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ガラスの手と木の手

ガラスの手と木の手、どっちがいいかい?
人形師は作りかけの二体の美しい人形に問いかけた。
それぞれから思った通りの答えが返ってくる。
華やかで強気な表情をした姉は「私はガラスの手が良いわ」といい、
おとなし気な表情の妹は「私は壊れない木が良い」とつぶやく。
「壊れても砕けても良いの。美しいほうが良いもの!」姉は妹に当てつけるように言葉を重ねた。
「ガラスの手には、指輪も付けて頂戴!赤い石の付いた指輪を」
ああ分かった分かった、そうしよう。
人形師は両方に優しく答え、用意していたガラスの手と木の手を見せた。二体は満足そうに眼を閉じ、その手を付けてもらうことを待つための眠りについた。おかしな順番ではあるが、手をつければ人形は完成だ。

人形師は眠った人形を静かにながめる。
なぜ同じ顔に作ったはずなのにこうも違う表情を見せるのだろう。
その人形たちはある姉妹を彼に思い出させる。昔からよく知っていた双子の美しい姉妹だ。別に彼女たちをモデルに作った訳ではないのに、完成に近づくにつれて、人形たちは姉妹にどんどん似てきたのだった。二体一度に作ったせいかもしれない。そんなことをしたのは初めてのことだったから。

ガラスの手を壊さないように取りつけながら、その透き通った指を見ていると、人形師はそこに何かが映っていると思い、覗き込む。桜だろうか、うすいピンクの影が雲のように映りこんでいる。みているうちに霧散してしまう。目のかすみだっただろうか。
彼女の要望に沿う指輪がないか、亡くなった妻の大切にしていた小箱を開けてみる。妻は地味な人だったから地味な指輪しか入っていない。人形は気に入らないかもしれないが、小さなルビーのついた指輪をみつけた。指輪には見覚えがなく、人形師はそれをはめていた妻を思い出そうとするが、すぐにあきらめた。妻の手などいつも見ていなかったのだ。
人形のガラスの指にそっとその指輪をはめる。これで完成だ。
だがまだ、人形を目覚めさせない。次は木の手を付けるのだ。

目をつむっていてもおとなし気な人形に、温かみのある木の手を付ける。木の手はすべらかで、つい手の甲をなでてしまう。何かの感触を思い出す。でも何の感触か思い出せない。ただ、幸せな何かだ。
彼女にも何か飾りをつけてやりたくなり、また妻の小箱を開いてみる。月の光のような金色の、蜘蛛の糸で編んだように細い、それだけの指輪。これなら木の指に似合うだろう。おとなしい彼女も気に入り、姉がねたんで怒ることもないだろう。
人形師は人形の木の指にその指輪をそっと通す。指輪は最初からそこにあったようにしっくりとなじんだ。それをつけてやって良かったのだ。人形師はほっと息をつく。これで完成だ。

出来上がった人形を窓辺にそっと動かして横たえる。
窓を開けると夜の空気が工房に流れこみ、近くの森で鳴く青葉木菟のホウホウという声も聞こえる。
もうすぐ満月が天頂にのぼる。
人形師はいつも、天頂の満月の光にさらすことで人形の完成とするのだった。
そうだ、勝気な姉を「陽湖」、おとなしい妹を「月湖」という名にしよう。
遠くに見える、月に輝く湖を見て人形師は決めた。

人形師の顔にあたるまぶしい朝の光が目覚めを誘う。
しかし目を覚ますともう彼は人形師ではなかった。
部屋はアトリエではなく、ごくありきたりなダイニングルームだ。
そのダイニングテーブルに一人で突っ伏して眠ってしまっていたのだ。
顔を上げると目に入るのは妻と娘二人の写真だ。
三人はもう三十年も前に、車ごと湖に落ちる事故で亡くなった。桜が満開の頃だった。双子の娘たち、陽子と月子はまだ幼かった。リビングのちいさな仏壇にはガラスと木でできた可愛らしい位牌が並んでいる。
彼はこの三十年ひとりぼっちだった。
何故いつも人形師だという夢を見るのだろう。
彼は立ち上がり、妻の小箱を探す。果たしてそれはあった。中には小さなルビーのついた指輪と、細い金の指輪が入っていた。
彼はその二つを小箱に戻し、人形を作ろう、と思った。
本当に人形師になって、二体の人形を作り、この指輪を…

(了)

小牧幸助さんの企画に参加しています。


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