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黒川創『明るい夜』(文藝春秋)

地味だけれどいい小説だ。大学を出て特に就職しないでバイトをして暮らしている女性を中心に、まわりの人たちの生活を描く。舞台が京都というから、では京都ならではの風物が出て、やわらかい京言葉が出たりする、そういう小説なのかなと予想しがちだが、そうじゃない。同じテーマで東京を舞台にした小説なら想像しやすいが、でもそれを敢えて京都にしたところが新鮮だった。

主人公も、友人イズミも、恋人工藤くんも、みんなどこかうまく生きていない。夢を持って、それが苦労の末に実現して...、などというドラマチックなことは何も起きない。たとえば、主人公とイズミは京都の山奥の風変わりなお祭りに8月になったら行こうと話すのだが、その約束は立ち消えになる。工藤くんとその村に行くと、祭りはきのう終わったと言われる。

主人公は京都市内の安いイタリア料理店でバイトしているのだが、イタリアなのに働いているのはイラン人やミャンマー人。その店は店長が不正をしたために突然閉店になる。また彼女が住んでいるアパートの隣人は大家さんに転居を迫られて困っている。大家さんは銭湯で主人公に会うと身の上話をするおばあさん。大家さんにしても特に悪い人ではなく、老いて先行き不安な彼女なりの事情がありそうだ。どの人もそれぞれの人生をそれなりに生きている。

隣人はむかし、鴨川で友禅の布を洗う作業をしていた。ここで「京都らしい」と思ってしまうが、この人は別に京都の職人ではないし、この友禅流しの作業も実は川の汚染の原因になっていた。ステレオタイプな素敵な京都を描くことはないのだ。山奥の村の古い祭りについても、勇壮な祭りなのだが、その実、軍隊の訓練を受けた男たちの暴力が感じられるものでもあった。と、こんな風に様々な物事が美化されることなく、かといってその事実に憤るでもなく、淡々と語られる。

レストランで働くイラン人の身の上話も後の方で出るが、彼の兄が徴兵されて、大怪我をして帰ってきたのを見て、彼は家族と別れてひとりで日本に逃げ出してきたのである。顎が吹き飛ばされた兄の悲惨な様子を彼は休憩時間に語る。そういう話が紹介されるときも決して語り口はドラマチックにならない。

考えてみたら、人生って、何が起きても現実にはドラマチックなものではなく、ただ嘆いたり愚痴ったりしながら、毎日を過ごすしかない。働いたり、仕事をなくしたり、年を取って入院したり、不眠になったり、親とうまくいかなかったり。どの人の人生も「うまくいく人生」と比べるとズレがある。ズレが哀しい。そういう様々な人生が京都という街を舞台に描かれている。その描き方に作者の真面目さを感じる。

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