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子どもが子どもとして生きている「今」を大切にしてあげること

繰り返し書いているテーマだけど、それだけ私にとって誰かに伝えたいことなんだろうな。かつて子育てに悩んでいた自分に一番伝えたいのかもしれない。

子どもたち3人とも成人した今、振り返ってみて、子どもにとって大事なこと、子育てをするにあたって、親が大事にできるといいなと思うことを考えてみると、それは障害のあるなしにかかわらず、同じことだと思う。

子どもには子どもの持って生まれた個性や気質があり、それに沿ったことをするのが、一番楽しくて喜びを感じられるはず。思う存分大好きなことに没頭する時間を持たせてあげることが、一番その子のクリエイティブな力(独創性、個性、創造性とか?)を発揮できることになると思う。

ところが例えば、絵を描くのが大好きな子供が、ずっと絵ばかり描いているけど親から見たら全然センスがないとすると、もっと別のことをさせてやりたい、と思ったり、我が子の可能性を開くことためと思って、たくさんの習い事をさせたりする。

そこで少し上手にできることがあったりすると、親がすごく喜ぶので、子どもはもっと上手になりたい、と思う。でも、自分としては本当はもっと家で絵が描きたい、でも水泳に行って泳ぐと親が喜ぶから水泳も行く。気が付くと、絵を描く元気もないくらい水泳の練習で忙しくなって、、、、もともと絵は上手と言われたこともないから、絵を描くことも忘れていく、みたいなことが起きていると思う。

教室に連れられて来る子どもたちが、だるそうにパソコンのタイピングをしていたりして、「どうしたの?」と声をかけると、「塾に行ったから疲れてる」と言ったり、習い事から習い事へ渡り歩いていて、「何習ってるの?」と聞くと、「習字と公文と英語と絵とダンスと、、、」という子が普通に結構いるのだ。

親は子どもに、楽しそうで役に立ちそうなものを選んで、これやってみない?あれやってみたら?と言うのかもしれない。子供は楽しそう!と思っているかもしれない。これ出来るようになったら、すごいって言われるよ、と言うのか、将来役に立つよ、と言うのか、お母さんが仕事の間、学童が嫌なら習い事に行って、と言われるのか、はたまたどうなんだろう?

これは完全に自論で賛否色々あると思うが、大事なことは

子どもの言葉で言うと
1.寄り道(寄り道って楽しい。時間がないとできない)
2.ぼんやり(ぽか~んとしていてもせかさないで。たぶん想像の世界にいます)
3.ばっかり(ひとつのことに夢中な時はそっとてしておいて。クリエイターの卵なんです)
4.日が暮れるまで遊んで(ふと現実に戻り)、おなかすいた~~~って言えること

子どもは柔軟だから、どんな環境からも、どんな人からも学ぶことはあると思っているが、一番の贅沢な状態は、上に書いた4つがあることかなと。

塾も、たくさんの習い事も、
贅沢な設備もおもちゃもいらないのではないか。

そういうものを欲するとしたら、それは親の価値観を素直に吸収しているだけではないかと思う。
子どもの人生はその子自身のもの。

いずれ成長したときに、親や社会から与えられた価値観を横に置いて、自分自身の持って生まれた価値観を取り戻せるような自分の軸が強い子もいる。そんな子は、いろんな大人や周りの人から、愛を持って価値観やら影響を受けて成長することも糧にできる。でも親の価値観、周囲から言われたことをそのまま自分に課して生きていく人も少なくなくて、それが自分を縛って、本当は下手でもなんでも、「絵が描きたかったんだ」と思い出すのに、何十年もかかったり、それを良しとすることができない人もいるよな~と思うのだ。

自由人に見えるオットでさえ、子どもの頃に大工になりたかったのを、父親に「馬鹿なことを言ってないで勉強しろ」と言われて、そのまま諦めて忘れていたのを、私が「大工になりたいんじゃなかったの?」と聞いて思い出したという。今がそのタイミングだということで、遅い早いもないのだけど。最初から大工を目指していたら、多分、私とは出会っていなかっただろうし、彼の人生にとってはどっちが良かったんだろう😆(笑)

それで、私はたくさんの習い事をしながらパソコン教室に来る忙しい子どもたちに「何が好き?どんなことをしてると楽しい?」とよく聞く。
優等生的な返事をする子はどう答えたら、大人がすごいね、えらいね、と言うか分かって、大人を喜ばせることがその子の喜びになっている、その素直な姿が少し痛々しく感じることもある。

「パソコンなんかキライ。勉強もキライ。」とはっきり言える子は、憎たらしいけど、心配ないな、と思う。「お母さんに、パソコンはキライだって言っていいよ。嫌なものは楽しくできないもんね」と言ってしまう。

子どもにとって、子ども時代にこそしておくべきことってあると思うんですね。身体を目いっぱい動かして、走り回って、鬼ごっこして、高いところに登ったり、飛び降りたり、土を掘ったり、虫を追ったり、、、ぼんやり寝転んで空を眺めたり。
それはどの子にとっても、健全な人生を歩むのに必要なことをたくさん貯える時間ではないかと思うのです。

そのために親がすることは環境と時間を与えること。このふたつだけです

お金もかからない。せめて小学生の間、せめて低学年の間は。勉強の成績でもなく、何かのうまい下手でもなく、早く何かを習得することでもなく、
子どもが子どもとして生きている「今」を楽しむこと。将来のためではなく。そんな時間を与えてあげるのが一番なんだけどな~って思います。

私の仲が良い学生時代の友人は、東京近郊に住んでいて、娘が高校受験をしなくていいように、その頃できた中高一貫校に入れるために、小学生の時にとにかく勉強させた。念願の学校に入ったらすごい厳しい学校で、中学に合格すれば楽になれると思ったのに、また勉強勉強に追われて、「なんで、ずっと勉強ばっかりしなきゃいけないの!!」と娘がキレたと友人がため息をついていた。
その後、大学に行って就職したのは、IT系の企業で、コロナの影響で完全在宅勤務になり、一日中家でパソコンに向かっている。リモート会議でも顔は出さないので、一日パジャマですっぴん、髪もぼさぼさで、食べる時だけ部屋から出てくる。そうなるともう家を出るのが億劫で、ほぼ遊びにも行かなくて引きこもり女子だ、と友人は嘆いていた。

いくら聞いても、「何もやりたいことはない」「どうせ無理」と言うと。
「でも、もう24だし、親が言って何かさせる年でもなくて、自分でどうしたいとか思わないと仕方ないんだよね~」と言うのだけど、もっと早くにそうさせてあげてたら、、、と思わずにはいられない。

なんでそんなことになったのかな。。。
私は10年ほど前にその子に会ったきりだけど、ずっと頑張って来た彼女に、自分の「スキ」を取り戻してほしいなあと願う。まだまだ人生長いからね❤

でもま、どんな考えの親の元に生まれるかも、子どもは選んできているそうですから、お互いの宿命というものとも言えますよね。

私なんかが、どうこう言えるようなことでもないよな~と思ってもいます。

そんなことを言いながらも私は今もひとつ後悔していることがあって、
何かひとつでも、子どもたちに楽器だけは続けさせたかった。。。楽器を奏でられる人生はすごく楽しいから。
でも、当の本人たちは、学校でオーケストラもやったし、歌もたくさん歌ったし、と、楽器を辞めたことを何ら後悔していない様子ですが、ひと月に1回でも何かのレッスンを続けていたら、、、それだけはお尻を叩いてでも続けさせたかった、と今も思っています。

ま、親ってそんなもんなんでしょうね😊


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