二人ともオレンジが欲しいとき
数年前、交渉術のセミナーを受講したときに、こんな例題があった。
「たった一個のオレンジを、
二人の姉妹が、二人とも欲しがりました。
公平に分けるにはどうしたらいいでしょう?」
半分こにすればよい、と普通なら思うだろう。
回答はこうだ。
「話し合いの結果、
一人はオレンジの皮、もう一人はオレンジの実が必要だとわかった。
そんなわけで、それぞれが本当に欲しいものを手に入れた。」
もしも、包丁で半分こにして分けたら、二人とも不満が残っただろう。
そりゃそうだよなぁ、と話を聞いた時は思った。
でも今日、「半分こ」をごり押しされかけた。
ごり押ししてきた彼は、常に善意の賢い人だ。
きっと、交渉術のセミナーを受けたことが無いのね。だから「半分こ」が落としどころだと思っていたのだった。
彼はあることが問題だというのだけれど…。
それ、本当に解決しなくちゃいけない問題なの?
私は現状維持でいいと思うんだけど…。
そこで
「話を整理して、問題を確認したいので、ちょっと話し合いの時間をいただけませんか」と伝えたら、私の言い方が悪かったのかもしれない。ちょっと怖がられてしまった。
彼にしてみれば「半分で我慢する」が大正解のはずなのに、私が納得していない=腹を立てている、と思ったようなのだ。
かみ合わないときこそ、放置するとよろしくない。
電話で話をした。
彼は一生懸命自分の想いをガンガン語り、対策も提案してきた。
繰り返すけど、彼は日ごろから、善意に満ちた賢い人なのだ。
それなのに私は、何でそこまで言われなくちゃいけないのーって気持ちになった。
なぜそう感じたのだろう?
何が問題なのか、彼は私と合意をとらないまま、解決策を提案したからだ。
彼の目から見たら自明の「問題」が、私には「問題」ではなかった、ってことに彼は気がつかなかったのだ。
でもね。
的外れな提案というものは、ごり押しに感じられてしまうのだ。
どれほど熱意と知恵があっても。
たった一つ、互いにとって何が問題であるかを確認しなかったばっかりにね。
そう気がついたときに、こんな風なことを私もしていたかも、と思い当たった。
問題だと感じたとき、相手も当然問題と感じているはず、と思い込んでいなかったか?
同じ問題を共有しているよね? っていうところまで粘り強く丁寧に話し合いをしてきただろうか?
幸いにも、電話越しに10分ぐらいで、私の考えを理解してもらえた。
そして、そこから、落としどころを友好的に決めることができた。彼はもともと賢い人だからね。
何が問題であるのかを確実に共有する。
それをしないで次に進むと、どれだけ善意でも、どれだけ賢くても、ごり押しになりうる。
今日は、こんなことに気がついた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?