祖母の話
手提げを腕に通して手にデジカメを握りしめた魔女が玄関先で靴を履いている。お母さんさっき出かけたばかりですよ、と丸めた背中に声をかけても聞こえもしなかったように振り向くことなく出て行った。襖で仕切った隣の部屋から落語家がオチを語って観客がどっと笑う声がした。魔女がまたテレビを消し忘れたらしい、はぁ、とうすい溜息をついて外に干した洗濯物を取り込みに行く。2階のベランダに出ると来月に見頃を控えた花畑にチラホラと彩が付いているのが見えた、その花畑の中に通った道で魔女がデジカメを構えているのも。3時間に一度外に出たかと思えば、ああして写真を撮り歩いている。飽きないものかと眺めていたけど、春風が鼻の奥をむず痒くさせたので数枚のシャツを叩いて抱えてさっさと部屋に戻ることにした。抱えた洗濯物を居間で畳む、自分のものは2階のクローゼットに掛けてきたので残るは魔女のものだけだった。襖を開けると落語家が物語の山場を語っていた。畳んだ服を辛うじて片付いてる一間に置いてテレビを消した。相変わらず散らかった部屋を一瞥して台所に行く。昨日作り置きしたおかずをレンジに入れ温め、味噌汁の入った鍋に火をかけたところでサンダルを引きずる音が聞こえたので火を止めて玄関に回った。魔女が扉を開けたので、おかえりなさい、靴を脱いで下さいねと言うと聞き取れない声量と滑舌でボソボソと呟きながらその顔は不満そうに靴を脱いだ。握りしめてたデジカメを差し出して、「撮れなくなった」と言うので、あぁわかりましたよ、と受け取った。最初こそ難解な魔女の言葉を理解しようと魔女語録を集めたものだったが、訛りが強いのか伝える意思が弱いのかどちらにせよ滑舌が壊滅的だった。生活を続ける中で最低限必要なことは聞き取れるようになった上で聴き取れない言葉たちは伝える意思が通らなかったものとして聴こえたものだけ聴くようになった。夕食を終えて寝支度を終えた魔女が自室に籠ってから、デジカメのSDカードをパソコンに挿し込んだ。メモリいっぱいに入った写真を新しいフォルダに保存して今日の日付をフォルダ名にした。保存を終えてパソコンを切りカードをデジカメに戻して写真を見ながら消していくのが魔女にデジカメを渡された日の習慣だった。魔女はいつも引きのアングルでそこにカメラに向かって微笑む人が写れば丁度いいのにと思うような写真を撮っていた。たまには“花の”写真を撮ってきたらいいのに、と丸めた背中に話し掛けたら撮ってきた写真はピントがボケた一枚の花弁だった。あぁいい写真ですね、と伝えて魔女は相変わらずボソボソと何か言っていたが、その日は自室に入るまで笑いが喉の傍まで来て辛かったし、その写真をデスクトップに貼った。
魔女が入院した。風邪を引いて病院に行ったら主治医から少しだけ入院しましょうか、と提案され私は心療内科への案内をもらった。この頃の魔女は機嫌が悪い日が多く、しょっちゅう手を焼かせるので風邪を引いた魔女よりも不健康そうに見えたんだろう。魔女を看護師に受け渡し、入院の手続きを終えると看護師から魔女のカメラが手渡された。あぁ分かりました、ありがとうございますと受け取ってよろしくお願いしますと頭を下げて家に帰った。魔女の着替えと日用品を鞄に詰めて、自室の2階へ行った。パソコンを点け、デジカメのSDカードを挿し込んだ。取り込まれた写真は3枚だった。なんだ全然撮ってないじゃない、と言いながら保存してパソコンを閉じた。カードをデジカメに戻して、また一枚ずつ消していく。一枚は台所の小窓、私が魔女が帰ってくるのを覗き見していた場所だった。掃除の行き届いていない窓の桟は埃が黒く溜まっていて、あぁ掃除しなきゃなと溜息をついた。2枚目はベランダから見る花畑だった。普段階段を上がることがない魔女がこれ1枚撮るために登ったのかと驚いた。3枚目は台所に立つ私の後ろ姿だった。右下の日時を見るに昨日の夕方だった。昨日はデジカメを握りしめて玄関先に立つ魔女に風邪が治るまではダメですよ、とその日3度目の文言を言いつけたら癇癪を起こし宥める羽目になった。隣の家のおばさんがやって来て魔女の相手をしてくれたからお茶とマスクを渡して夕飯の準備をした。いつの間にかおばさんは帰っていて、魔女も大人しく自分の部屋に戻っていた。夕飯が出来るまで相当暇だったのね、と呟いた。
翌日病院に荷物を届けに行った。魔女はほとんど音の出てないテレビをぼんやりと眺めていた。私が病室に入るとこちらに気付いてテレビを消した。家に帰りたいと駄々をこねられる前に帰ろうと、着替えを入れた鞄とケースに入れたデジカメを手渡した。魔女は鞄をベッドの脇のテレビが置いてある棚に入れるように言って、テーブルに置いたデジカメには手を伸ばさなかった。また撮れるようにしてきたよと言うと「うん、、、」とモゴモゴと口を動かしていた。何かを言い終わってまたテレビを点けたのでまた来るね、と言って病室を出た。人の気配のない廊下を通ってそのままエレベーターに乗って受付の前を通って病院から出るはずだった。不意に魔女のもごついた口を思い出して脳内で思いがけず都合の良いアフレコがついた。「あんたが撮ってきて」。そう魔女は言いたかったような気がして、エレベーターの開いた扉を無視してまた病室に戻った。テレビの画面を食い入るように見ていた魔女は傍に私がいることに声を出さず驚いて、なに?と言いたげな口が動く前にデジカメ借りてっていい?と聞いた。魔女は頷いて、私は渡したデジカメを自分のバッグにしまって病室を後にした。
魔女が死んだ。雪の降る厳冬の日だった。穏やかに眠るように、とは程遠かった気がする。ここ数日は元気なんか無かったが、私が覚えてる魔女は、出掛けるんですかと聞けば振り向きもせず出掛けて行って、おかえりなさいと言うと土足で部屋に入ろうとして、私が撮った写真にイマイチだねと呟くような魔女だった。デジカメを借りたのは魔女が入院した時の一度きりだった。仏壇にケースに入ったままのデジカメを飾っておいた。
朝起きて炊きたてのご飯と水を仏壇に置く。朝ごはんを食べ、洗濯をして仕事をする。昼ごはんを軽く食べて洗い物をしてるとサンダルを引きずる音が聞こえた気がして水を止めた。窓の外を覗くと隣のおばさんが歩いているところだった。おばさんにこんにちは、と声を掛けるとこんにちは、と返されてまた水を出し洗い物の続きをした。仏壇のご飯と水を替えて線香を焚く。ふとデジカメが目に入り、花畑を撮りに行こうかという気になった。春風が鼻の奥をくすぐるからマスクをして、ポケットにデジカメを入れた。見頃を迎えた花畑は節操なく咲き乱れているように見えて忙しそうだった。この子たちは健気に一生懸命に命を燃やしているのに私ときたらなんて体たらくなんだろう、と情けなかった。魔女がいない生活は穏やかに退屈に過ぎていた。大して返事をしない魔女におはよう、行ってらっしゃい、おかえりなさい、おやすみと声を掛けること、怒ればキンキン声で喚く魔女を宥めること、機嫌がいい時には少しくらいの意地悪を言うこと、それをしなくていい生活は気楽で、気楽すぎた。魔女が死んだことで私を満たしていた入れ物自体の底が抜けてしまったような気がした。埋め方など分からなかった。花の写真でも撮っていこうかとデジカメの電源を入れると充電したはずが点かなかった。
諦めてぶらぶらと大通りまでやって来た。徒歩でここまで来たのは数年ぶりだった。電気屋だった小さいショーウィンドウのある店は雑貨屋に変わっていた。マジックで入り口と書かれた紙が引き戸の内側に貼ってあり、その文字は日焼けで薄れていた。気まぐれにその店に入ってみると雑貨が無造作に並べられ、レジ横に店主は不在、他のお客さんも居ないようだった。古本屋も兼ねてるようでアンティークの本棚に並べられた本は背が日焼けしたものが多く、ジャンルもバラバラだった。店の奥から足音がして「いらっしゃいませ」と声がした方を見た。20代後半か30代前半くらいの男の人で、ダボダボのTシャツにデニム生地のオーバーオールを着ていた。店主はレジ横に座りパソコンをいじり始めた。特に買う気もなかったが、何だか何も買わずに店を出るのは気まずくて本を1冊買おうと決めた。背表紙にALBUMと書いてあるものがあった。手に取って中を見ると、見覚えのある風景の写真が並んでいた。その中の数枚がやけに見覚えがあって、この写真を撮ったのは誰ですか、と店主に尋ねた。店主は近所に住む散歩好きの方ですよ、と答えた。よく散歩の休憩にこの店に寄ってくれて、その方がそのアルバムを空の状態で購入されてデジカメ持参で撮った写真をここで印刷して挟んでいくんです、持って帰んなくて良いんですか、って聞いても置いておいてください、明日も来るのでって言われちゃって、、、と続けた。すいません、その人このカメラ使ってませんでしたか?と聞くと、あぁそうですそうです、もしかして貴方がお孫さんですか、と聞かれ、はいそうです。祖母は去年の冬に亡くなりまして、と答えた。あぁそうだったんですか、最近来ないなぁと思っていたんです。もうすぐでアルバム埋まるんで2冊目の仕入れを頼まれていたので残念です。あ、でもカメラをお持ちということはお孫さんも撮られるんですか?アルバム買います?と続いた。いえ、やりません、カメラも旧くて調子が悪そうなので、と答えるとあぁそれは残念です。アルバム見て行って下さい、良ければ持ち帰って頂いても。あ、持ち帰るなら1枚目の写真印刷しましょうか?と言われ、1枚目の写真って?とアルバムを閉じて表紙を開いた。そのカメラの中に入っているデータで、カメラ上で見れないしパソコン上では開けないけどアイコンとして残ってるような不完全なデータとして何故かあるんですよね。お婆さんに伝えた時は多分写ってるのはおじいさんだろうってことで印刷されなかったんですけど、長いこと眺めていたので気に入ってるんじゃないかな。今見れるかお願いしてもいいですか、と尋ねると良いですよと帰ってきたのでカメラを預けた。店主はカチャカチャと作業をしてパソコンの画面をこちらに見せた。あぁ間違いなくおじいちゃんです、と言いなぜ今まで気付かなかったんだろうと思ったが、パソコン上ではデータをろくに見ていないからだと直ぐに気づいた。店主はこれをお婆さんに見せた時魔法みたい、って僕に言ったんですよね。カメラを家でお孫さんが見つけてくれて使い方を教えてくれて、貴方が居なかったらこんな幸せな気持ちにはなれなかっただろうって。僕からしてもこんなエラーは珍しいですし、元電気屋の息子なんですけど、だからお孫さんが魔法使いですね、って。
2022.3
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