わたしは作品の価値はひとつではないと思ってる。 作家がこの絵には価値がないと思っていても、それを買いたいという人がいるというのは確かで、この場合、ふたつの価値がある。 作家が価値数が0だと思っているとして、買い手は100だとすると、その絵の価値は0でもあり、100でもある。 有名な批評家がいいと言ったから価値があるのか。 売れたから価値があるのか。 それは、その相手にとっての価値でしかない。 けなされても、売れなくても、自分には価値のあるものだと思っていればそれは
きみのことばはぼくの太陽 いつもぼくをあたたかな気持ちにさせてくれる はやく朝にならないかな きみのことばを 浴びたくてしかたないよ。 #詩
夜になるととくに落ちる。 今日は危うくやってはいけない行動を取りそうになった。 冷静になれ。 メンタルコントロールがなかなか難しい。 書きたい小説も書けないでいる。 やりたいことがやれない、のが沢山ありすぎて苦しい。 やれることに集中してなんとかやり過ごす。
わたし、ちょっと追いつめられすぎててさ すごく消えたくなったら、 神様が消してくれたんだよね。 今はこの世界にいちゃいけないよって。 でも、一晩神様の近くで寝たら、落ち着いて 元の世界に戻してもらったんだ。 ね、神様っているとおもう??
鳥の声がやんだ。 今日は空が泣いている。 ぼくの一撃がか弱いすずめを刺したのかもしれない。 嫉妬をしていた、青い鳥に。 あの子が去らなければ、わたしがいなくなっていた。 なにかを察知したのかもしれない。 嫌なことをされて 嫌であろうことをし返すのは ただの子供だ。 そこらにいるのはみんなひなだった。 卵からすらかえっていないのかもしれない。 雨がやんだ。 鳥がなく。 わたしをみてと悲しげに。 ぼくはそっと、イヤフォンをつける。 #詩#散文
人生には欲、というものがついてまわります。 三大欲求として、食欲、睡眠欲、性欲がありますね。 その中でも、性欲はネガティブにとらえられることが多々あります。 自慰行為をして、終わったあとに罪悪感のようなものを感じることもあるでしょう。 でもそれって、「欲」に関して言えばお腹が空いたから食べたり、眠いから寝たりするのと変わらないと思うのです。 もちろん、欲に溺れて、生活に支障がでてしまうなら、改めなければなりません。 でも、適度な欲の摂取はしてしまうのが当たり前というか、その
今日はおしごとでした。 いつもより早く家をでて、休憩所で斜線堂有紀さんの小説を読みました。 小説家のせんせいが出てくる物語で、結構好きな感じです。ドキドキしながら読みました。3分の1くらい。 おしごとはじまって、わたしのお店に、すきのちゃんに似た子が来て、ちょっとどきまぎしてしまいました。 無駄にちらちら見てしまってごめんなさい。 おわったあとに、指輪やさんにいきました。 くすみも気に入っていたけど、ぴかぴかに磨いてもらいました。 そしてブックオフに行って銀色夏生さん
腹八分目にすることで、消えたい気持ちはなくなりました。 あとは食べたらなるべる動くこと、お腹いっぱいじゃないと体軽くてアクティブになれる。 あとは、痩せられることを信じて筋トレをがんばる。 お腹すいてると気分いい。 今日は16時前に夕飯食べた。笑 お腹すいてるとお腹ぺたんこな気がして痩せてくような感覚に陥る。 お腹見てーて出来るくらいぺたんこになりたい。 そしたらもっと自分のことすきになっちゃうね。 まだまだわたしはわたしのことを好きになれる。
最近、ごはんを食べた後に消えたくなります。 ごはんを食べてるときはしあわせです。 食べ終わってお腹いっぱいになると、消えたい気持ちが襲ってきます。 お休みの日のお昼ご飯の後はとくにひどいです。 いっぱい食べちゃうから。 そして、おうち帰ったらしんどくてすぐ横になっちゃうから。 なんとかしたいです。 運動もしてるけどそれ以上に食べちゃってるから痩せません。 先生からは薬の副作用ではないと言われてます。 病気になる前の体重に戻りたいです。 ご飯食べることが悲しいことになってしまう
今日は久しぶりに弟とおかあさんとランチしました。 おうちがあれあれだったので、弟とお片付けをしました。 おかあさんはおうちにいると何十回も同じことを繰り返し言います。 いつも任せっぱなしで申し訳なくなり泣きそうになりました。 わたしは、わたしのできるところでがんばります。 帰り際、弟が髪をいじくりたそうだったので、アイロンでまきまきし、セットしてもらいました。 いい感じに男の子ヘアになりました。 楽しそうだったのでよかったです。 今度はご飯をつくって持っていきたいです。 お
#わたしのマンガを見て #イラスト
#わたしのマンガを見て #百合マンガ
わたしの愛を渡したい人は、どうすれば愛だと感じるのかわからない。 わかったとて、それが素直なホントの気持ちなのか定かではない。 だからわたしは自己満足の愛を押し付ける。 これがほしそうと推測してそれを渡すしかない。 いや、今はむしろ渡していない。 自分では愛だと思うものでも、相手は愛を感じない、または気づいていない。 これははたして愛と呼べるのだろうか。 一方通行の想いは愛にはならないのだろうか。 たとえば、妻が夫のワイシャツを毎日ぴっちりとアイロンがけをして着せていく。
愛ってなにって、よく考えてる人いるけど、それってこれが愛って確定できるものはなくて、人による、になっちゃうんだと思うんだよね。 たとえば、妻が夫にお弁当を作ることが愛だと思う人がいれば、それは当たり前の行為だと思う人がいる。 そうなると愛はすれ違う。 自分はこれが愛だと思って渡してもそれはただの迷惑だと判断されればそれは相手にとって愛ではなくなる。 また、愛は人によっても異なる。 この人からこれをされてもなんとも思わないけど、あの人からなら愛を感じる。 これは人の好み