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愛について

愛について語るのはとても難しい。

まず、愛という言葉は、愛というものを正確に表現するには、あまりにも手垢がつきすぎているのだ。
一歩間違うと、とんでもなくダサくて嘘くさくて信用ならなくなる。

そのため、愛について語るには、愛という言葉を使わずに、いかにその中核に沿ったものを言語化するかが大切になる。

そもそも、なぜ愛について語る必要があるのかが問題の本質とすら思う。

私に言わせれば、人間は愛を喰らっていきる生物なのだ。
人間の脳は、愛を必要としているのだ。

それは、生き物としては、正直どうかと思う。
効率的でないばかりではなく、非生産的で、あまり賢い選択ではないように思う。
少なくとも現時点の私の感覚からすれば。

愛の質と量が不足すると、人間は健やかさをてきめんに失ってしまう。
疑い深くなり、嘘をつき、許容範囲が狭くなり、他罰的になる。

愛を貯蓄することはなかなか困難だ。
あっというまに色あせてしまう。
愛された記憶をそのまま留めておける人が、いったいどれほどいるだろう。

けれども、
それと同じくらい、
人間は愛したい生き物なのかもしれない。
全く別のベクトルで。
いや、同じかもしれない。

循環すればいい、なんて単純な答えに満足できないほどにはひねくれてしまったのは、しょうがない。

愛情の純度の問題もある。
2割くらいエゴが入っていたって、愛情は愛情だ。
その2割に気付くか、その2割を許容するか。
2割のエゴが入っていることに気付かずに提供され、その2割を指摘してしまうと、またそれは厄介なことになる。

ああ、話が逸れてしまった。

愛は万能薬ではないのだ。
毒にもなりうるものなのに、あまりにも軽々しく扱われたりする。危機意識が低すぎる。
もっと丁重に扱うべきだ。
湧いて湧いて枯れない泉だと思っている輩が多すぎる。
タダじゃないのだ。
もっと言うなら、タダより高いものはないのだ。

純度の高い愛を自分自身に向けたら解決するのか?
いや、しないな。
それは根本的な解決ではない。
そもそも解決しようとするのが間違いか。

厄介なのは、そもそもの問題を解決しようとすると生きていられなくなることだ。
ああ何て面倒な。

ぐるぐるとした螺旋階段。
いったん立ち止まってしまうと、自分が登っていたのか降りていたのか分からなくなる。
出口をさがしていたのか。
てっぺんから地上を見下ろしたかったのか。

トップオブザワールド
ラブイズザギフトアップアバブ

空から降り注ぐ愛
それは陳腐で美しい

ニールニカを見つけること
それは知性

愛を与えること
それは私の王国に流れる金色の川

ギブアンドテイク
無償の愛なんて言葉があるから
愛がタダだなんて馬鹿なことを言う奴が出てくる。
タダで愛をもらえるのは産まれたての赤ん坊くらいだ。
赤ん坊の可愛さに匹敵するものも持たずに愛を求めるのは痛々しい。
無償の愛を受け取るべき存在になってから求めないと
お金をロクに払わないのに神さま扱いを求める老害と同じだ。
私がそういった老害にならない保証などどこにもない。

こういうのを、詰んでいる、と言うのかな。
愛を舐めんじゃねえ、とりあえず私が言いたいのはそういうことだ。


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