デジタル・ラストワード(第二話)

 電車に揺られて数時間。
 郊外にある巨大なビルのエントランスで、賢木哲夫は右往左往していた。

 大柄な男性が、スマホを取り出しては時間を確認し、キョロキョロと辺りを窺ってから再びスマホを取り出すその様子は、さながら不審者のようだった。
「場所はここで会っている……よな? 時間は……あと十分。そろそろか?」

 賢木哲夫は休職中で、求職中の身の上だった。
 人間関係で、勤めた会社を退職し、手当たり次第に採用試験を受け続けること約半年。
 最終的に合格したのは、面接中に居眠りをしてしまった、とある情報系の小さな会社だけだった。

 スマホの時間が待ち合わせの五分前を示した瞬間、哲夫は決意を固めて受付にある受話器を手に取った。
「VRQ株式会社です」
「賢木哲夫です。あの、今日から働くことになる……」
「ああ、賢木さん。お待ちしておりました! すぐに行きますね!」

 すぐに、という言葉の通り、通話がきれてから数分も待たずにエレベーターの扉が開き、スーツを着た男性が現れた。
 気のよさそうな笑顔の男性は、哲夫に向かって手を振りながら小走りで近づいてきた。

「賢木さん! お待ちしておりました、ようこそVRQ株式会社へ!」
「あ、ああ……えっと?」
「私は鈴木です。それでは、移動しながら話しましょう。ついてきてください」

 鈴木と名乗った男性は、返事も待たずに振り返り、エレベーターに乗り込んだ。
 哲夫も慌てて彼のあとを追い、地下深くへと向かうエレベーターの中で、何も話さない鈴木に声をかけた。
「あの……鈴木さん? 俺は、どこに向かっているのですか?」
「特別VRルーム……面接の時にも使用した、端末のある場所ですよ」
「端末……?」
「はい。実は賢木さんには、期待が集まっているんですよ……っと、着きました」

 最下階への到着を告げる電子音が鳴り、エレベーターの扉が開く。
 そこは、地下駐車場のように何もない空間で、カプセル型の機械が数台並べられていた。
 そのうちの何台かは人が入っているようで、蓋が閉じられて中が見えないようになっている。

「賢木さんは、そちらを使ってください」
 鈴木に言われるまま、哲夫はカプセルの中に足を踏み入れた。
 ベッドにもたれかかり、体重をかけると後ろに倒れると、貝のように蓋が閉じられる。
 完全な暗闇の中、頭上から下りてきた機械が頭部に取り付けられ……気がつくと、少女の目の前には真っ白な世界が広がっていた。

 賢木哲夫の元の姿は面影もなく、そこには一人の少女が言葉を失い立ち尽くしていた。
 そんな少女の真後ろに、人の気配が現れる。
「ようこそ、メタワールドへ!」
 声のした方に目を向けると、そこには、RPGに出てきそうな服装をした、男が立っていた。
 服装はともかく、顔や身長はついさっき見た鈴木と変わらない。
 少女は、今の状況と自分自身の姿に戸惑いながら、鈴木の顔をした男に問いかける。
「ここは……? というか、これは、どういうことだ?」
「ここは我が社のローカルワールドです。さて……まずは記憶をフィードバックしますね」
「フィードバック……?」

 男が手元で、少女からは見えない何かを操作すると、少女の中に記憶が流れ込んできた。
 それはつい先日の面接時、少女がメタワールドで体感した記憶だった。

 自由に世界を駆け巡ったこと。
 凶悪な熊から逃げ回ったこと。
 そして、花畑で出会った、熊を倒す令嬢のこと。

「そうか、つまり俺は、ここに来るのは二度目……なのか?」
「おっしゃるとおり! これは人を量子的に接続する技術です。アバターの姿は、深層心理を反映させているわけで、私がこのような格好をしているのも、私自身が自分自身をこう認識しているから、というわけです。少しお恥ずかしいですが」
「いや、それを言うなら……いや、なんでもない」

 口をつぐんでしまった少女を見た男は、気持ちはわかる。と言いたげな顔で頷きながら、少女に向かって口を開く。
「そしてここが、私たちの職場です。さしあたって……まずはあなたの名前を決めましょう」
「名前?」
「私たちの会社では、こちら側では互いにハンドルネームで呼び合うルールがあるんです。ちなみに私はこちらでは『ベル』と名乗らせてもらっています」
「なるほど、ベルさんか。……だが、名前なんてどう決めれば良いんだ?」
「えっと例えば……あだ名とか、ニックネームとか。あるいはネットゲームで使っていた名前などはありますか?」

 ベルに問われた少女は、考えるように何もない天井を見上げた。
 今までのことを思い出す。ネットゲームをしたことのない少女は、今までのことを思い出す……
「あだ名……例えば『テツ』とか?」
「直球ですが、良いですね! では『テツ』で登録しますか?」
「いや、待ってくれ。よく考えたら俺はこの容姿だから……もう少し、そうだ。フィロソフィア……『フィロ』って名前で登録してくれ」
「かしこまりました。ではこれからよろしくお願いします、フィロさん」
「あ、ああ。こちらこそ、よろしくな、ベルさん!」

 フィロがベルと握手をすると、その瞬間にベルの身体にノイズが走った。
 見間違いかと思ってフィロが目をこすって確認すると、ブレはどんどん強くなっていく。
 そして当の本人であるベル自身は、こうなることがわかっていたかのように、落ち着いた様子でフィロを見ている。
「ふぅ、間に合って良かった……さて、フィロさん」
「あ、ああ……大丈夫なのか?」
「私はどうやらそろそろ時間切れです。フィロさんの教育係に引き継ぐので、あとのことは彼女から聞いてください」

 最後にそう言い残し、ベルの姿は完全に消滅した。
 上下左右、真っ白一色の空間にフィロが一人取り残されて、直後、何もない空間から一人の女性が姿を見せる。

「初めまして、私はかぼちゃ。えっと……フィロさん? の、教育係のかぼちゃです。よろしく」

よろしくお願いします。