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ベクトルの違い

 アパートの外にあるセキュリティーから教えられた部屋番号を入力して、呼び出しを押すと、しばらくして、本人が手すりを伝うようにして、外扉のロックを解除しに出て来る。室内からの開錠はうまく動作しないらしい。玄関から通されて、お邪魔すると、1Kのアパートは、玄関から左手にユニットバス、右手に対面のキッチンがあり、その奥がとベッドとホットカーペット、ただ、そのカーペットの上には趣味のアニメやら時代劇のDVDが所狭しと積まれている。カーペットの上の僅かに空いたスペースには畳まないで置いてある洗濯物の山、パンツあり靴下ありなのだ。夕食は全てお惣菜、台所に立つのはカップ麺にお湯を入れる時くらい。

 このアパートで一人暮らしを始めて約3年、脳性麻痺の障害があり、外出時は装具を付けるが、室内は手摺やら壁やらに掴まることで移動している。起床は5時半、会社からの送迎バスに乗り、職場に行く、帰るのは夜の7時前後、かなり疲れてしまうらしい。食事は全てお惣菜、楽しみは寝るまでの時間のDVD鑑賞、あっと言う間に就寝時間、週末まで疲れを繰り越して行く。そして、やっと迎えた週末に、楽しみにしているヘルパーが90分の家事援助に入る。時間との闘いで掃除、洗濯をする。Aさんはその合間にヘルパーとの世間話が至福の時間だと話す。週1回90分では足りない、もっと時間があれば、せめて土曜日だけでなく日曜日も入ってもらえれば、散乱した部屋も片付くし、ヘルパーさんの手作りの料理も食べることが出来る。

 そんな思いで、僕の話はあまり聞いてもらえないし、厳しいことばかり言われるのは分かっているけれど、継続的に相談を担当している某相談支援事業所に相談を依頼した。一人では思うところの半分も相談員に伝える自信がないからと、私に立会いを頼まれた。

 さて、〇月〇日19時から、アパートでAさん、私、相談員の話し合いが始まった。 相談員「役所から時間数が少ないと聞きました。どこが足りませんか。」Aさん、上記のような内容をたどたどしく説明。 相談員「ヘルパーさんが掃除、洗濯をしている時、Aさんは何をしていますか。」Aさん「ヘルパーに指示を出しています。」相談員「支持をするだけですか。Aさんは洗濯物を畳んだりしないのですか。」Aさん「僕は畳むのが下手なんです。」相談員「買物がどうされてますか。」Aさん「重くないものであれば、自分で近所のスーパーで買い物をします。ただ、水のペットボトル6本入りが安売りの日なんかあると、買いたいけれど、重くて持って帰れないので、買わずに我慢します。」相談員「ヘルパーに料理をして欲しいと言いましたが、Aさんは料理は出来ないのですか。」Aさん「僕は料理なんてしたことがありません。」相談員「Aさんは自分で料理をしたいと思わないのですか。」「ヘルパーと一緒に教えてもらいながら料理を覚えようと思いませんか。」「Aさんが将来、自分で料理を出来るようになるという目的があれば、そのための時間は増やせます。ただ、自分で出来ることをしないで、ヘルパーに料理を作ってもらうというのでは、時間確保は出来ないです。」「掃除や片付けなども、Aさんが自分で出来ることはやって、それでも出来ないところにヘルパーという福祉サービスが発生するわけです。」

 私「あのね、相談員さん、このアパートで数年間を過ごして来た今のこの状況が、Aさんの生活スタイルなんですよ。仕事を一日やって、へとへとに疲れて帰って来て、お惣菜を食べて、時間をかけて一人でお風呂に入って、さあ、寝るまでの時間、大好きなDVDを観て英気を養う。この生活の繰り返しが、彼が大切にしている毎日ですよ。洗濯物なんて、毎日畳むなんて考えたこともないし、料理を自分で作るなんて考えたこともない。これから不得意な洗濯物畳みや料理を覚えないとヘルパーの派遣時間を増やしてもらえないですか」
相談員「おっしゃることは分かるのですが、自分で出来ることはしてもらわないと、いけませんね。」私「ここは学校の寮とか施設ではないですよね。集団生活ということであれば、それは嫌なことでも守らないといけない部分もあるでしょう。でも、ここはAさん一人の生活の場ですよ。Aさんが送っている生活が第一ですよ。私の常識、相談員さんの常識なんて、なんの意味もないのですから。ここでは、Aさんの生き方を最大限に尊重する形に、制度を駆使してあげる姿勢が大切だと思いますよ。私は、障害がありながらも一人で生活を送っているAさんに拍手を送りたい。健常の私の生活のだらしなさ、掃除なんて気が向いた時、お客が来るぞという時しかしない。洗濯物も干しっぱなしの中から着ることだってある。(きっと私が独身で一人暮らしだったら、ゴミの山の中、万年布団で、それを普通と思って胸を張って暮らしていると思います。ここは言いたかったけど、言わなかった。)」・・・
 相談員「今までのお話しを聞いて、私どもでは、今回の相談は受けかねます。他にも相談支援事業所はありますので、余所をあたってみて下さい。」以上、こんなやり取りがありました。相談支援事業の視点の違い、ベクトル違いで、受けた相談の行方は大きく違ってしまいます。これだという正解はなくていいけれど、せめて当事者の方が心を寄せられる、当事者の側に立ち不完全な制度をつなぎ合わせたり、押し返したりしてくれる姿勢は必要だと思うのです。福祉サービスを利用するのに、その人の生き方、生活スタイルまで変える必要はないでしょう。その人の生き方を尊重しながら、寄り添うように手当するのが制度だと思うのですよ。制度を利用するために、人が窮屈に生活を変えてまで、合わせるのはおかしいでしょう。制度はこれからも更に、たくさんの窮屈な入れ物を作り続けるでしょう。窮屈な入れ物には、そんなに沢山の人は入れず、溢れてしまうのです。制度の箱に入れない人を、世間は未知の人、不安材料として捉えてしまいます。何かの箱に入りさえすれば、安心するのです。そんな社会でいいのかな。もっともっと緩く仕組みは作ってあげないとダメでしょう。長くなりましたが、そんな愚痴をこぼさずにはおれない出来事でした。
20130428

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