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親鸞

二泊三日のJRでの東京出張は、昨年2月1日に亡くなった自立生活運動の活動家の川元恭子さんの追悼集会、命を削りながら、沢山の個人や団体を支援し駆け抜けた様子が、出席者全員から語られるにつけて、川元氏が大きな存在であったこと、残された私たちには、その志をつなぐ使命があることが伝わって来た。往復のJR車中で「親鸞」上下(五木寛之著)読了、障害者運動の活動家と宗教者「親鸞」がシンクロして、心が躍った。一方は各団体の代表が自立生活の理念が伝わらないもどかしさに悩み、もう一方、親鸞は「南無阿弥陀仏」の念仏が伝わらないと悩む。思いが足りないのか、理解が足りないのか、伝え方が悪いのかと。代表も追悼集会の中で、川元氏からはたくさんのことを学んだ。中でも「もっと人にこだわりなさい」と教えられたことが印象に残っているとしみじみと話していました。
20150208


先月末から読み始めた「親鸞」上・下、今月に入って「親鸞激動編」上・下、「親鸞完結編」上・下とのめり込んで読んでしまった。人は生まれながらに、他の動植物の行きとし生けるものたちの命を頂くことで命を繋いでいる、つまり殺生という悪を為すことで生きて行くという罪深い存在なのだと言っています。だから生まれながらの罪を許してもらい、極楽往生を願うために念仏を唱えるのだと。まあ自立生活センターで言えば、理念を伝えるために、話してみたり書いてみたり、研修に行ってみたりするということでしょうか。うーん、あんだけ感動してて、どんだけ表現出来ないんでしょうね。これじゃ今回も伝わらないわ。
20150221

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