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mimozaの「気が楽になる子育ての考え方」マガジン

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いい母って、料理が上手とか子育てが上手とかそんなんじゃないみたいですヨ🤗発達障害のある長男と、年子の長女の育児にただ必死で、とてもじゃないけど良い母とは言えない私だったのに、子ど… もっと読む
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気のすむまで好きなことができる場所

昨日微熱がある中、もうろうとして聞いていた、宇宙についてのYouTubeでの話が頭の片隅に残っています。 宇宙には無数の星があるけれど、地球のように水に表面を覆われた星は稀であること。太陽からもう少し遠ければ凍ってしまうし、近ければ蒸発してしまう。その中間の絶妙な位置にあること、地球の大きさも重要で、この大きさだからこそ重力を持ち、水が表面に留まる。 いろんな意味で奇跡的なのです、、、地球自体が。。。 当たり前すぎて考えることもない日常を送っていますが。 いや、奇跡と言

受け入れがたいものを受け入れるって。。。

長男を育てるのが本当に大変で大変で。。。 今はもう笑い話になっているから 本人にも言って笑ってるようなことなんだけど その当時は 「なんで私のところに来たのかな」 「なんでもっとおおらかなお母さんを選ばなかったのかな」 「私には無理なのに!」 と、悲観的かつ投げやりかつ絶望感満載で でも何とかしたくて、息子を愛したくて、 子育ての勉強会や その道の「先生方」に 会う人会う人に 「受け入れがたいものを受け入れるって、 一体、どうすればいいんですか?」と

療育手帳更新とガンダムの操縦席のアムロの話

長男の療育手帳の申請に付き合った。 彼の運転する車で 迷うこともなく時間通りに到着。 自分で窓口で手続きをし 今、どんな手当ていくらくらい出ているか、 一人暮らしで困っていることはないか、 係の人の質問に丁寧に答える長男。 これだけ見たら なんで療育手帳が必要なのか、わからんよな~ 今回は、療育の申請下りないかな、と毎回思う。 道中、 「何か仕事で困ってることはないの?」と聞くと 「電話をとっても伝言ができない」 「仕事の優先順位がわからなくて、融通

自分がヘンな子だったことを思い出そう。

今すごくまじめに仕事して ちゃんとした大人だと思うのですが 小学校低学年までほんと、ヘンな子でした。 私がヘンな子だってことは私だけの秘密でした。 親も気づいていなかったはず。 覚えていることだけでも こんな子いたら不思議ちゃんです。 小学校3年生まで結構大きな学校で過ごした。 保育園に比べると建物が大きく 廊下も広いので右側通行するように 道路のようにセンターラインが引いてありました。 いつも右側を歩かなきゃ!と思っていたのだろうと思う。 いつも行く

苦しかった子育て時期の私の壮大な被害妄想について

12年前のメールをたまたま読んだ。 長男に対する自分の接し方に悩み、苦しんでいたころの友達へのメールだった。 読んでいて胸が苦しくなった。 その頃の彼は15歳。年齢より幼いので思春期という感じではない。 とにかく、その頃の彼は自分のエネルギーをコントロールできず、所かまわず大声を出す、げらげら笑い出す、妹たちが嫌がることをする、しゃべり続ける、といった状況で、一緒にいると気が休まることがなかった。 怒ってもだめ、なだめてもダメ、脅しもきかない。人のいるところへ出かけるとき

時間は素敵☆

何が必要で 何が欲しくて どこにお金や時間をかけたいか そんなことを考えることが増えました。 星空ダンスでひとりきり 真っ暗なグランウンドできりりと冷たい風に 走った後の火照った頬を冷やされながら感じる 夜空に感じる親近感 一人夜空を見上げるとうれしくなるこの気持ち いつか、ここにはいなくなる私 星になるのか、ならないのか。 どこへ行くのか。 来世はあるのか。 私が先にいなくなるのか、オットが先なのか。 20年後、30年後、40年後 星を見上げる私がまだここにいるだろ

自分の望みが叶わないことを子どものせいにしていた私の話

私が他の子とは違う発達の仕方をする長男と格闘していたころの話です。 毎日毎日、 「なんで私が嫌がることをわざわざ選んだようにやるんだろう」 「発達が遅いのに、私が嫌がることだけはわかるのはなぜだろう」 「もう、私をいじめるのはやめてほしい」 「私はこんな荒い言葉を使うような人間じゃなかったのに、私をこんな風にしてしまうなんて、、、」 私は母親として必死で子どもたちの命を守るために必要なことをして、 今いる小さな社会に適応しようとして 私自身は完全に自分自身の自由を奪われて

かわいい子には旅をさせてあげて❤

療育手帳を持つ長男の10代からのひとり旅の話  最近の車での一人旅  16歳 JR在来線で9時間の旅  タイへボランティアの旅  22歳 カウアイ島への一人旅、の話です。 今年の元旦、親戚の集まりにしばし顔を出した長男daiは 「やめた方がいいんじゃない??」 「毛布とか寝袋とか食料と水!積んで行きや!」とか言われながら 車で一旦自宅に戻って仮眠してから 千葉までひとりで車で出かけると言って帰って行きました。 私の母や妹は、「止めなくていいの?」と私に言うのですが 「かわ

時間は不思議

昨日、免許の更新に出かけたオットが帰って来て言った。 帰りに、前住んでたマンションとか商店街のあたり見て来てんけど、 あそこに行くと、あの頃のdaiとかhinaが浮かぶねんな~ 時間って不思議やな。 と。 私もそのあたりを思い出すと、年子の小さな二人の姿と、その二人を自転車の前と後ろに載せて走っている自分、駅まで3分で走れると言って出かけていく若いスーツ姿のオットの姿が目に浮かぶ。 確かに不思議な感覚。 時間ってないんだって~、と、何か本を読みながらオットが言った。

子どもが子どもとして生きている「今」を大切にしてあげること

繰り返し書いているテーマだけど、それだけ私にとって誰かに伝えたいことなんだろうな。かつて子育てに悩んでいた自分に一番伝えたいのかもしれない。 子どもたち3人とも成人した今、振り返ってみて、子どもにとって大事なこと、子育てをするにあたって、親が大事にできるといいなと思うことを考えてみると、それは障害のあるなしにかかわらず、同じことだと思う。 子どもには子どもの持って生まれた個性や気質があり、それに沿ったことをするのが、一番楽しくて喜びを感じられるはず。思う存分大好きなことに

子どもは、私たちの知らない未来を生きる人たち

娘たちと話していて 最近、「シュタイナー学校に通えて本当によかった」という言葉を それぞれから聞いた。 そっか。それは良かった。 今日、オットとドライブしながら 20年前のことを話していた。 長男の学校選びに悩んで 色々検索して出て来た「シュタイナー学校全日制開校」の文字に 驚きながら内容を見ると 私たち家族にとっては 両家の実家に近い場所で願ってもない条件だったことに 私はもう興奮が抑えられなかった記憶がある。 オットは「普通の学校でいい」というところからのスタート

しつけようとしない。変なままでいいやん?どうせ皆ヘンだから。

発達の遅れ?と言うより発達が個性的?な息子に手を焼いて ほんとにしんどくてって時期はあったけど それでも どこか、「おもろいな、この状況」 「こいつ、ヘンやな」と思いながら育てていたようなところがあった 結局、それが功を奏したというか 結果論として間違ってはいなかったのだな、と 今、成長した彼を見ていて思ったりはする。 でこぼこの激しい息子を なんとか見られる形にしようと躍起になっていた過去の自分も 今思えばほんと、おもろいし、 格闘していた若い母だった

小さいころ好きだったこと~魂の望みを思い出す

今日は月に一度、フリーで美容師をしている長女hinaのところへ。 髪を切ってもらっている間、 ランチの間、 ぶらぶらと一緒にウィンドーショッピングをする間 お互いに、深いところまで話せる友達は少ないということが共通の私たちは とにかくよくしゃべる。 今日、hinaが教えてくれたこの番組 帰りの電車の中で見たのだけど、hinaとしゃべっていたこととリンクする内容だった。 自分の本当にやりたいことをやっていく、それしかないよね、稼ぐためにじゃない、仕事にするためじゃない。ひ

親が躾けようとして苦労したところ、それこそが自分の本質

私自身は厳しいしつけを受けてきて 自己否定の激しい性格。 それがなぜなのか、 自分でちゃんと意識していなかった。 こんなもんだと諦めて。 でも、なんとなくは気づいていてだからこそわが子を育てるときに 言って聞かせてもダメなものは、この子には入らないんだなと そのままでもいいんじゃないかと いい意味であきらめていた気がする。 結果、わが子たちは「自由」です。たぶん。 それでも気づいていない縛りはあるかもしれないけど 多分、普通の日本人の中では、かなり自由。