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帽子との相性が良くない私の場合の頑張る話

極めて帽子が似合わない私のことを話そう。そう、私も帽子については、さり気ない風を装ってはいるが、実は頑張っている。では私は、いつ、どこで、だれが、なにを、どのように、頑張るか。まあ、「いつ」についてはこの時期に頑張ると宣言するのだから、とりあえずはこの一年間ということにしよう。続いて、「どこで」については、最初は外出の時、しかもオフィシャルではない外出から、次第に時々はオフィシャルの場でもみたいに、時間も場所も拡張して行くの方向でかな。次の「だれが」と「なにを」は、仮に帽子が主語だとしたら、君が僕を選んだのか、まあ仕方ない、せめて上手に被ってくれよ、そう、モンベルのこの俺を一番いい感じで見せてくれみたいな帽子自身の自己主張と捉えてみようか。ただ、主語が被る人だとしたら、帽子の期待に沿うような被り方の工夫をどのように頑張るか、結構なプレッシャーを感じながら、例えば、目深に被る、ツバを左右に、或いは後ろに振ってみるなど、また、服とのコーディネートを変えてみるなどするのか。もうここまで考えると、うっかりと「どのように」にも言及してしまっているが、でもここで問題が一つ、この頑張った結果の評価を誰がするのか。私の経験から言えば、まず被った時のフィット感から恐る恐る鏡の前に行って変身した新しい自分との対面の時、そこに今までとは違う新しい自分が居るのか、わー居ないわ。却って変なおじさんだわなどと、自分に突っ込みを入れては取っ換え引っ換えしながら、ただ、あまり帽子売り場みたいなところに長居は出来ない自意識過剰な自分も居て、ちゃっちゃっと値札なんて見ないでぱっぱっと決める潔い感じを店員さんにみて欲しい的な自分も居て、そんなこと自体を感じてしまう自分を恥じながら、葛藤することにまた悲しさを感じながら、レジに向かいお金を払う。あくまでも帽子はついでに寄ってオマケで買っているのよみたいな体で、その場の空気感を演出する。
さて、自宅に帰って、手に取って鏡の前で被る。あれ違う、お店で被ってた感じと違うぞ。お姉さんは似合いますって言ったじゃないか。えっ、もっと明るいところで被ってみる。可笑しいなぁ。おいと、振り向いてかみさんに被ってみせると、間髪を入れずに吹き出し笑われてしまう。一度や二度のことではない、似合うとか似合わないとか、そんな問題でもない。幼少期から思春期を経て、還暦を過ぎた今日まで、大事に大事に抱え込んで来た身も心も小さいおじさんのコンプレックスのバリヤーは、かみさんの爆笑で木っ端みじんに吹き飛んでしまって、この修復にまたこの一年をかけるのであります。そうは言っても現場は動いているから、後は見慣れて貰う以外に手はないか。

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