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しがないギター弾きの詩

幸と不幸(前編)

 帰京した智久は、幾つかの解約手続きを済ませて日常の生活に戻っていた。帰京して数日が経ったある日、帰宅した智久に絵里が改まって話しがあると言ってきた。
『何?・・・・・如何したの?』
『うん、・・・・お母さんが亡くなって大変な時期だと思うんだけどね。』
『・・・・・うん。』
俯き加減に話していた絵里が、智久の眼を見て言った。
『赤ちゃんが・・・・・、出来ちゃったんだよね・・・・・。』
そう言うと、絵里は目を瞑ってまた俯いた。母親の葬儀が終わり、帰京して間もないのにこの報告をしなくてはいけない。絵里は智久が精神的に疲れていたのがよく分かっていたし、何とくなく言い難い感じがして智久のリアクションが怖かったのだ。
瞼を閉じて俯いている絵里を、智久は強く抱きしめながら言った。
『気〜使わせたんやねぇ。絵里、有り難う。喪に服すって考えもあるけど、これを機に籍を入れよっか。広い所に引っ越して来て持て余すかなって思ってたけど、ここに来るのはお袋じゃなくって赤ちゃんだったか。』
そう言うと、智久は絵里の眼を見て語りかける。
『えぇ〜、岡本絵里さん。』
『・・・・・はい。』
『しがないギター弾きで、全く売れてないですけど。俺の奥さんに、なってもらえませんか?』
『・・・・はい。』
『有り難う、・・・・絵里。』
『って言うか、・・・・・責任を取りなさいよ!あはははっ・・・・。』
『あぁ、そうだよね!御両親にも、挨拶行かないとな。都合の良い日を聞いてさ、セッティングしといてよ。』
『うん、分かった。でも、そんなに気にしないで良いと思うんだけどな。』
『そんな事はないよ、こういう事こそキチンとしておかなければならないんだよ。』
『おぉ〜、流石昭和生まれのミュージシャンだ!』
『えっ・・・・・、あぁ〜そうか!絵里ちゃん、平成生まれか!』
『はい!平成二年生まれの、岡本絵里です。今度、昭和生まれのしがないギター弾きの妻になります。』
おちゃらけて、絵里が少しギャルっぽく言った。
『そうだよなぁ・・・・改めて考えると、俺と絵里って十歳離れてるんだよな。』
『そうなんだよオジさん!だから、優しく労わりなさい!』
『ほぉ〜い!』
この数ヶ月の重い空気を、吹き飛ばしてくれる良い知らせであった。

 智久が新しい生活と伴侶、そして新しい生命を授かった頃蒼子はストレスを抱えたまま鷲巣に相談をしていた。
『そうですね、会社の名義変更には弟さんの印鑑証明書が必要です。なので他の事も含めても、弟さんの印鑑証明書が届かないと何も出来ないのが現状です。話し合いをすると言ってもですねぇ・・・・、もう既に分割協議をする前に75対25の割合で分割した計算をしています。これを弟さんに、話し合いも何もしないまま仕上げていますのでね。弟さんには無条件で納得してもらわなければ、作り直しという事になりますよ。』
蒼子は推し黙ったまま、ただ頷くだけであった。
『それではこうしましょう。会社の名義変更ではなく、会社を畳むにしても一度お母様から蒼子さんか弟さんに名義を変えないといけない。兎に角元取締役の死去に伴った対応をして、それから話し合いを進めて行きましょうという事にしましょう。お母様が取締役になったままで、宙ぶらりんになっている取締役を一旦落ち着かせてから畳むのか継続するのかを決めればいいと。』
『それでアイツが、・・・・・納得すると思いますか?』
『大丈夫ですよ。兎に角、お母様の名前を外す。それが大事な事なんだと言えば、彼も書類を送ってくるでしょう。そういうアプローチをして、必要な書類を集めましょう。いいですか、相続税の支払い期限は十ヶ月です。お母様が亡くなってから、満十ヶ月以内に納付しなくてはなりません。彼はその事を知っているのか知らないのかは分かりませんが、幾ら納税しなくてはいけないのかを彼は知りえません。我々が、絶対的に有利な事に間違いはないんです。じっくりと確実に、一つ一つやって行きましょう。』
蒼子は、頷きながら鷲巣の話しに聞き入っていた。

 絵里の両親への挨拶も済ませ、智久は喪中であるが子供の事も考えて入籍する了解も得た。言い方は変だが、母親が去って直ぐに授かった生命に運命を感じながら希望を抱いていた。今までは、年を取る事に嫌悪感と恐怖を抱いていた。だが今となっては、新しい目標が出来た気がして楽しみになってきていた。そんなな新しい生活の中で、智久は母の葬儀の時に考えていた保険の整理をする事にした。今まで考えもしなかった事だが、母・絹子は癌家系ではなかったにも拘らず膵臓癌で亡くなった。その事が、智久に保険の整理をする事を考えさせたのである。
今までは都道府県民共済の生命保険だけだったのを、癌に特化した癌保険とスタンダードな生命保険を増やした。新たに家族が増えるという事で、今まで考えもしなかった事に眼を向けた自分に驚きながら。
 帰宅して、何気ない絵里の仕草も愛おしい。そんな思いで絵里を眺めていると、ニヤけながら絵里が話しかけてきた。
『何見てんのよぉ〜、いやらしい!』
『何だよ、別にエロい目で見てないやろう?』
夕食を摂りながら、これからの明るい未来の話しに花を咲かせていた。
『最近トモ君さ、将来子供がって話しばっかりじゃん。肝心の、トモ君の楽曲はヒットしないんですかぁ?』
『あははははっ・・・・・、如何なんのかねぇ。まぁ、気負わずにやっていくだけなんだよね。売れる曲書くぞぉ〜ってやっても、まぁ〜ったく自信ないもん。どんな曲が売れるのか、俺には全く解んないしさ。気負わずに、今まで通りやっていきます。気長に待って下さ〜い!』
『ん〜・・・・、私は好きなんだけどなぁ。こないだ聞いたよ、新しい曲!何だったっけ、「夢幻の如く」でしたかね?』
『・・・うん。』
『私は好きだよ、あの曲。』
『うん・・・・・俺も、良い曲だと思うんだけどね。世の中の人がさ、良いねって言ってくれないとね。お金にはなりません・・・・。』
少しおどけて、自虐的に智久が言う。そんな話しをしていると、智久が思い出したかの様に保険の話しを始めた。
『生命保険の話しなんだけどさ、意外にも簡単に契約出来ちゃうんだねぇ。色々と、
丁寧に説明してくれて良かったんだけどさ。「健康診断しなくって良いの?」って聞いたら、良いんだってさ。もし俺がさ、今大きな病気にかかってたら如何すんだろうね。何かさ、こんなに簡単になって都合は良いけどいいのかなぁって思ってさ。』
絵里は、口を尖らせて返した。
『そんな不吉な事言わないで。でも、如何して急に生命保険をって思ったの?』
智久は、蒼子が母親が掛けてくれていた生命保険を解約していた事を話した。
『仮にさ、絵里との結婚がなくってもさ。単純に、自分が死んだ時の事を考えさせられる訳じゃん。そうなるとさ、生命保険くらい入ってないと残った方が大変じゃん。琴美家で言うと、俺が亡くなると姉の蒼子が葬儀やら何やらしなくちゃならない。まあ何にもしないとしても、無料ではない訳じゃん。それなのにさ、このタイミングで親が掛けてくれていた生命保険を解約するって事は無責任過ぎるだろ?そんな事何にも考えていません、「好きにして下さい。」って投げ出しているのと同じでしょ?俺はそれが気に入らなかったしさ、新しい家族が出来たとなると尚更ね。』
そんな話しをしていると、絵里が釘を刺す様に智久に言った。
『そうだ、お義母さんの事で忘れていたけど。ちゃんの健康診断行って来てよね!』
『ふぁ〜い、そのうちに行っておきまぁ〜っす。』
その後も食事を摂りながらの話しは、尽きる事がなく夜は更けていく。

 梅雨も明けようとしている頃、絵里から仕事中の智久に不思議な電話がかかって来た。引っ越してからの生活も一月《ひとつき》となり、良い機会だからと銀行関係の事を全てを絵里に任せる事にした。そんな矢先にかかって来た、絵里からの不思議な電話に智久は戸惑った。
『・・・・何それ?そんな会社聞いた事ないよ。』
『ええ〜、・・・・でも書いてあるよ。カタカナでだけど、「フクドメフドウサン」だって書いてあるもん。言い忘れていたんじゃなくって、心当たりがないの?』
少し考えても、智久には全く心当たりのない会社だった。
『うん・・・・、如何考えても知らない会社だな。そんで、その会社から幾ら振り込まれているの?』
『七万円が、今月の二十五日に振り込まれているよ。』
『何かの間違いかも知んないからさ、取り敢えずその金には触れないでいて。国からの給付金じゃないけどさ、振り込み間違いって事も考えられるからさ。後の事は、帰ってから相談しよう。』
『うん・・・・、分かった。』
 気味の悪い話しで、見知らぬ会社から自分の口座に七万円が入金されていたのだ。絵里も驚いた事だろう、お金の管理を任された途端のハプニングなんだから。
その日帰宅して、夕食を摂りながら話しをした。絵里も、自分なりにネットで調べてみたらしい。その話しを聞くと、何となく胡散臭い感じが漂い出す。
『ネットで調べたらさ、漢字が違うかも知れないけど同じ社名の会社が存在する事はするみたいなんだよね。それも、トモ君の故郷にあるみたいなんだ。』
『・・・・・!』
『トモ君のお義母さん関係で、何か思い出さない?』
『いや・・・・、俺が知っているのは十年以上も昔の事だからな。その時に聞いていた不動産会社の名前とも違うし、俺の田舎でって言っても身に覚えのない社名なんだよなぁ。だから尚更、気味が悪いんだよねぇ。』
そんな感じで話しは頓挫するのだが、数日後に簡単に解決する事となる。数日後に届いた書類が、この薄気味悪い見知らぬ会社からの入金の謎を解く事になる。

     ・・・・・ 数日後 ・・・・・

 来週には忌明けの為に帰郷しなければと、少し憂鬱な気分で仕事をしている智久の下に絵里からの電話が掛かる。
『もしもし〜、トモ君。』
『あ〜ん、・・・・如何した?』
少し息を切らせながら、絵里が興奮気味に話し出す。
『トモ君、噂の「フクドメフドウサン」から結構分厚い郵便物が届いてるよ。』
『えっ・・・・!』
『漢字で書いてあるけど、この間話したトモ君の故郷にあるって言っていた会社っぽいよ。五センチくらいある、分厚い郵便物を送ってきているだから只事ではないんじゃない?』
『そっか・・・・、開けちゃえ。』
『えっ・・・・、いいの?』
『ああ、・・・・構わんけん開けてみんね。内容は帰ってから聞くけどさ。絵里が開けて、中身確認しといてよ。』
『うん、・・・・分かった。任せて!』
数時間後、帰宅して直ぐの智久に絵里が語り掛けてきた。
『不動産の書類みたいなんだけどさ、他にこんな郵便も届いてるんだけど。』
絵里の手元には、長形三号サイズの封筒がある。絵里がゆっくりと封筒を裏返すと、そこには琴美蒼子の名が書かれていた。
『郵便局に転居届出しているから、前の住所でも届いているけどさ。トモ君に電話でもメールでもなく、態々お手紙を書いてきている事が可笑しくない?』
智久が、小さく頷きながら返す。
『ああ、あの人はそういう人なんだ。だから、絵里をあの人に近付けたくないんだ。今なんて、お腹の子に何されるか分かんないしさ。そう言う、異常性のある人なんだよ。じゃないとお袋が我が子なのに、あそこまで警戒する訳ないじゃん。』
そう言うと、智久は封筒を開封し便箋を取り出して読み出した。


 御無沙汰しております。
 その節は、大変お世話になりました。
 早速ですが、電気料金(○○コーポ共同分)の預金口座振替依頼書を同封して
 いますのでよろしくお願い致します。
 それでは、どうぞお身体に気をつけて。

 P S 私の携帯電話番号(080ー・・・・・・・・)の削除をお願いします。

                             琴美蒼子    」

智久はサラッと目を通して、絵里に便箋を渡した。絵里もサラッと目を通し、少し顔を青ざめさせて智久を見た。そんな絵里を見て、智久が言い放つ。
『解る?・・・・姉さんって人は、こういう人なんだよ。俺が絵里を、あの人に会わせたくなかった訳が解ってもらえるかな。』
絵里が、ぎこちなく頷きながら聞いた。
『と言う事は、不動産からの書類はこの〇〇コーポ関連の書類ってこと?お姉さんとなんか話してたの?』
『何の話もしてないし・・・・何なら、鷲巣って会計士と何か考えてそうなんだ。琴美家の資産の全貌は教えてもらってないし、遺産相続の話し合いもないまま印鑑証明書だけは催促されている状況なんだよ。だから、・・・・厄介な事になったって言っていたんだよね。』
ふと思い出した様に、絵里が智久に言う。
『二十五日に入金されている七万円は、この〇〇コーポの家賃って事なの?って言うかさ、お姉さんはトモ君の銀行口座番号を知ってたの?』
智久が、頷きながら返す。
『ああ・・・・絵里にも言ったと思うんだけどさ、春の大型連休に帰郷する前にお袋が気を使ってお金を入金していたって事があったじゃん?』
『ん〜・・・・二十万円が振り込まれていて、お土産代には多す過ぎるって言ってた時の事?』
『そうそん時にさ、闘病中で体が重かったんだろうね。銀行の振り込みを、姉さんに頼んだんたってさ。Wi-Fiも何も知らない田舎の二人暮らしだもん、ネットバンキングも何も出来ないわけさ。その時に、口座番号を知ったんじゃないかな。』
絵里は、目を閉じて思い出す様に聞き返す。
『その時だったかな、お姉さんから酷いショートメールが送られて来たのって。』
無言のまま頷く智久に、絵里が質問を畳み掛ける。
『と言う事はだよ、・・・・トモ君に黙って会計士と結託してこんな事をしているって事?トモ君に無断で〇〇コーポの相続をさせて、不動産屋さんに無断で住所と銀行口座番号を教えたって事?その結果がこの郵送されて来た書類と、二十五日に入金されていた七万円だって事?』
智久は、無言で頷くだけだ。しかし絵里には、まだ疑問が残る。
『ちょっと待て!遺産の総額が分からないって事はさ、相続税を幾ら申告しなくちゃなんないのか解らないって事だよね?そこまでして、トモ君を追い込む訳って何?しかもだよ、そんな陰湿な事をしているお姉さんが、無断でトモ君に相続させようとしている〇〇コーポってどんな不動産なの?』
智久が、口を尖らせて説明する。
『この〇〇コーポって言うのは、俺の昔の知り合いが入居している所なんだけどさ。この知り合いっていうのが、凄い家賃滞納する奴なんだ。お袋も生前頭が痛いって言ってた程、半年単位で滞納する曰く付の奴なんだ。だから姉さんとしては、そこだけは相続したくなかったんじゃないのかな?生命保険の件でも言ったけど、周りの事とか人の事は何にも考えない人なんだ。自分にとって、人や物が有益であるかどうかなんだよな。だから何の相談もしないで、気に入らない〇〇コーポは俺に相続させるって決めていたんだろう。それ以外の不動産に関しては、何の相談もないのが如何にも姉さんらしいや。』
『世の中じゃ、個人情報がどんだけ敏感な問題かって事知らないの?』
『ああ・・・・この人にとっては、世の中の事なんか如何でもいいんだ。子供の頃からそうなんだよ、我儘放題やって後は逃げちゃうんだよね。実家だったら自室に篭って、両親が泣き寝入りして解決してくれるまで籠城するんだ。両親がケツを拭ってくれたら、何食わぬ顔で普通に暮らしだすんだよ。だから言っただろ?鷲巣って会計士の所で、話し合う事になっていたのも音信不通になってバックれたって。』
『でも、・・・・・この携帯電話番号を削除してってのは?』
『これも、姉さんらしいやり方だ。簡単に言うと、・・・・縁を切ってくれって事だよ。自分の思い通りに相続問題を片付けて、お前は何処ぞに消えてくれってさ。私に連絡なんか、「絶対にしてくるんじゃないぞ!」って言うこと。』
『・・・・・絶縁って事?』
『・・・・正解!』
唖然とする絵里の顔を、智久はニッコリ笑いながら見つめた。
『絵里・・・これからも、コイツに・・・・姉さんだけには関わるんじゃあない!』
優しく微笑みながらも、絵里には智久の目の奥に何かが見えた気がした。

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