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相模原障害者施設殺傷事件

 7月26日、朝からとんでもないニュースが飛び込んで来た。目を背け、思考を強制的に止めた。連日のワイドショーなどのコメンテーターの言葉にも耳を閉ざした。
 3日後に当事者研究の第一人者である東大先端技術の熊谷晋一郎准教授がファイスブックに次のような投稿をした。・・・相模原の事件報道以降、気持ちが落ち着かない理由の一つは、リハビリキャンプでの記憶が侵入的に思い出されるからだということに、今朝、なんとなく気が付いた。自らも障害を持つ治療者が、こっそりと寝た切りの私たちを足で踏みつけるときに感じた無力感と恐怖感がまとわりついて離れない。相模原の事件の被害者となった方たちが、どれほど怖かったか、どれほど無力だったかと、想像することがやめられない。相模原の仲間たちは、まぎれもなく、私なんだと感じている。住み慣れた街の景色が変わって見える。ふいに襲われないかと、信頼の底が抜ける。先人たちが何十年もかけ て踏み固めてきた地盤が、大きく揺らいだように感じて、めまいがする。怒りを通り越した無力感で、内臓ごと落ちていくような脱力感を覚える。 今の願いは、もう一度、確かに私たちの受け継いできた「生きていてよい」という思想を、仲間たちと確認し合いたいということにつきる。・・・
 この人の言葉だけを信じようと思った。この 20 年間でも、 1995 年の阪神大震災、 2001 年アメリカの同時多発テロ、 2011 年東日本大震災、テレビの向こうで燃え続ける街、崩れ落ちるビル、押し寄せる海、そして今回の事件、何が起きてもテレビの向こうだから大丈夫。それぞれの事件に言及することイコール偽善者という私的図式、当事者でない限り正解にはたどり着けるわけがない。時間が経てば、何事もない日常の流れに戻る。正論はいくらでも言えるけど、自分との繋がりを明確に整理出来ないし、まして行動になんて移せない。自分や家族の限りなく近くに起きるまで対岸の火事なのか。こんな具合に大きな災害や事件が起きる度に、私の超低性能の思考回路は、結論にたどり着かないまま、可及的に日常生活を楽天的に送ることに逃避してしまう。何も出来ないでいる言い訳を、私にしか出来ないことがまだ見当たらないと いう答えに変えてしまうのか。もうすぐ終戦記念日だ、 71 年前の広島や長崎の熱さを、毎年のようにこの夏の暑さの中に触れてみて、辛うじて「原発はいらない」シールを車に貼って、小さく小さく世界平和を訴えてみる。

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