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池澤夏樹『夏の朝の成層圏』中公文庫

ぽっかり時間が空いて、小説でも読みたいと思うのに、なぜか積読の小説本がないとがっかりしてしまう。ついこないだもそれがあったので、しっかり備えておこうと何冊か小説本を買っておいた(みんな古本)。これもそのうちの1冊。初夏のような陽気の日にぴったりの本だった。

これが池澤夏樹の初めての小説らしい。わたしにとっては『スティル・ライフ』に次いで2番目の小説だ。『スティル・ライフ』、よかったよね。「たとえば星を見るとかして」のフレーズがぐっと来た。

ある男が南海のまっただ中で乗っていた船からうっかり落ちてしまい、漂流する。やっとのことで小さい島に着いたら、そこには椰子やらバナナが生えており、だいぶ前に住んでいた人間たちが植えたものもあるし、道具がないので原始的な方法でだが、なんとか生きていける。生命の危険はない。しかししばらくそこで暮らしたあと、思い立って近くの別の島に泳いで行くのだ。するとそこには誰も住んでいないちゃんとした家があった。食べ物も豊富だったので、彼はその家ではなく、別に小屋を作って住むことにする。

ここまでの話は、ロビンソン・クルーソーのような漂流物のようで、スリルもあるが、それほどの危険もなくて、わりとのんびり楽しめる。物語の後半はその家の主(なんと映画スター)がやってきて、主人公との交流が始まる。一緒に島を出ることも可能である。が、主人公は隣人が迎えに来たヘリコプターで帰ったあとも、もうしばらく残ることにする。

でも、帰る方法はちゃんとあるし、食べ物や道具類もあるのだ。だから、島での暮らしは文明人ののんびりした贅沢な夏休みのようにも思える。けっきょく彼は文明国のメンバーなのであり、それらの島に元々住んでいた人たちはどうやら文明国アメリカのために移動を余儀なくされたらしい。そこにやってきた彼は、自分が文明から離れてつかのまの孤独な暮らしを味わっているのだと認識している。考えようによっては贅沢な話でもある。

そういえば『スティル・ライフ』も、切羽つまった暮らしの問題があるわけでもなく、妙に平静な気持ちで読める話だったように思う。文学は暮らしに困ったり、生命に危険が迫る話を書かないといけないわけでもない。でも2022年のいまこの小説を読むと、やはりその平穏さが気になる。この小説が発表されたのは1984年、『スティル・ライフ』が1987年。それからバブルまでずっと上向きで、人々は余裕をもって生きていた。「たとえば星を見るとかして」。それを非難するのはおかしいけれど、でもやっぱりあの時代から何かが決定的に変わってしまったような気もするのだ。

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