うみ

10,000 文字のナイトウォーク

 さあ、一日が終わる前の少しの運動は10 キロウォーク。ただ歩くだけでは面白くないので、10 キロは10,000 メートル、1 メートルに1 文字ということで、10,000 文字に変へてその様子を伝えられるだろうかなどと、ある日突然に思いついてしまった。それで書き始めた次の日、偶然というか必然だった
のか、たまたま書店で手にした文庫が村上春樹の「走ることについて、語るときに、僕の語ること」という長いタイトルのもの。若い頃から走り続けて、毎
年フルマラソンを走っているという話なんだけど、まあ、こんな感じで実に格好いい。「ハワイのカウアイ島、ノースショア。あきれるくらいさっぱりと晴れわたっている。雲ひとつない。今のところ雲という概念の暗示すらない。・・・いつものようにコンドミニアムを借り、朝の涼しいうちに机に向かって仕事をする。たとえば今はこの文章を書いている。」
到底、及ぶなんて考えてもいないけど、なにか違う方法でヘタレな私なりに
表現できないものかと。この到底及ばないの程度はどのくらいかと言うと、例
えばこのくらいなのかも知れない。
 高校の部活、器械体操の県大会、しかも予選、種目はオリンピックと同じで
6 種目、普通高の弱小体操部、それでも高校3年間の集大成。弱小故に各種目
をこなすだけで精一杯。得意種目は跳馬、この時の得点は7.8、過去私的最高
得点。最後の種目は鞍馬、佐伯鶴城のあいつは得点9.7、あいつはその後、そ
のまま体操で日体大に行きオリンピックにも出場したあいつのこと。私の番が
来た。手を挙げて声を出して、両手で鞍馬に取り付いて旋回3回、次は足を左
右の開いての振動技、1回、2回、再び旋回と挑んだものの、バランスと力不
足で後方に落下、気を取り直して演技を再開するも再び落下、もう鞍馬の上を
這っているとしか見えないような、演技と言うにはほど遠いもの、それでも着
地らしきことをして両手でエンディングのポーズ、得点を待つ。ただ今の得点、3.5 の表示、それでも高校3年間の練習を全て出し切った充実感に包まれてしまった。この時のあいつと私の違いくらいの差が、到底及ばない感じでしょうか。いやいや、もっとでしょうと言われそうだが、そこは目をつぶって頂いて、そろそろ本題に入りましょう。
 さて、昨夜から寝間着替りに着ている半そでTシャツはそのまま、汚いと言
われそうだから言い訳をすると、秋分の日の今日は、朝からほぼ本を読みっ放
しの一日だったから、汗もさほどかいていないから、洗濯物を出来るだけ少な
く済ませたいから、まあそんな理由の着た切り雀ということでご理解いただい
て、ロングレギンスにショートパンツと靴下、それに去年参加した100 キロ
ウォークで履いた、カガシヤで6500 円くらいで購入したシューズと、右腕
にはジェントスのLEDセーフティーバンドを巻いて、右手に汗拭き用のバン
ダナを持ち、左手に小型LEDライトを持って、会社携帯とruntastic アプリ
でウォーキングを記録するためのiphone をウエストバッグに入れて、21 時
過ぎに自宅を出て歩き始める。何かにつけて形から入るタイプ。ここ最近の歩
き始めのきっかけは、去年の誕生日に子供たちがプレゼントしてくれたエアロ
バイクが、ちょっと嬉しくて、1月から暖かい春が来るまで漕ぎ続けること3
ヶ月。と同時に、漕ぎながらの手持無沙汰解消に手に取った本、面白いように
集中して読書が出来ることに気が付いて、そのまま読書にも弾みがついて今日
に至る。天気は曇りで月も星も見えない。まず目に入るのは不夜城の東郵便局、時間外窓口にはいつも人が居る。明野から下り込む郵便局前の道も車が途絶えることはない。コースは基本左回り、金の手の交差点から森町バイパスに折れる。左手にカカシヤがあり、隣には昨年オープンしたしゃぶしゃぶ屋MKはまだ営業中、先週だったか銀婚式は家族4人でここで、しゃぶしゃぶ食べ放題で形ばかりのお祝いをしたばかり。味とかサービスについては、ここでは止めておこう。向かいのローソンは、我が家のご用達、どんな深夜も出這入りが途絶えない。強烈なとんこつの匂いはラーメン屋「虎の夢」、かなり繁盛している。新鮮市場、ナフコ、反対側にはサイクルショップコダマ、昔々、私が小学校の頃、金池の踏切の脇にあった自転車屋さん、良くテレビやラジオに出るオーナーの児玉憲明さんのお姉ちゃんが同級生だったと思う。自転車の修理は大体ここ、オープンが11時なのが残念。ダイソーがあり、ミスタードーナッツがあり、完璧に飽きてしまった大分からあげを通過して、次の匂いはブンカラ弁当のから揚げ油の匂い。マルミヤを過ぎ、マックを過ぎ、お好み倶楽部を通過、ガソリンスタンドエネオス、かつてはここだったけれど、ここ最近は、少し先に出来たあぶらやで現金会員になって給油するようになった。ヤノメガネ、基本左側を歩くことにしている。向かいには丸亀製麺とかっぱ寿司。今夜は湿度が高いせいか、ここらで少し汗ばんで来る。季節は秋、自転車にはいい季節だけど、ウォーキングは夏がいい。流れるような、体の水分が全部入れ替わるくらいに汗をかける。向こうから自転車が無灯火で近づいて来る。左手のLEDライトを点けて歩いていることを知らせる。豊和銀行に大分銀行、向いにはビデオ屋ゲオ、車の通りはまだそんなに少なくはない。森町バイパスは日中の渋滞が常、夕方も17 時から20 時の時間帯、20 時から22 時の時間帯と段階的に交通量が変化して行く。今は夜間帯から深夜帯への移り変わりの頃、この辺りには静寂はない。何度も閉店を繰り返す紳士服のフタタがあり不二家があり、向こうから夫婦連れのナイトウォーカーが近づいてすれ違う。少し太り気味の奥さんにもう少し早く歩くように無言のアドバイスをする。お前もなと言われたような気がしなくもない。腕の振りを肘を伸ばした振りから、曲げて胸あたりまで折り曲げる振りにチェンジ。ブックオフからみらい信金、いつも誰かが洗濯を待っているコインランドリー、ジョリーパスタの交差点で信号に捕まる。昨日の10 キロの疲れが足のあちらこちらに違和感として残っている。間もなくやってくる筋肉痛の兆しであることは間違いない。この歳になると身体の反応が一日、完全に遅れて出て来る。筋肉痛がそう。そのことを忘れて畳みかけるように酷使すると、痛みが筋肉を繋ぎとめている腱に及ぶ、こうなると心地よい痛みが少し不快な痛みに変わる。その分、回復までの日にち薬の処方も長くなってしまう。ガストを過ぎて、日豊タクシーを横目に見ながら、TUTAYAや100 均のSERIEなど複数店舗で構成されたアクロスプラザ森町店、その一角の最後にある焼肉キングが強烈な匂いを道端に吐き出す。いい匂いなのか不快な匂いなのか定かではない。でもこれ見よがしに排
気口を何本も歩道に向けているからには、自信のある戦略的匂いに違いない。
でも、勘弁して欲しい。出来るだけ足早に過ぎたい場所になってしまっている。向いには移転して間もないダイレックスがまだ明る過ぎる照明で道路を照らして営業をしている。もう少し照明を落しても集客に影響はしないはず。移転と言えば、眼鏡市場もダイレックスと同様に移転していた。森町は北側に重心をシフトするのだろうか。ここらの成熟を優に通り越した郊外の街の行く末が心配になる。これからもゆっくりと破壊と再生と田畑を侵食する拡大を繰り返しながら、気が付けば大資本が同じような表情の街並みを絨毯のように敷
き詰めていく。ああ嫌だ嫌だ。そんなことを考えているうちに、オートバックスを過ぎて、向いにはトリミングスペースKがある。我が家の柴犬が爪切りでお世話になったところ、店員さんの接客が実におじさん受けしていいものだから、爪切りだけのつもりがシャンプーまですることになってしまった。そして、お宝発見、こちらは夜に元気な若者が集まる場所、元気が良すぎる時もあるのか、パトカーが居るのをよく見かける。パチンコ屋ルネックスを過ぎる。コープふらいるが見えて来たらこの直線も終盤、明るさと賑やかさを半減させながら、タイヤ館にまだ営業中のビッグアメリカンショップ、続いて、この地域の福祉のキーステーション豊寿苑、そしてヤマダ電気、ここの2階に私と同じ口唇口蓋裂と思しき可愛い女性店員が居る。何だか一生懸命に働いている様子に、いつも応援しているよとエールを送りたいなどと、今頃思ってしまうけれど、エールなんて送った日には変なおじさんと言われるに違いない。乙津川に向かう少しの坂を登ると別保橋、下流にはもう一つ乙津橋が臨海工業地帯や三佐のホテル街の夜景を背負って架かっていて、橋の照明が川面に映って揺れている。少しほっと出来る場所にも関わらず、ほぼ3キロ地点、アイドリングが終わって、これから早歩きにもスロージョギングにも切り替えられるポイント、ゆっくりのんびり物思いに耽ってもいられない。左手に大分岡病院、正面に鶴崎駅を眺めながら薄暗い坂道を下る。197 号線との交差点の左右が鶴崎商店街、交差点の手前左手にヒロというスナックがある。週末近くだとカラオケの歌声が漏れて聞こえるけれど、明日から平日の今日は、店も早仕舞いをした様子。飲まない私は、生涯ここの扉を叩くことはないだろうなどと思いながら、交差点を左折して、次の3キロの直線に入る。森町バイパス県道208 号線から豊後街道国道197 号線に進路変更したことになる。少し小雨がぱらついて来た。何を考えて歩いていたのか、今となっては思い出すことも出来ない。とんかつ浜勝の交差点を過ぎ、メガネのヨネザワ、向いのグロリアホテル、ここら辺りの登りこう配の脇に雑草に覆われるように廃屋がある。長いこと目を凝らして眺めると、何か居そうな気もしないではないが、歩く速さが焦点を合わせる行為に制限をかけてくれる。乙津橋のたもとにはタックルベリーというやんちゃそうな名前の釣具屋がある。釣り具買い取りの看板表示がある。親父から預かっている古い釣り具たちをいつか持って来ようと思いながら、そのままにしていたことを、ここを歩く度に思い出しては忘れることを繰り返している。さて、歩道が広く煌々と明るいこの橋は、昭和25 年に造られた全長310 メートル、ボーストリングトラス桁橋と言われる土木構造物、構造計算の粋が集まった美しさを少しだけ味わいながら、ふと前方に見える女性を視界に捕える。距離にして100 メートル弱、腕の振りを大きくして歩調を速める。周囲の景色は後ろへと流れ、意味もなく女性との距離が詰まって来る。年の頃、20 代から40 代、20 メートルくらいまで近づいたところで、後ろを振り返った。気配に気づかれてしまう。他意があるわけがない、くれぐれも失礼のないように、歩道の端っこにコースを替える。さらに近づく、コンコンと咳をしている。風邪を引いているのかも知れない。この時間に一人で歩く女性の目的地はどこなんだろう。私の足音が恐怖心を煽ることにはならないだろうか。善良なおじさんですというゼッケンがあるではなし、追い越す時に態度で示すしか方法はない。もちろん、この時の態度は無言で何もなかったように近づいた時と同じペースで遠ざかるだけ。一抹の寂しさを感じるのはいつものこと。丁度、その時、海側にかかる鉄橋を登り特急ソニックが通過するのが見えた。橋の上での女性とのすれ違い、この束の間の出来事をそのまま白い車両が記憶から消しながら過ぎて行く。少し下りながらしばらく進むと、交差点の手前左手に、まだ行ったことがないお好み焼き屋道とん堀がある。気になるのは私と等身大の狸の置物、ついついご苦労さんとか何とか話しかけてみたくなる。ローソンとエネオスの交差点を通過して、パチンコ屋ワンダーランドの駐車場を過ぎる。どこからともなく残飯臭い匂いがする。地方都市の生活臭、臭い物にフタをするようになって久しいけれど、こういう匂いが街にも地域にも必要なように思う。トヨタカローラのガラス張の店舗、誰か侵入者でも居ないか確認するともなしに見てしまう。常備灯がたくさん点き過ぎ、時間外も店舗広報としての役目を担っているのだろうか。亀の井タクシー事務センターを通過、お気に入りのラーメン屋太一商店を過ぎて信号に捕まる。小さな橋を渡る。何という名前の橋だろう。ネットで調べてみたら大野川水系は今堤川に架かる今堤橋だと分かった。物凄い発見をしたような気になってしまう。いつか得意な顔をして、この橋の名前を知ったかぶって言うんだろうけど、それが何かと切替されるのがオチかも知れない。コンビニのセブンを通り越して、ラーメン十五万石から道は197 号を左に逸れて市道桃園下郡線へ、左手にはまだ行ったことがないお食事処金なべ亭、一階が駐車場になっているところをみると、階段で二階に上がる構造、基本、車椅子を拒否しているお店と思われる。そうかそうかなるほどな、などと思いながら、少し進んで行くと右手に大分典礼があり、営業中の様子、車や人の出這入りがある。大切な人がお亡くなりになられたのか、通夜の後、これから親族で夜伽の時間に入るような気配、心持ち厳かに通過させて頂く。ここから山津の交差点まで照明が街灯だけになり暗がりとなだらかな登りが続く。とは言え、足元を照らさなければ歩けないような暗さはない。確かに見えはしないけれど、経験的に状況的に足元の変化を感じることは出来る程度の暗さということである。山津交差点を過ぎると、右手に千歳郵便局とローソン、子供たちが小さいころ行きつけだったももぞの小児科クリニック、今も院長からのパソコンSOSの際には駆けつけさせて頂いている。すぐ左手にハッピーリサイクルという名前の家電無料回収所がある。たくさんの冷蔵庫、洗濯機、自転車、エアコン、どこからか漏れ出ている油の匂いが鼻を突く。でも、一度はやってみたい業種の一つ、生活雑貨から大型家具まで、或いは、医療福祉やITに特化したもの、古本なども扱うリサイクル事業もやってみたいと何度思ったことか。もう年齢的にも情熱的にも、何と言っても資金的にも起業なんて出来はしない。
 そんなことを考えていると、理容パリスとベスト電器の交差点、左に身体を倒しながら曲がると、県道610 号松岡日岡線に乗り換える。ここから後半に
なる。スロージョギングに切り替える。まずは歩く速さで始めてみる。別居するまで、かみさんが利用していたデイケアがある真央クリニック、オレンジ
色のペットショップを気にしながら、足が地面から上がらないように、呼吸が乱れないように、足に無理な負担がかかっていないように点検をする。呼吸
は昨年の10 月に煙草を止めたお陰で、殆ど息は上がらない。きっと脈拍も差ほど上がってはないと思う。以前、スポーツジムに通っていた時に、エアロバイクにしても、ランニングマシンにしても、脈拍計測のために耳にクリップを付けて漕いだり、走ったりするけれど、個別に年齢設定をしているものだから、50 代は140 を少し超えたあたりで、警告がなってしまって、マシンのスピードまで自動的に落とされてしまうことがあって以来、クリップをすることを止めてしまったと同時に、面白さ半減でジムまで止めてしまったことがある。インストラクターのお姉さんは可愛かったのに残念なことをした。ここのところ心配なのは膝の痛み。自転車通勤で調子に乗ってスピードを上げると、3日目には痛み始める。最近は抑えに抑えて通勤している。ちょっと気を抜くと、原付きバイクや路線バスと競争してしまう。悪い癖である。天気が思わしくない日で、夜、雨でない日はこうして歩くようにした。カロリー消費的には往復50 キロ、ペダルの回転に力を使う自転車通勤と、全体重が乗っかる10 キロウォークは、ほぼ同じカロリー消費のような気がする。パチンコ屋パーラーエル明野店を過ぎ、池平橋を渡る。この池平橋にしても、先ほどの今堤橋にしてもそうだけど、ものの名前を知っていることから始まり、その名前の向こう側にある少しの物語を知ることの大切さは知っているものの、そうそう出来ることではないと言うか、全く出来ない。庭の雑草、道端の雑草の名前を皆、知っていたら今とは違った人生を送っていただろうなと思うことがある。
 コンビニのセブンとローソンが向き合う交差点、駐車場から出這入りする車
両に引っかけられないように注意をしながら進む。ビデオ屋があり、大資うど
んがある。24 時間営業、いつもお客が入っている。2度ほど行ったことがあ
る。その先には、ガソリンスタンドエキスプレスの明かりにライトアップされ
ながら、気になる焼肉みうら、気になると言うのは亜李蘭より高いのか、山崎
より安いのかが気になるという、どうでもいいこと。池の平郵便局からドコモ
ショップを通過し、猪野団地入口交差点で信号待ち。膝から上、大腿四頭筋の
外側に違和感が出始めた。ここから一気に明野東交差点までスピードを上げる。と言っても、時速6キロ程度のような気がする。呼吸は苦しくはなく、先ほど感じた足の違和感もそれ以上には大きくなっては来ない。冒頭に書いたけど、村上春樹は時速10 キロ強で20 年以上走り続けているというだけでも十分過ぎるほど凄いのに、しかも大作家というからもう神にも近い存在に思えてしまう。ただ、私の器械体操といい、このスロージョギングといい、このレベルの低さが割と自分自身気にいっているところが救いようがないのかも知れない。明野東交差点が近づく、信号待ちしている車たちを追い抜く感じが気持ちいい。交差点で歩きに戻し、膝を放り出すような歩き方で、膝を遊ばせる。県道21 号大分臼杵線をゆっくりと下る。改装中のヒロセを過ぎて、再びスロージョギングで明屋書店を、猪野交差点目差して上る。最後の直線である。ここまで来ると、ほとんど頭の中は深い思考、つながりのある思考をしなくなる。歩き始めて30 分くらいは、それまでの出来事を引きずるように思考が巡るものの、次の30 分くらいから目に入るものに関連した思考が多くなり、残りの
30 分はさらに浅い思考と歩くことの作業が終わる手前の充実感とが行ったり
来たりするのかも知れない。基本的に、無になるような瞬間すらないのが、歩
くという思考実態だと思う。人の思考のデフォルト状態を誰かが言及していた
けれど、五感から入力される刺激に反応するように、過去の記憶が明滅するよ
うなものなんだろうか。それにしても五感からの入力情報の量の膨大さに比べ
て、出力情報のなんと少ないことか。アウトプットするためには、主に口から
言葉として、或いは、手を使って文字としてしか出力出来ないこと自体に問題
もあるだろう。歩く動作を考えてみても、足の運びの連続の中に、足の裏から
の感覚情報を頭で処理して、重心移動を制御しながらバランスを取って行くよ
うな物理的な処理は入出力の差はそれほどないのかも知れない。歩く、走る、
自転車に乗る、車に乗る。速度と入力情報は反比例すると思う。でも、出力情
報は全身を出力装置と考えると、速度に比例して来るのかも知れない。F1ド
ライバーのドライブテクニックが物語っている。やれやれ、少ない知識で考え
たところで、学術的な結論がでるはずもないので、先に進もう。
 やっと猪野の交差点、ソフトバンクショップ前で信号を待つ間、軽いストレ
ッチ、信号が変わり明日来始めると、歩道橋の下をくぐり右手道路下に八坂神
社がある。この時間に見ると少し気味が悪くもある。あまりしっかりと目を凝
らさないように通過する。特にお化けや幽霊が怖いということもないけれど、
この歳になって、無暗に驚きたくはない。そう言えば、次男が16 歳くらいの
頃、まだ緑が丘団地に居た頃のこと、不登校で何もしないのも悪かろうと、新
聞配達を勧めた。最初は私と一緒に始めて、半年で独り立ち、よしよしと思っ
ていたら、配達途中のある場所が気味が悪いと言う。仕方なくまた一緒に配り
始めたら、一年経ったあたりで、次男がもう行けないと言いだして、結局それ
から半年、私一人で配達したことがある。霊感の強い人も居るらしいけど、私
は全くないから、どんな場所でも平気で行けてしまう。衣料品店しまむらが近
づく、ドラッグストアのざきとキリシタン公園、なかなかミステリアスな本宮
山常妙寺、ここから徐々に下りながら、ゆっくり歩く。右手に玉泉院、いつも
2階の窓が気になりながら、ここで葬儀をあげるみ仏の皆さんはちゃんと成仏
しているかな、などと思って、2階の窓に成仏出来ずに取り残された霊が居な
いことをチェックする。やっと東郵便局が近づき、金の手のグランドのフェン
スが切れる路地を左折。後は呼吸を整え深呼吸や軽いストレッチをしながら家路を辿ること数分。いい感じの疲労感、灯りの点いた玄関を開けて、iphone をウエストバックから取り出し、アプリからfacebook にシェアして、今日のウォーキングが終わる。
 今年になって晴れた日は、自転車で片道25 キロの職場まで通勤をして、時々思い出したように、こうしてナイトウォークをするようになった。ただ、夜は思った程には楽しくなく、まして月も星もない夜だったから、昼間の明るい躍動感、たくさんの人観察も出来ず、寂しい実況に終始してしまった。夜だから感じるであろうそれぞれの住処から漏れ出す生活感、悲しいことに平成の今日には、ほとんど感じることが出来ない。夕げの匂い、子供らのはしゃぐ音、夫婦喧嘩の音など、道行く私には全く届いて来ない。感じるのは、夜の帳の中で、歩く速度で肌を撫でる風の温度と湿度、行きかう車の走行音のバックグラウンドで流れる、この時期ならではの忙しない虫の鳴き声、雲に覆われた夜空の濃淡、街灯や信号機、車のヘッドライトやテールライトの光たちの明滅、なんとも忙しなく賑やかな夜である。私の子供時分の夜は、この季節だとせいぜい虫の鳴き声と、蒸気機関車が遠くを走り去る音くらいのもの、夜は限りなく静かに私を包み込んでくれていた。川の流れる音で眠った夜もあった。海の鳴りやまない潮騒でなかなか寝付けない夜もあった。
 こうやって思うままに歩くように書いて来てはみたけれど、もっとアンテナ
感度を上げて歩かないと、紙に線を引いて地図を描くように、絵描きが風景画
を描くように、文字で地図を描くことは、とっても難しいことが分かった。こ
れだと解像度の低いピンボケ写真にもならない。次は、サイクリングあたりで
書いてみようか。
 ここに及んで余談を一つ。子供たちに一緒に歩こう一緒に走ろうと誘ってみ
るけど、実にノリが悪い。何故、10 キロ歩くのか走るのかと次男が聞いて来
る。むむっ、何故とな。それは誰かに追われた時に10 キロくらい平気で逃げ
ていけるようにするためだと真面目な顔で言うと、何故追いかけられるのと聞
かれる。長く生きていると、理屈なんて関係なく追いかけられて逃げないとい
けないような状況が来るんだ。私の子供の頃は、やたらと追いかけられていた。嘘のような話と思うだろうけど、柿泥棒をして、その家のジジイに追いかけられた。祖母がほうきを持って家の外まで裸足で追いかけて来た。目があったというだけで、他校の学生にガンつけたろうと追いかけられた。お巡りさんにも追いかけられた。体育教師にも追いかけられた。この殆どが捕まって、こっぴどく叱られたことは言うまでもないけど、だからだから、子供たち一緒にどうだと。ここまで言っても、子供たちには私の思いが伝わらない。きっといつか、あの時親父が言っていたのはこういうことだったんだと気が付く日が来ることだろう。だから逃げなくていいから、せめて闘って勝つために格闘技を一緒にしようかと誘ってもみたけど、返って引かれてしまった。いずれにしても、子供以外の誰かに10 キロウォークの先にあるものはと聞かれたら、何と答えようか。もう100 キロは昨年24 時間かかって、業を背負うように、苦痛に顔を歪めて歩き抜いて、もう二度と参加しないと思ったのに、今年はエントリーが間に合わなかったけど、依存性の高い麻薬のようなイベントで、来年は
また参加しようなんて考えている始末。この歳になってもやってみたいことだらけ、仕事に必要な体力づくりと、いつか退職して、自転車でふらふらと日本一周でもする時の体力づくりを今からしているのだと言うことにしておこうか。
 いや、長々とここまで読んで頂いた皆さんには、大いに感謝です。ちょうど
村上春樹の本も読み終わりました。3日で読んで4日で書いたことになります。一方的に触発されながら、「歩くことについて、語るときに、私の語ること」の私バージョンの完成です。ここまでで目標の10,000 文字達成となりました。ありがとうございました。なかなかの達成感、10 キロ歩く以上の充実感がありますね。皆さんも是非、チャレンジしてみて下さい。

ここで頂く幾ばくかの支援が、アマチュア雑文家になる為のモチベーションになります。