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思い込みを外す

「思い込みを外す」私の方法を紹介します。

なんだか辛くなったり行き詰まるときって、自分で自分を縛っていて、それに気づけていないから解決方法が見つからない。いくら考えても、抜け出せないってなると思います。

身体にとっても、対症療法では根本治療にならないのと同じで、心も同じだなって経験から思います。いくら自分にご褒美しても、心はいっとき晴れるけど、また重い気持ちに引き戻されてしまうことがあります。それには、根本治療が大事。

心の根本治療はいろんな方法があって、このnoteにもたくさんヒーラーさんや、お医者様なんかがおられますが、私が数年前にそれこそ思い付きでやってみて、すごくよかった方法をお伝えします。

これは、やってみて私がハマって、これ以上出てこない!っていうくらい、思い込みがたくさん出て来て、おもしろかったし、気づきもすごくたくさんあったし、ぜひ、みなさんにやってみてもらいたいです。

そして、いつか、みんなで思い込みの外しあいっこするみたいな場を創れたら面白いな。

なんで、その方法を思いついたかと言うと、
私は3人兄弟の長女で、4つ下の妹と5つ下の弟がいます。私から見た父は非常に厳しい人で、小さいころから食事の仕方や身だしなみ、生活態度まで、とにかく注意ばっかりされていました。
食事中に口を開けてしゃべると、ほっぺたをひねられるんです。こら!って。型が残るほどきつくはないけど、いた!って思うくらい。

だから、「口に食べ物が入っているときは絶対に口を開けてはならない」というのが私の中の思い込み。でも、40代後半の頃だったと思います。お正月に実家で一緒にご飯を食べていた妹と弟は、ご飯とおかずを一緒に口に入れて食べていることに気づいたんです。どうやって???
アホな疑問だと思われると思いますが、私は、先ほどのような思い込みがあるので、おかずが入っている口を「開けて」ご飯を入れることはできない。してはいけない。絶対に!!!と、もう体がそうなっているから、ご飯とおかずはいつも別々にしか食べられないのです、、、丼物は、一緒に口に入るから大丈夫☆

でも、私って人のことが見えていないようで、というか、思い込んで信じ切っているから、ほかの人も、ちゃんとしている人は、おかずの入っている口を「開けて」ご飯を入れることはしない、と思い込んでいた。
その日、改めて妹弟の食べ方を見て、言葉にしてみた。
私が父から受けた注意と、だから口にご飯とおかずは一緒には入れられないのだけど、あんたたちはそんな風に言われなかったのか?と。

「なにそれ」

が、二人の返答でした。そして、妹が父に、「なんでそんなこと言うたん?」と聞くと、父は

「そんなん言うたか?」

とのことでした。

40年以上も、そんな思い込みを抱えて生きて来たんです。真面目にまじめに。体にしみこんで、今も、ご飯とおかずは別々にしか食べません。今更変える気もないけど、そんなアホな経験から私はどれだけたくさんの思い込みを抱えて生きていて、それで自分を縛っているのかな?と思ったんです。

たかが口の中にご飯とおかずをいっぺんに入れるということについて、こんな思い込みがあるのだから、もっと大切なところでもたくさんあるだろうなと。

で、書き出してみよう!って思いました。

そして、その思い込みをひとつひとつ、ちゃんと検証して外していきたいな、と。

まず、ノートを一冊用意して、カフェにこもって、思いつくだけの思い込みを書き出しました。こんな感じ⇩

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書いて眺めてみて気づくことがあると思います。

左側に並ぶ言葉は、小さいころから「あったりまえ」だと思っていたこと。
親の刷り込み、先生からの刷り込み、友達に嫌われまいと装った自分の姿がずらずらと並ぶ。

そして、なぜそうでないといけないと思っていたかについても、
嫌われないように、はみ出ないように、馬鹿にされないように。
そうじゃなくても構わないって、大人になって思いながらも、自動的にそんな風に考える癖がついているから、結局、「そうできていない自分はダメなんじゃないか」という、これまた深い思い込みやよくわからない自信のなさとなっていたりしませんか。

私は、もう書くことない!っていうくらいまで、思い込みを書き出して、最後は、全部の思い込みに対して、「そうじゃなくても死なへん」「そうじゃなくても死なへん」って書いてました。

友達いなくても死なへん。
嫌われても死なへん。
親不孝者!って言われても死なへん。
仕事行かなくても死なへん。

私の場合は、最後は「死なへん」でした(笑)

いや、死にたくなるかもしれんやん!って思われるかもしれないけど、
「死にたくなる」のと「死なない」のは別で、
死にたくなるのも、何か思い込みがあるから。
その思い込みを外せば、「死にたくなるほどつらい」としても、
実際には命にはなんの別状もない。体はちゃんと生きてる。
生きてるってことは、生きてていいってこと。

ま、「死なへん」と言う私流の言葉は受け入れられない人もいるかもしれないけど、自分が一番気が楽になる言葉を最後に持って来れたらいいですね。

大事なのは、死なないってことではなくて、
死ぬんちゃうか?死ぬほど怖いことになるんじゃないか?っていうくらいに
その思い込みを外したら大変なことになると、自動的に思い込んで、ずっと自分を縛って来たんだって気づくことなんですよね。

そして、左側に書かれる、思い込みの言葉の中に、
「嫌だな、こんな人」「なんなの?この人」と思っていた人の姿が思い浮かぶかもしれない。
例えば、「自由な人は自分勝手」という思い込みがあるなら、近くに本当に自分勝手な人がいて、やりたいようにやって自分だけ機嫌よくしている、近くで見ている私は本当に気分が悪かった、みたいな経験があるのかもしれない。
でも、その姿が気になれば気になるほど、本当は自分がそうしたいのにできない、なのにアイツはやってる、っていうのがすごく腹立たしいんですよね。うらやましいってこと。本当は自分勝手したいんです。当然ですよね。誰でも自分がやりたいようにやりたい。それを自分に許していないから、周りでやられると腹が立つしできないから、してはいけないこと、アイツはキライ、と決めた方がラクなんです。

このあたりのことは、いろんな本に書いてあることですが、それを自分で「思い込みノート」を作って、分析して、ひとつひとつ手放してきた、という私のやり方をご紹介しました。

これをね、複数の人でシェアしてやってみたら面白いだろうなって思う。

だって、誰かが「あったりまえ!」と思って生きて来たこと、例えば、「気が強いと嫌われる」「太ってると嫌われる」という思い込みに対して、
他の誰かが、「え???別にいいやん!私、気が強い人好き~!」「僕は太ってる子の方が好き」って言ったとしたら、面白くないですか?

「遅刻しがちな人は嫌われる」という思い込みで苦しくなっている人に対して、「少々遅刻されても、私はまったく気にならないです~」っていう人が何人もいたら?そんな人もいるんだ!って楽になる。

仲いい人同士でやると、あまりそこがひっくり返らないかもしれないけど、
知らない同士でやると、まさかのひっくり返りがあるような気がして。

そうじゃなくても、よかったんだ~~~!!!ってなるかも?🤗

そんな場を創れたらたのしいなって妄想しています❤

もし、よかったら、あなたの外したい思い込みを、コメント欄に書いてみてください。誰かのその思い込みをひっくり返すようなコメントも書いてみてください。ひっくり返すときは、「愛を持って」コメントお願いします。
コメント書かなくても、ご自身でぜひ書いてみてください。

自分で自分を許せないっていう人は、やってみたもらいたいです。
自分に厳しい人、人に厳しくなってしまう人は、たくさんの思い込みが自動的に採用されて、しんどいと思います。私がそうだった。

でも、その思い込み、誰が作ったん?
で、それを守れば、幸せになれるの?守ってて今、幸せ?
守らなかったら、罪になるの?死んでしまうの?一回、やめてしまえば?

と、自分に究極の質問をしてみてください。

自分は、大した人間じゃない、普通か普通以下かもしれない、と言う恐れや思い込みも、それでいいやん、別に、と認めてみる。誰に言われたん?親に言われたかもしれない、友達に言われたかもしれない、でも、みんなじゃないし、常識は国が変われば変わる、場所で変わる、時代で変わる。だから常識は常にいつでもどこでも通用するものではないという矛盾に気づこう。

私はわたしでいい、と思えること。
だって、一生懸命生きてる。ダメダメでも、とにかく毎日生きてる。

それでいいんじゃないか、というところからスタートしたいです。

人にも自分にも優しくなれるんじゃないかなー🤗



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