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日本人は「共依存」をやめたら幸せになれそう

100年ぶりにノートの更新でもしようかと、自分の書いた記事を見直してた。共依存についてこんなこと書いてたんだとしみじみ。有料漫画についてるおまけ記事だけどネ。

私は「世話して必要とされる喜び」なんてなくても、世話をやめられなかった経験があります。

制作裏話:心に穴が空いてなくても、世話はしちゃうもんです(有料記事)

この記事を書いた頃、まだはっきりと共依存と言うものが実際どういうものなのかわかってなかった。それから1年近く経った今、12ステップ・プログラム(依存症の回復プログラム)やACの回復ワークやら進めていき、共依存に対しての理解が深まった。

そして改めて読み直すと、自分の病的な経験だけが頼りだったわりには鋭いやん!「世話することで快感を得る共依存と、そうじゃない共依存があるのでは?」とは、いいポイントついてるね~。と自分に感心していた。

というわけで、深夜のテンションで共依存についてまとめてみたら、気づけば9000文字オーバーしていた。卒論かよ。なので死ぬほど暇な時に読むのをお勧めする。

読むのに出てくる単語解説

依存症
脳の報酬系が機能不全に陥った病気。
種類は様々だが、現在国が治療法と共に認可してるのは
アルコール・違法薬物・ギャンブル・ゲームの4つ。
ポイントは、依存行為を行うことで仕事・対人関係・体調・金銭などに問題が出るほど影響があるのに、やめられないことである。

12ステップ・プログラム
自分の生き方を変えるための依存症の回復プログラム。
元はアルコール依存症のとある男性が、どんなに努力してもやめられなかった酒をやめられた経験や心理のプロセスに、心理学や宗教の考え方をアレコレを加えて、同じアルコール依存症者に伝えていったもの。
全人類がやるべき。

自助グループ
基本的に当事者のみで運営される、問題の解決を考える団体のこと。
各々の経験談を語ったり、依存症の自助グループでは12ステップを行ったりする。基本ルールは言いっぱなし・聞きっぱなし。心の安全を守ること。同じ問題を抱える人の話を聞いたり共感を得られるので、心理的な居場所を作る効果がある。

(AC)アダルト・チルドレン
子供のころの経験が原因で、大人になっても生き辛さを抱えてる人のこと。病名ではない。元々は親がアルコール依存症の元で育った子供が、大人になってアルコール依存症の人と付き合ったり、アルコール依存症になったりすることが発見されたことが始まり。
後に親がアルコール依存症だけにとどまらず、様々な形で子供の目から見て家族の機能が健康的に機能していない家庭に育った人も指すようになった。
日本のACの概念は後者で取り扱われることが多い。


共依存のイメージ

とある打ち合わせの時に、だら夫の監修でお世話になった非営利活動特定法人アスクの代表の方がさらりとおっしゃっていた言葉が忘れられない。

「AC(アダルト・チルドレン)はみんな共依存を持ってますね。」

え、みんな?と疑問符が浮かぶ。
私のいるACの自助グループで共依存したことありますって人、全員じゃないけどなあ…。と、自助グループの仲間の話を思い出していた。しかし、だんだん知識がついてくると、あの時の言葉はまさに的を得ていたんだなと納得してしまった。さすがです。

多くの人が共依存を「ヤバいやつと付き合ってるのに何故か別れない状態」だと思っているように感じるが、いかがだろうか?ていうか、つい最近まで私もそうだと思ってたから多分そうだよね。

そのヤバいやつの代表はアルコール依存症を始めとする、依存が止まってない依存症者だろう。依存症は病気が進行すると、被害を負うのが自分だけでなく、家族や周りの人を巻き込むケースが多い。
元々共依存はアルコール依存症の治療の研究が進むことで「家族・周辺の人間に依存行為を加速させる行為をする人間がいるじゃん。これはやめられねえわ!」と発見され、治療のために見つけられた概念だから当然だ。

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次にヤバいやつイメージでよくあるのは、例えばモラハラ・パワハラ・DVを行う人(多くは男性)、あるいはリストカットや境界性パーソナリティー障害などの、世間一般でメンヘラと言われる人(多くは女性)だろう。
共依存してる人とは、そんな彼らから加害を加えられてもなお、何かと理由を付けて付き合い続け、別れない選択をしている人のイメージがある。

そして、女性が陥りやすいというイメージもある。イメージっていうか事実、長い間女性は共依存をせざるを得なかった社会環境があるのだから、目立つ人間が数として多くなるのは当然だ。

今もなお残る、細かいところまで気が利くのがいい女、みたいなジェンダーロールもバリバリ関わっているのは言うまでもない。それらに加えて、ほんの少し前まで女性は社会に出ることが許されなかった。夫のお世話をし、子供の世話をするのが「よい妻」とされてきた。
働くという選択肢が与えられないと言うことは、経済的自立ができないので、ヤバい奴と結婚しても、離婚するという手段が取れない。自分の評価は主に夫と、よくわからない世間様だけになる。地獄かよ。

つまり専業主婦しか選択できない女性には家族の世話をすることでしか自分の自尊感情・社会的な居場所を得る手段がなかった。アルコール依存症者(あるいは別の問題を抱える人)の世話をすることは、「よい妻」という自尊感情を得るためにはもってこいだった。それを責めることは私にはできない。

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逆に女性に働く選択肢が出てきて、家族の世話をする以外で自尊感情が得られる手段ができた今、アルコール依存症者と別れるカップルは若者の間で増えてるんだそうな。
私も仕事で自尊感情を得た時に「もしかして、こんな加害ばっかり加えるこの人一人の評価にこだわらなくてもいいのでは?」って思って離れられたからすごくよくわかる。現代社会にマジ感謝。

そういうのもあって、共依存とは「ヤバいやつの世話をし続ける」「女」みたいなイメージが定着してるのではないだろうか。

生き方としての共依存とは何か

イメージ通りのこれらは確かに共依存である。1年前の記事に「果たして山下ユリ(だら夫の主人公)を共依存と呼んでいいのだろうか…?」などと言ってるが、何を言ってるんだ、立派な共依存状態だろうがとツッコミたい。

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しかし、知識を付けた今、ヤバいやつとの関係性だけが共依存ではないことを知った。そして、私が感じていた共依存にも種類があるのでは?というのも間違ってなかった。

以下は本より引用。

Q:ACはどんな問題を抱えてますか?
ACの課題の中心にあるのは「共依存」です。共依存という言葉は、ときに「お互いにもたれあう」といったニュアンスで使われることがありますが、これは共依存の一面にすぎません。
(省略)
依存症者が依存症という病気の影響のもとで本来の自分を失っていくのと同様に、周囲にいる人たちも病気の影響を受けて「自分を生きられない」状態になっていきます。子供時代からこうした影響のもとにあるのを「一次共依存」、結婚後などにそれまでの自分が保てなくなるのを「二次共依存」と呼ぶこともあります。

出典:『Be!』増刊号No.18 ACの生きる力!【回復と成長のプロセス】58P・59Pから引用

これだぁー!これ!!「一次共依存」と「二次共依存」ンンン!!!私が知りたかったのはこれ!!!!だら夫の主人公・山下ユリは「二次共依存」、私は基本的に「一次共依存」だったので、これを同じ共依存にしていいのか…?と感じていたのは間違いではなかった。疑問が一気に解けてスッキリ。

この本にはさらに一次共依存について少し説明されている。明細な説明部分は省略して引用する。

ACの課題=共依存を三つの点から説明しています。
●自分に焦点があたっていない
●「境界」を学んでいない
●「不合理な信念をもっている」

出典:『Be!』増刊号No.18 ACの生きる力!【回復と成長のプロセス】58P・59Pから引用

つまり、共依存とは「ヤバイやつの世話をする」が必ずしも条件ではない。というか、ACはこの性質があるからこそ、ヤバいやつと別れられない確率が高くなる、という話になる。自分ではなく他人を優先し、他人との境界線がわからず、自己犠牲しまくりの不合理な信念を子供時代に学んでしまうからだ。

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さらにACの12ステップ本には以下の棚卸の項目がある。
※自助グループで言われる「棚卸」とは生き方の点検のこと
自分の過去の出来事について、この項目のどれに当てはまってるか確認したり、逆にこの項目から現在や過去の行いを見直すときに使うものだ。

抑圧された怒り
承認を求めようとすること
世話焼き
コントロール
見捨てられ不安
権威のある人たちを恐れること
凍りついた感情
孤立
低い自己評価
過剰に発達した責任感
抑圧された性

出典:ACのための12のステップ

これを見て、「抑圧された怒りと抑圧された性以外、共依存の性質じゃん!これ共依存の性質を細かく分解したものじゃん!」と驚いたのを覚えてる。
なぜなら私はACの12ステップをやる前に、共依存の自覚があり、共依存していたピの棚卸をし続けていたからだ。これ全部彼との問題に全部当てはまるがなと。

ACは原家族との経験から、権威のある人たちを恐れ、見捨てられ不安低い自己評価がある。その恐れと不安から他人に承認を求める。そして世話を焼いてコントロールしようとする。コントロールするために過剰な責任を背負ってしまう。自分がしんどくても感情が凍りついてるから自分自身の感情がわからない。当然そんな対人関係は長く続かないので、孤立しがちである。

これはACの心情でありながらも、これは共依存してるときの心理そのものだ。「ACはみんな共依存持ってますね」とは、まさにその通りだったのだ。

日本は共依存大国?

私が話したい本題はここである。
AC、もとい共依存体質を作ってしまう原家族では、この不健康なルールを作られてるのだそうな。以下、詳細は省略して項目だけ本から引用する。

家族の共依存ルール
①問題について話し合うのはよくない
②感情は率直に表現してはいけない
③言いたいことは直接言わず、第三者を介す
④非現実的な期待―強く・正しく・完全であれ
⑤利己的であってはならない
⑥私が言うようにせよ、するようにはするな
⑦遊んだり、楽しんだりしてはならない
⑧波風を立てるな

出典:アダルト・チャイルドが自分と向きあう本


例えば父親がアルコール依存症、妻が共依存、そんな家庭にいる子供から見てこのルールを当てはめると、こんな感じだろうか。

①問題について話し合うのはよくない
父がお酒を飲んでいて暴言・暴力があることについて、誰も話し合わない。問題を否認する生き方を学ぶ。

②感情は率直に表現してはいけない
辛い・悲しい・甘えたいなどを表現すると嫌がられるので、感情を人に見せることを恐れるようになる。自分の感情がわからなくなる。

③言いたいことは直接言わず、第三者を介す

母から「『お母さんがお酒やめてほしいって言ってる』って言って」などと頼まれて子供が利用される。直接向き合わないコミュニケーションを学ぶ。

④非現実的な期待―強く・正しく・完全であれ

子どもに父親のようにダメな人間にならないでほしい、などと高い理想を示し、そのレールから外れるとどんな生き方でも許さない。よって子供は完璧主義になる。

⑤利己的であってはならない

親が酒を飲んでいるとき、あるいは悩んでいる時に、自分のニーズを伝えると拒絶された。よって、相手のニーズや欲求を先回りして行動するようになる。

⑥私が言うようにせよ、するようにはするな

親が「約束を守れ」と説教するのに、子供と遊ぶ日には二日酔いで行けなくなる。これが重なると親は自分のことを愛してないと疑い、信頼しなくなり、本音と建て前を分けて人を操ることを覚える。

⑦遊んだり、楽しんだりしてはならない
親はいつも深刻な顔で悩んでいたり、疲れ果てていたり、仕事に没頭していたりして、休むことを知らない。それを見た子供は人生は厳しいものだと学び、何かを成し遂げるだけに意味があり、リラックスすることを悪いことだと感じる。

⑧波風を立てるな

このようなルールが硬直化して存在し、それを変えることは許されない。これまでのパターンを変えることを恐れるようになる。

出典:アダルト・チャイルドが自分と向きあう本より参考・要約

どうだろう?親が依存症じゃなくてもACの家庭には、基本的にこのルールがあるらしい。ACである私の家庭にも、もちろん全部ビンゴしてくれている。ちくしょう。

しかし私は、自分の家庭以上に、これブラック企業だなあ…と、昔ブラック会社のバイトをしたときのことを思い出しながら見ていた。

①問題について話し合うのはよくない
仕事の非効率やその他の問題について話し合わない

②感情は率直に表現してはいけない
辛いとかしんどいとか表現してはいけない。うつは甘え。

③言いたいことは直接言わず、第三者を介す
仕事ができない人に周りから圧をかけるようにコントロールとかはありそう。

④非現実的な期待―強く・正しく・完全であれ
仕事はとにかく完璧にしろ。ミスをするな。

⑤利己的であってはならない
自分のことを中心に考えてはいけない。会社に奉仕の精神で働け。

⑥私が言うようにせよ、するようにはするな
上の言うことは絶対だから口答えするな。

⑦遊んだり、楽しんだりしてはならない
休みは必要ない。とにかく結果を出せ。

⑧波風を立てるな
問題に気付いても逆らわないが吉。逆らうと酷いことになる。

ブラックに勤めたことのある人は共感が得られるのではないだろうか?
もっと探すなら、学校教育にも同じことが言えるのではないだろうか?あのなんかよくわかんない息苦しい感じは、このルールに当てはまってるからではないか?

ツイッターランドでバズりまくりの夫婦の問題も、これに当てはめることもできるんじゃない?よく夫が育児をしてくれない、という話で盛り上がるが、紐解いていけば個人の認識以上に、日本社会が家庭の調和=個人の幸せよりも、会社に尽くすのが社会人の勤め、と社会構造そのものに大いに問題があることは、すでに議論されてると思う。

「物資豊かな先進国なのに、個人の幸福度が低い。なんなら後進国の方が高い国もある。」と言われるのが我が国だ。それは上記の理由があるから当然だろう。自分の原家族との関係は良好で、家族大好き★と言える家庭で育っていても、その家の外の教えは不健康なものが推奨され、めちゃくちゃ蔓延してる。つまり、めちゃくちゃ共依存的文化なのだ。

共依存症者は自分が一生懸命やりたくもない役割をやってるから、自由にしてる人間が許せないのだが、心当たりはないだろうか?男だから・女だから・父だから・母だから・会社の●●だから・社会人だから…与えられた役割をうまく演じることを、自分にも他人にも求めた経験はないだろうか?

共依存症者は他人の問題に口出しするのが大好きなのだが、これもどうだろう。テレビで報道される全然自分とは関係のない他人の話にキレたり、口出ししたり、批判したり、コントロールしようとした経験は?

共依存症者は、問題をなかったことにしたり、他人のニーズを直接聞かずに読みとり先回りするのが得意技であるのだが、政治や宗教の話をするのは良しとしなかったり、阿吽の呼吸を人に求めることも同様ではないか?

共依存症者は、やりたくないからやらない、とは言えない。とにかくNOを言うことがへたくそで、やりなくないけど、他人がそういうからやるしかないと言い訳する―…あなたはどれだけ当てはまった?

共依存は基本的に幸せになれない。「他人が基準」というのは、つまり何かあったら全部コントロールできない他人のせいにしなくてはならない。いつも他人を恨み、他人のせいにし、他人に負けている気がする。そこに自己効力感なんてあったもんじゃない。
結局、文句言いながら―不満を飲みこんで、自分が「感じる」ことよりも「考える」正しいことを優先し実行し続ける。

その行為が、どれだけ周りに褒められ、認められても幸せなわけがない。自分を殺さないと達成できない行為なんだから。

共依存の回復

不健康な共依存ルールが心に刻まれてしまったのなら、それを別のルールに変える必要があるだろう。
ACの自助グループ、カウンセリングなどでは、主に家庭内でどんなルール ー不合理な信念- があったか、その時の自分は何を感じたか?を点検する。そして大人になった自分を苦しめてるルールを手放し、新しいルールを設定する作業をするのが主だ。その新しいルール、すなわち生きやすいルールとは、この不健全ルールを逆にすれば簡単だ。

健康的なルール
・問題があったら話し合う
・感情は率直に表現する
・言いたいことは直接言う
・現実的な期待-弱くても、間違っても、完全でなくてもいい
・自分のことを第一に考えていい。
・本音で話す
・大いに遊び、楽しむ
・変化はワクワクするチャレンジだ

出典:アダルト・チャイルドが自分と向きあう本

素晴らしい。子供の育て方に不安がある人も、家庭内にこのルールを適応すればばっちりだ。育児本にはこれを記載しておくのは義務だと法律で決めてほしい。色々解決するだろ。
何より自分の中になかったルールばかりでびっくりしてしまう。日本でこのルールで生きてる人を見つけるのは少なそうな側面でも不安を感じる。大丈夫かこの国は。

本の出典自体は、日本にあるアスク・ヒューマン・ケア研修相談室からだが、このルールを提唱してるのはアメリカの精神科医だ。アメリカか!なるほどなあ、と思わず頷いてしまう。
アルコール依存症がアメリカで発見され、その研究が進むにつれて共依存が発見された。しかし、もしも依存症が日本で発見されていたら、共依存を認識するのに100年かかったかもしれない。個を大事にする文化のアメリカだからこそ、「そんなに他人のことばかり考えるのは健康じゃない」と指摘できたんだと思う。マジでありがとうアメリカ。

この健康的なルールを使うと、自分を尊重することができるのは明白だ。
自分のために自分の主張をきちんとする。自分の感情を正直に認める。不完全な自分や、他人の望まない自分でも許す…。これができれば、他人に役割を押し付けることはない。自分を心から尊重することができれば、違う価値観の他人も心から尊重することができる。
逆に言えば、不完全で未熟なあらゆる自分を、心から自分自身が尊重できない限り、違う価値観の他人を尊重することは不可能だとも言えるだろう。

これが社会に浸透すれば、我が国の激低幸福度を上げる要因になるのは間違いない。みんな自分のことを大事にして自分に集中してるから、他人の関係ない問題で謎にキレる人も少なくなるわけだ。はるかに全員が生きやすくなる。

しかし言うは易く行うは難し。取り入れるデメリットは、共依存を手放す必要が出てくるのだ。簡単だと思われるかもしれないが、共依存的な生き方をやめると初めてわかるだろう。自分の人生が上手くいかないことを、他人のせいにしている間はすごく楽だったことを。

共依存をやめるということ

最後に少しだけ私自身の話をしよう。
共依存の関係や考え方を全て断ち切った後に待っていたのは、他人の話ばかりすることで見ないフリをしていた未熟な自分自身や、うまくいってない自分の人生の問題と向き合うことだった。

自由には責任がついてくるのだ。他人に自分の幸せや在り方について、何も言わせない代わりに、他人を言い訳にすることができなくなる。共依存を手放すということは、うまくいかないことも、自分の行動の責任も、メリットもデメリットも、全部自分が背負うことなのだ。

目の前に大きな問題―例えば、酒を飲んでモラハラやパワハラを平気で行い、1000回「もうしないから」と謝られようと、何も改善しない人間に世話をし続ける関係―それが無くなった時、問題を引き起こし、周りに迷惑をかけたのは自分だった。

今まで痛みや自分の不幸に対して「他人のせい」がワンクッション入ってくれていたが、共依存を止めると自分にダイレクトアタックでやってくる。
もはや逃げ場が無くなり、自分自身の歪んだ生き方・価値観を見直し続けなくてはならなかった。正直「こんなことならヤバいやつに依存してた方が、自分は被害者で、可哀想で、悪くないと一生言えたのに。」と、本気で思ったこともあった。

それでも、共依存的な生き方をやめ続けることで得られるものがあったから、今もやめ続けることを選択している。

やめ続けて初めてわかったのだ。大きな問題があろうとなかろうと、自分を貶めて、傷つけていたのは、誰よりも自分だった。
傷つける人がいるのではなく、傷つけ自分を尊重してくれない人の傍に、わざわざ近くにいこうとする自分がいただけだ。自分の存在を一番自分が軽視していた。

変えなくてはならないのは他人ではなく、世界でもなく、自分自身だった。周りが変わっても自分が変わらなければ、自分の世界は変わってくれなかった。

他人のせいにしない人生は、自己選択の連続で緊張してしまう。
他人の望みがわかっていてもなお、それに沿わない自分の意見を話したり実行することは、いつも勇気がいる。

だけど自分の責任で選んだからこそ、自分の過ちを受け入れられるようになった。その時に初めて痛みも失敗も苦しみも、自分のための経験と学びして消化することができ始めた。
自分を主軸に取捨選択するほど、自分にとって本当に幸せな環境ができあがっていく。

他人の評価を気にし、依存して、承認を追いかけ、偽りの自分を演じ、褒められ、認められていた日々にいつもあった「自分なんて死んでも傷ついてもどうでもいい存在」という虚無感は、いつの間にか消えていた。

誰のためでもない自分の人生は、世界でたった一つの、自分だけのもの。
そんなオリジナリティーと愛おしさで溢れている自分自身を、もう誰にも譲りたくない。

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▼共依存の回復マガジンを作りました▼


明確に引用してる文献(アマゾンで売ってるもののみリンク付き)

▲自著です。専門家6名の監修付き♥よければぜひ。


アダルト・チャイルドが自分と向きあう本 - アスク・ヒューマン・ケア研修相談室
『Be!』増刊号No.18 ACの生きる力!【回復と成長のプロセス】 - アスク・ヒューマン・ケア
ACの12のステップ - フレンズインリカバリー

思考の参考文献
子どもを生きればおとなになれる―「インナーアダルト」の育て方 - クラウディア ブラック
「自分のために生きていける」ということ - 斎藤  学
共依存 苦しいけれど、離れられない - 信田 さよ子
アダルト・チルドレンという物語 - 信田 さよ子
共依存症12ステップへのガイド - メロディ・ビーティ
依存症のすべてがわかる本 - 渡辺 登

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