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ドングリ恐怖症

「気を付けてね、このドングリはどこでも木になるから」
そういって彼女は三つのドングリをころころと僕の手のひらに乗せてくれた。とても形の良いかわいい帽子をしっかりかぶった艶々なドングリだ。
「もし木になっては困ると思うときはアルミホイルできっちり包んで缶に入れてしまっておくの。それ以外の形で放置するとどこでも木になってしまうのよ。必ず。」
彼女は「必ず」というところで大きな瞳をきらっとさせた。
分かった、気を付ける、と言って僕はその可愛すぎる目から視線を外した。彼女の話はその場のノリの作り話だろうとたかをくくって注意を払っていなかった。ただ彼女がとても可愛いからドングリを受け取っただけなのだ。
だれだって可愛い女の子が何かくれるといったら受け取るだろう。
それは秋の中頃、あるイベント会場でのことだった。
ドングリのイベントだった。ドングリクッキーやドングリ帽子が売られ、ドングリ体操、ドングリリレーをするようなイベントだった。
僕はなぜそこに行ったのか思い出せない。

彼女の言ったことは本当だった。
アルミホイルで包んで缶にいれるか、公園か山にでも放り投げておかなくてはいけなかったのだ、そのドングリを。
僕は軽率なことに三つのうちの一つを自分の軽自動車の中に落として気がつかなかった。秋の終わりのある午後、車に乗ると助手席の下の奥の方からねじれて伸びてきた木に気がついた。あれ?枝を落としたのか?と思ったがひっぱっても取れない。覗き込むとマットにドングリが根を伸ばしそこから木が伸びていた。
彼女の深刻そうに注意した声が耳に蘇る。
「どこでも木になるドングリだから」
僕は必死に引っ張った。ほとんどパニックだった。車の中に大きな木が広がり根が下まで突き抜け車内にドングリが降り注ぐイメージで頭がいっぱいになっていた。
五分ほど、うんうんと引っぱっていると遂にドングリの木は根っこから抜けた。幸いマットにしか根を張っていなかった。ほっとした。すぐゴミ置き場に捨ててきた。
ほっとするとあと二個のドングリはどこにやったのか不安になった。
どうしたんだっけ…
急いで自分の部屋にいき、机の引き出しを開けてみた。
「あっ」
なにげなくドングリを入れてしまったその引き出しの中でドングリから木が生えてきていた。暗い狭い引き出しの中なので、ひょろっともやしじみた木だった。メモ帳に根をはっていたので、メモ帳ごと取り出して、近くの公園に持って行って草むらに捨てた。
あと一つ…思い出せ自分。
うーん…
最後の一つはあの日以来袖を通していなくてクローゼットにしまいっぱなしの上着のポケット入っていた。
クローゼットの中でドングリの根はその上着のポケットを突き抜け、ポケットから顔を出すように木が伸び始めていた。
もうその上着は着れそうもない。
あきらめて僕は上着をクローゼットから出すと、ハサミで服を切り、木を切り離した。木は散歩の途中で川に流した。
もう会うことのないあの彼女はいったい…
そしてあのドングリはいったい…
考えてみても正体はもう分からないのだった。
それから僕はドングリをみるとちょっとした恐怖心を抱くようになってしまった。ドングリ恐怖症といっていいだろう。
でも考えてみればあんなふうにどこにでも生える木は、例えば砂漠とか、すごく寒い海辺の地域とか、必要な場所があるだろう。そういう為に開発されたドングリだったのかもしれない。
あの可愛い彼女が砂漠にいってドングリを植えているところを想像すると、ちょっとだけドングリ恐怖症がおさまるのだった。

(了)

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