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死ぬほど文才がない

ここで文章を書くのは、自分の頭の中でぐるぐるし続けている話を少しでも外に出してスッキリした気になるためで、自分の文才を見せつけてやろうだとか、誰かに読んでもらおうと思って書いてるわけではないけれど、それにしてもやっぱり文才がない

蟻の巣潰し

昔から文章を読まない、本を読まない人間だったから、そりゃそうなったのかもしれないし、好きな小説家だとか漫画家だとか、そういう人間がいないからそうなのかもしれない

例えば読みに関して、自分の読解力の無さを感じるのは、何か言われた時に何通りも解釈を考えて、どの解釈なのかわからなくなる時で、別にそれはいろんな解釈ができてすごいという話ではなく 完全に前提条件がよくわかってなかったり、前提とする範囲が広すぎて頭に入りきってなくて考えられないだけで その結果、前提条件を聞いて段々と解釈を絞っていくみたいなことしかできない 事前に自分がもっと話を聞いていたらなとか、何か言ってたけど、どう言ってたか忘れてたかもなとか そんなことを考えてしまって結局聞けずじまいになることも多くて さらにわからないから全てのパターンでもなんとか通用するような動きをするか、動いて否定されたらパターンを削れるように動くか そんなまどろっこしいことをしてしまう

これを人のせいにするといいことがないし、かといって聞くのは怖いし 自分の質問が相手の真意をつけないとよくわからないって顔をされるし

射の的を囲む

質問をすることが苦手だ 自分のする質問は的を得ないし、相手を不快にさせることが多い

別に嫌がらせをする気はないけれど、相手に合わせた質問をしない癖がある
いや、自分に合わせた質問をしない癖がある

相手の話を聞いて、理解できていないのに その理解できていない部分を聞かずに、自分が未熟でできないことをどうしたらいいかを聞かずに どうでもいい質問をしてしまう だから、嫌われる 建設的でないと判断される タチの悪い頭の悪いやつだと思われる

額縁の上書き

自分は聞くのが嫌いだ 元からできていない自分が嫌いだ 元々できてる人間なんていないことはわかってるけれど、たまたまできるようになってる人間はいる 自分が長く生きている以上、過去にやっていれば今できてることもあり、それで今できないというのは、過去の怠慢であって、それが許せないし、それを知られたくないし、それを認めたくない 結果元々できていたことにする そこで努力したとしても、その記憶を消して 元々自分はできていたのだと言い聞かせる 人間その気になれば嫌な記憶なんて忘れられるし 結果 なぜかわからないけど元々できていたという いわゆる天才になったような気分に浸れる でも天才かどうかなんてどうでもいい あるべき状態でなかったという事実を消せたかどうかが重要なのだ

嘘の傘

20になった あるべき姿なんてのはごまんとある でも、あるべき姿であるかどうかは就活以外ではそんなに評価されない 大人たちは元からあるべき姿である人間なんていないことを知っているし、元からあるべき姿だという人間は嘘つきだと知っているからだ

だから、私には虚言癖があるのだと思う 自覚している けれど治さない 嘘に守られないと、保たれない 自分の過程を全て忘れながら、結果に固執したから スカスカの結果しか相手に見せられない 嘘をつくことは借金と同じで その借金を返すことを原動力に私は働く 常に追われる側でないと生きられないだけ すごい嘘をつけばつくほど 大きい借金をすればするほど 自分は成長できると思っている 私にとって目標は嘘であって 嘘が目標で それが嘘であると認めないために 必死でなんとかするのだ

でも全てなんとかなるわけではない 私はなんとかなると自分を過信している それも自覚している

なんとかならなかった時、失敗になる その失敗は嘘の失敗であって 目標の失敗ではない 上手く嘘がつけなかった うまく結果を取り繕うことができなかった また失敗で嘘をつく 失敗の原因が分かりきっているのに、的を得ないことを語る 全て嘘 策略が悪いかどうかなんてわからないぐらい 何もしていないだけなのに こうすればこうなると まるでわかったかのように嘘をつく これをしていなかったと どれもこれもしていないのに 局所的な欠落かのように見せる 結果相手は、見透かして捨てるか、見ないふりをしてこちらの演技に合わせてくれる 私が望んでいるのは失敗ごっこであり フィクションに合わせてくれる環境であり 現実的な改善策、建設的な意見は耳に入れたくない

罪状コレクター

私は自分で自分に罪を負わせるのが好きだ 他人に負わされるのは嫌いだ 他人に支配されるのは嫌いだ 他人の言いなりになるのは嫌いだ 他人の言いなりになってると頭が興奮して、手足が震えて、本当に拒絶反応が出る それぐらい嫌いだ 他人の真似をしなくちゃいけないのは、自分がちゃんとできていないからであって ならば必要なのは時間と実験だと思っているのが間違いだが、そうやってきたのも事実であり 結果、誰にも聞くことができず、実験は全て忘れて、結果だけが残った 真似をすることへの自虐ベットを上げすぎて、おそらく今私は人の真似をしたら相当惨たらしく死ぬと信じている しかしそれは、兄弟と近親相姦を繰り返すがごとく不健全な行為であって 出来上がるものは当事者でしか愛すことができない何かだ 今私は兄弟とやるか、惨たらしく死ぬか そんな極端なギャンブルを繰り返した果てに、生み出し続けたなれ果てをも愛さず、放棄している現状なのだと思う まぁ私一人っ子ですけど

私には文才がない ここまで文章を書いて、いつもよりはましな文章な気がしているけれど それでも文才なんてのは未だない

レプリカの剥製

自分の文章はいつも断続的で嫌いだ 最近練習しているピアノの音みたいに断続的なフレーズばかりで 何も面白くない 飛行機の全ての部品を分解して展示会を開いたらたくさん人が来るのだろうが、それは全ての部品が合わされば飛行機が飛ぶからであって 誰もバラバラのレプリカのために足を運んだりしない 私の好きな、語りを作る人の文章は飛行機であり、私の文章はレプリカだ それも 繋がっていない レプリカだ 合わせるとどこかバラバラしていて 一体感はない 飛ぶわけでもない 何より部品が機能をなしていない 部品同士で意味が通っていない

私は分解することが好きだ でも実際は分類することが好きなのであって バラすことが好きなわけではない 元々繋がっていた事実が好きなのではなく、どう分けられるかが好きなだけだ そして、分けたものを同一視し、置換し、奇妙なキメラを作り出して 誰かに押し付ける そんなことが好きなだけだ キメラが美しくあるためには、動かなければならない 死体をつぎはぎしても美しくはない 死体を部位ごとに分けて並べても美しくはならない キメラは動くからこそ美しいのだと思う

これを、抽象化などと大層な嘘で丸め込むことを、よく自分に対して行う これは抽象化でなく、没個性化なのだと思う 結果自らが没個性と化している あんなに真似を嫌った自分が 自らの所作によって没個性化するという皮肉を私は快楽に感じている それは誰に押し付けられたわけでもない 自分の世界に内包されている事象だからなのだと思う

皮肉内需

私は自分の中で起きたことでしか幸せになれないのだと思う そして自分は皮肉しか作り上げられないのだと思う 自らの勘違いを貫いて、周りの世界と矛盾させて、そんな滑稽な自分を自分で笑うことでしか幸せになれないのだと思う それ以外の幸せは、誰かに強制される幸せだと、感じているのだと思う

それは、誰かによって享受できている幸せであって 私が他人と幸せであるためには、誰かに欠かさず感謝しなければならない 感謝することを強いられる しなければ他人から罪を負わされる 

またまた、誰かによって享受できている幸せを自分で作り上げられないのなら、それはもっとも危惧するべき状況だと感じる 私がその幸せを享受するならば、自分のあらゆるものを差し出して罪を償わないといけないと、そう感じる 私を幸せにするために犯す全てに対し、私は同じことができないなら、私ができる全てを差し出さなければ対等な取引になり得ない だからそういった状況は恐怖であり、避けたい けれど、扶養に入っている人間など、全てそうである いつ捨てられても、いつ代償を求められようとも構わない存在であって、そうある限り私は罪を償えずにいる

私は他人に負わされた罪を償わなければならないとわかっているが 償ったことはない 負わされたといっているが ただの使役表現であって、恨みがあるとか、妬ましく思っているとかではない 私は他人に負わされた罪を、自ら負わないと気が済まない 全ての罪の償いが、私のできる全ての中で完結するように、自ら再び罪を負わなければならない

借金の結露

私は誰かにしてもらっていることを借金だと思っている 目標を借金だと思っている 今までの所作は全て返済であり、貯金ではないと思っている 元々私はそれだけのお金を使える存在だと信じ込み、借金をして、後から返済に負われる 永遠に追われ続ける

いずれ返せなくなる 今も返せずにいる借金はたくさんある いずれ返す気もなくなる 残るのは身に覚えのない、返済義務もない借用書だけである

妄想の借用書

借金は返す必要があるわけではない 誰かはそれを投資だというし 誰かはそれを必要経費だという 投資なら返せるなら返せばいいし、必要経費ならそもそも返済義務などあるはずがない けれど私はそれを借金にしたがる 無理にでも自分で自分に借金を課す 誰かの投資を無理やり融資にする 投資額を借金をしてでもあげて、市場価値がもっと高いかのように思い込む

素直に受け取ればいいのである 素直に返せばいいのである 覚悟を決めればいいのである 感謝し続ければいいのである それができないのは、ただの甘えであって、依存であって、弱さであって、社会的価値が皆無なだけだ

と、厳しい言葉を投げかけて その苦痛に悦を感じて終わる それだけだ

いつまで経っても、借金は膨らみ続けるし、抜け出すこともできない
死んだら覚悟できるかもしれない
戸籍を消されれば覚悟できるのかもしれない
本当に人権がなくなってしまえば覚悟できるのかもしれない

必要なのは徳政令ではなく、高すぎる自己評価に見合うほどの貯金か、デフレか、戸籍抹消のどれか、あるいは全てだ

文才はない 文才をなめている
文才に敬意が足りない 何もかもが足りない


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