんはポットから帽子をはずして、カップに紅茶を注ぎ始め、もう私の方を見ていない。
私はあきらめて、お姉さんが泊った客用寝室(といっても納戸のような小部屋)に行った。

納戸のよう、といってもその小部屋は可愛らしい壁紙だ。ブルーにスノードロップが一面に咲いている。
そして小ぶりの客用ベッドには白いシーツがかかっている。掛け布団も白だ。枕カバーも白。
私はお姉さんが抜け出た形のままの布団にお気に入りの黄色いワンピースを着たまま、皺も気にせずもぐりこむ。でもいったん出て、真っ青なカーテンを閉めてみた。部屋が暗くなった。またベッドにもぐりこみ、ぎゅっと目を閉じてみる。
するとすとん、と落ちるように眠ってしまった。自分が眠ってしまったことが、不思議なほどよく分かった。眠ってしまった、びっくり、と思った。眠りの世界は薄黄色の光る靄がかかっている。ああなるほど。これは朧月の光だ。いつも空中に広がる震えるような朧月の光を集めることが出来たらいいのになあと思っていたけれど、洗濯ものを干せば良かったのか。なんだ、そんな簡単なことだったのか。
私は布団にくるまって朧な光の中にひたひた浸って楽しんだ。
でもはっとパンケーキのことを思い出し、目が覚めた。
いそいで洗面所に行き、水で顔を洗う。あの晩、干したタオルを出して顔を拭く。お姉さんの言うとおりだ。朧月夜に干したって分かる。朧月の匂いがする。
そのまま急いでキッチンに行き、テーブルにつく。
「ああよかった、私の分が残ってる」
私は憎まれ口をたたいて、自分の分の少し冷めたパンケーキをみる。
「おいしいわよ」
お姉さんはもぐもぐ口いっぱいでしゃべりながら紅茶を注いでくれる。
「牛乳入れたほうがもっと朧月よ」
と牛乳も注ぐ。
クレープのように薄いロシア風パンケーキ、ブリヌイは甘いものも、甘くないものもよく合う。お姉さんはクリームチーズとサーモンにイクラを数粒包んだ。私はいちごジャムとクリームチーズ。
「そういえばブリヌイは満月のかたちなんだっけ?」
「さあ?春のお祭りで食べるから太陽?」
私たちは食べるのに忙しくて月でも太陽でもどちらでもかまわないのだが、心の中はふわふわと朧月の光の中を漂っていた。
テーブルクロスのせいで、ブリヌイもすこし光っているような気がした。
「お姉さん、なんで急に遊びに来たの?」
「なんでって、春を連れてきたのよ」
澄ましてそういうことをいうお姉さんが大好きだ。

(了)


ブリヌイとピロシキが食べたいです…

小牧幸助さんの企画に参加します


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