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女神の視点を持つ実験

思い切って書こう。(また?)(笑)

私は自分は女神であると考えている。

ちょっと前にも書いた。

ただ、私だけじゃない。みんな神様なんだと思う。

それまでの私は、長年、「私なんか教」の信者だった。
でも、そうじゃないと心のどこかはずっと思っていて、私は何者かにならないといけないと思って努力を続けながら、何者にもなりそうもない自分に諦めを感じながら生きていた。

心理学や自然療法の学びを重ねる中で、自分を唯一無二の存在で、自分で自分を大切にすることが本当に大事。誰かに大切にしてもらいたいと願うなら、まず、自分を大切にするところからだと気づき、そうして来た。

でも、一進一退だった。そう思う。でも、確固たる自信にはならず、オットを頼り、先生を求め、誰かに評価されるために頑張る。抜けられない。

私は、人がどう思おうと、どう評価されようと、自分で「私はこれでいい」と揺るがない自分になりたい。そう思える精神の自由が欲しい。
この願いは深い深いところから来る願いだった。

ある時ふと、家族と話しているときに、自分が強く願ったというか、イメージできたことは、実現できていることに気づき、
「だって私、女神だから☆」と言って、
「わっはっは!まいったか」と言ったとき、冗談のつもりだったのだけど、なにか、あ、これ、ホントのことだ、と自分の中に芽生えたものがあった。思い出した?というのか。

私、女神だったんだ。

あやしい、ヘンな人に聞こえますか?
そう思われそうだから、私はずっと、誰にも言わず、ただ、自分は女神なんだと思っている。

誰も彼もが自分にとって神様なんだ。
それに気づくかどうかだけ。神様はどこか空の上にいるのではなく、世界、宇宙に一人しかいないのではなく、「私も」神なんだと、自分で認めるだけ。日本人で良かったなと思う。八百万の神の中には、あなたも私もいるんです。

で、それでもやっぱり、日々の思考は人間界の色々、最近ずっとnoteに記している境界線についとか、悩みは尽きないのだけど、今朝、オットが早くに起こしてくれて、ゆっくり瞑想する時間を持てたので、またそこへ戻ることができた。

・・・早朝、 自分 の 思考 の 波動 を ソース に 合わせる こと を 勧め て いる の だ。 自分 が 心地よく なる よう な 思考 を、 心 の 距離 を 置い て 見出し、 その 状態 を 思考 の 流れ に 勢い が つく まで 保つ 方法 を 見つけ なさい。 そう すれ ば、 その おかげ で 一日 が どんなに 違っ て くる かに 気がつく はず だ。 これ を 30 日間 続けれ ば、 私 たち が 言っ て いる こと が わかる だろ う。

エスター・ヒックス; ウエイン・W・ダイアー. エイブラハムに聞いた人生と幸福の真理―――「引き寄せ」の本質に触れた29の対話 (p.79). ダイヤモンド社. Kindle 版.

「自分の思考の波動をソースに合わせること」を瞑想では毎日やっているのだけど、今朝はいろんな雑念が湧いてくる。
その時に、「私は女神」だということを大っぴらに認めてしまおう、と思った。私だけの瞑想の時間なのだから。

そして、そんな風に思う自分をちゃんと表現したいと思った。

オットや娘は、そもそも、自立して物事を考えられる自由な思考の持ち主なので、わざわざ、自分は神だ、とか考える必要もなく、そんな言葉にしないけど、多分、それは当たり前のことのようだ。

だから、そういう人に取っては、わざわざ自分を神だ女神だ言うのって、ヘンに思うかもしれないけど、そう思いだすことで、自由になれる、、、私の場合はそうなんだ。

この辺で、人からヘンだと思われるのではないかということに対する言い訳は置いておこうと思う。長かったですね、言い訳。

私は女神、私は女神、と瞑想の中でつぶやくことで、さっきの引用文の中の、「自分の思考の波動をソースに合わせること」ができ、自分の真ん中に戻り、そうすると、人と比較することや、人がどう思うか気にすることなんかがとてもちっぽけなことになってくる。だって女神なのに、おかしいやん?と。

思考が前向きな時は、「私は女神」と意識して仕事場に入れば、「女神的視点」で仕事場で起きるいろんなことに対応できて、スムーズに物事が進むし、何か起きたときも冷静でいられて、相手がどう思うかとかいう小さなことに囚われずに動ける。だって女神だから。

女神だと意識しているときの私は、背筋が伸びる。動作も手先だけではなく肩甲骨から動く。肩甲骨は羽根が生える場所というイメージが私の中にあるから。視点が高くなり(背筋が伸びるので、物理的に)、笑顔になれる。明るい気持ちで、相手に言うべきことが言える。相手からも良い反応が返ってくるので、自信が持てて、理想的な私でいられる。すがすがしい気持ちで仕事ができる。私がいることで、今ここが明るくみんなの幸せに役に立てると感じる。

そんな意識がどこにもない状態の私は、背中が丸くなり、仕事に追われて、うまく行かないいろんなこと(自分や同僚の失敗のしりぬぐいや、受講生のわがままな要望、と感じること)などに対して不満が募る。苦言を言いたくなるし、相手を変えたくなる。言いたいことが言えない苛立ちもある。顔では笑っていても、目は濁っていることだろう。誰かに愚痴を言いたくて仕方ない。嫌な自分。そして、傷つきたくなくて、引きこもりたい。誰とも会いたくない。もう人と人の間でやって行くのはムリだ、というところまで行く。

女神状態の私と、貧乏神?的な私、どちらも私で、心の状態でここまできっと、人からの「見た目」も変わることだろうし、自分の在り方が変わる。

毎日、女神でいればいいじゃないか。それだけだ。

今日も女神で頑張ろう。毎朝見る鏡にそう書いて貼っておこうかな。
すぐ忘れるから。

女神の願いは叶います。視点が上がって、自分だけのことを考えていないから。でも、女神でいるためには、自分を一番大事にしないといけない。そこをごっちゃにすると、迷う。

私は私を大事にする。自分に大事にされる自分は、周りの誰をも大事にできる。人に、ああしなさい、こうしなさい、こうしてよ、ああしてよ、と言わなくても、女神状態で「こうだと嬉しい」と言えば、気持ちよくそうしてもらえる。

そんな生き方の実験を、今日からまた新たに始めると決意。

どよん💦とした時、
抜け出したい時、
ああ~💦と思ったとき、「私は女神」とつぶやく。

これが魔法の言葉。

生きていると色々と人の間で悩む、それも人間らしくてなかなか面白いんだと思う。辛い、嫌だ、と言いながら楽しんでいる。

でも、もういいかなーって思って、、、、。

てことで、女神の一日が始まります。

皆さんも、女神として、神として、一日を過ごしてみてください。

神様だらけになれば、世界は平和だなーって思います。

yujiさんの記事でシェアされていたこの曲。よく知ってるけど、こうして聞くと良い曲なんだ~と今さら。風邪の時代の女神たちへの応援歌的な♪


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