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小川洋子『密やかな結晶』講談社文庫

二十数年前に書かれた作品だが、最近ブッカー賞候補になったということで新装版が出たようだ。わたしは初読。けっこう難しかった。まだ考えがよくまとまらない。

いちおうディストピア小説と呼べるのかもしれないが、オーウェル『1984年』やアトウッドの『侍女の物語』ほどわかりやすくはない。ディストピア小説は「こんな未来になったら大変だ」と読者にリアルに想像させるが、この小説は話が幻想的で、実際には起こりそうにない話なのである。

主人公は小説を書く仕事をしている。彼女が住む島ではいろいろなものが次々に消滅し、その消滅が完全に行われるように秘密警察が暗躍している。ある朝、ひとつのものが消滅するのだが、そうするとたちまち人々の記憶からもそれが消えてしまう。たとえばオルゴールが消滅したあとはそのメロディを聴いてもただの音としか感じられない。香水が消滅したあとは香りのないただの液体である。ただ、記憶が消えない人間がまれにいて、いつまでも昔のことを覚えている。彼らは秘密警察に見つかり次第、どこかに連行されてしまう。

主人公の小説家の担当編集者である男は記憶が消えないタイプの人間で、彼女は彼を自宅の秘密の部屋に閉じ込めて世話をする。しかしいくら彼の安全のためといっても、まったくその部屋から出さないのは酷な話だ。(このあたりは『アンネの日記』からヒントを得ているらしい。)だが、物語の最後は、この自由のない男よりも先に主人公が消えてしまうことになる。彼女は身体を失い、ついには声も失ってしまうので。

同時に進行しているのは、主人公が書いている小説だ。こちらでは声を失った女性が教会の中にあるタイピスト学校でタイプを習っているが、その先生と恋仲になり、あるとき教会の塔の隠れ部屋に先生に閉じ込められる。最後は閉じ込められた状態のまま先生に見捨てられてしまう。

この「(小説内の)現実」と「(小説内の)小説」の逆転した関係はどういうことなんだろう。「現実」では男が幽閉され、「小説」では女が幽閉されている。「現実」では女は最後に声を失い、「小説」では初めから声を持っていない。前者は、文学を奪われることや人間性を奪われることの危機を表しているとしても、後者はどうなんだろう。女のありえないような従順さが不気味だ。

どちらの話も、何かを奪われることだけでなく、自分でもおとなしく何かをあきらめてしまうことの怖さが共通している。現実でも小説内でも人々はまったく抵抗しない。この受動性はイシグロの『わたしを離さないで』のクローン人間以上だ。もしかしたら、消滅が始まった頃から、いや消滅が始まる前から、これらの人間たちはもう人間性を手放しているのかもしれない。

ただ、主人公の小説家は小説が消滅して記憶を失ったあとも、男に励まされて続きを書こうとはしている。従順な彼女の唯一の抵抗だ。声や言葉とは、人間が能動的であること、人間が人間であることの象徴なのかもしれない。



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