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寄席とプロレス会場と

 完全にニワカなので恥ずかしいのですが、私は好んで落語を聴きます。正確に表現すると、演芸を取り巻く空気感が堪らなく好き、という厄介な癖を持ってます。

 この外出自粛期間も、各種芸人さんのYouTubeを観ては気分を紛らわしていました(ちなみに最近のマイブームは「すゑひろがりず」と「ななまがり」です)。

 そこで類に漏れず、落語の動画も観させていただくのですが、最近はこのご時世で、噺家さんが公式チャンネルを立ち上げるケースが増え、いわゆる「罪悪感」を感じずに心置きなく話芸を拝見できるようになって来ました。
 現役世代の芸を動画ながら体験出来るのは、とてもありがたいことです。

 その流れで、春風亭一之輔師匠のチャンネルにて、落語の定席(常打ち会場)である上野・鈴本演芸場を紹介する動画がアップされていて、とても興味深く観ていました。

 そこで、なぜだか既視感を強く感じる自分がいました。

 もちろん鈴本演芸場の存在も知っていますし、内部についても記事などで観たことはあるのですが、一之助師匠自ら動画にて紹介している様々な事柄が、私がかつて勤めていた都内某所の某プロレス会場のソレと、大変恐れ多いですが、似ている部分が多々あることに気付く訳です。

楽屋はサンクチュアリ

 寄席の場合、席亭(支配人)が出る芸人を決めるのが通例です。また、鈴本演芸場に限っては、落語協会に所属する噺家のみが出演するという、いわば落語協会の専属会場といってもいいでしょう。

 さらに寄席のの顔付け(ラインナップ)は月の上旬・中旬・下旬と、それぞれ10日間は変わることが有りません。つまり、ほぼ同じ噺家さんが連続して楽屋を出入りするので、座る位置から衣装の置き場まで、すべて噺家さん(とそのお弟子さん)次第というわけですね。

 こうなってしまっては、もはや楽屋は会場の物ではないと言ってもいいでしょう。

 比べて、プロレス会場は、毎日のように団体が日替わりで興行を行います。そのため控室にで入りする選手も毎日様変わりし、興行が終わる度にご利用団体さんには撤収をしていただくことになります。

 つまり、日々控室の使い方が違うワケですが、団体さんや選手によって、使い方のクセがあるのです。

 これが奥深い!

 詳細は書けませんが、例えば、ベテラン選手が座る定位置が自ずと決まっていたり、巨漢の選手だと普通のパイプイスだと壊れてしまうので会場備品のビールケースを提供したり。
 また、なぜか控室に入りたがらず、バックステージで着替る選手も多々いました(その大半は若手選手)。

 こうして会場側にとしては、ご利用団体によって様変わりする状況を日々見届けている訳ですが、団体さんや選手のみなさんにとっては、いざ会場入りしてしまえば、控室やバックステージは前回のご利用時と変わらない「日常」なのです。

 ちなみに、私の管理を担当していた某会場の控室は、ただでさえ大きい体格の選手が多いプロレス界においては、部屋数も少なく小さすぎました。
 こればかりは、構造上いかんともし難い問題ではあったのですが、そこをご利用団体さんがうまく工夫して使ってくれていたという印象が強いです。

 そのためその負い目から、貸し出しがあるたびに、出場選手やご利用団体の控室のクセなどを事前に頭へインプットしておき、緊急の対応も素早くできるようにスタンバイしておくことを心掛けてました。

 どの選手がどこの控室に入るのかはもちろんのこと、どの選手がどの時間帯に来るのか、車で来場するのか電車なのか、タニマチは付いてくるのか…。
 当時の(元気だった頃の)私は、知りうるすべての情報を頭の中に叩き込んで対応してましたね。

 こと控室に関しては、貸し出しが始まってからは、もはや管理下であって管理下ではなくなるのです。
 使われ方は団体さん次第。全ては選手のための物になります(あくまで貸し出し時間まで、ですが)。

 まさに「聖域」。サンクチュアリですね。

 そんな会場の小さな控室のスペースで、若手選手が雑用で賑々しく働いている様も、私にまで喋りかけてくるような陽気な選手が試合前になるとビシッと緊張感で引き締まる様も、今思うと、どこか噺家さんの世界に近い空気感のような気がしてしょうがないのです。

 アレ? 違いますかね?(笑)

全てはお膳立て済

 さて、寄席の話に戻りましょう。

 寄席には当然のように舞台があります。これがなければ始まりません。
 また、開場を知らせる「一番太鼓」などを前座さんが叩くための各種太鼓や、38マイク、座布団、緞帳など、落語を興行として催す上で必要な備品が全て揃っています。

 つまり噺家さんが寄席に来さえすれば成立するようにできているのが、寄席なのです。

 で、話は変わり、私がかつて勤めていた某会場も、そのようなコンセプトを想定した運営を考えてました(会社からはやり過ぎと怒られてましたが)。

 まず、会場としてプロレス用リングを所有してました。選手の方々にとっては舞台そのものです。

 また標準備品としてゴング。扱う人は違いますが、ある意味で太鼓の役割ですね(?)。

 加えて、マイクやミキサーなどの音響設備、暗転明転が出来るレベルの照明機器、そして客席(パイプ椅子&ひな壇)。

 チケット販売及びもぎりなどの入場チェックは、基本的に会場管理がワンオペだったので、ご利用団体さんにおまかせする形ではありましたが、それらの人員さえ用意していただければ興行が出来る状態でお貸し出しする。

 これが私にとって、会場の理想形でした。

 とにかくご利用者の業界に寄り添った運営をしたかったのです。なんだかんだ、寄席のような環境に憧れていた部分は、今思うとありますね。

 それでも私の努力不足で色々と不具合がありましたが…。当時のご利用者の方々におかれましては、どうぞご勘弁くださいませ。

相違する部分

 それでも寄席と会場が、決定的に違う点があります。

 寄席の場合は、席亭が噺家さんを選び、自ら興行を打っている形式。

 一方、貸会場は、所詮ここで興行をしたいという団体さんを受け入れるだけの存在です。

 根本の立ち位置が違うのですね。

 でも、実際に寄席のようなシステムでなければ「文化」は守れないのだろう、と強く思います。
 日々ブッキングをしてライブハウスを運営している方々も、そのような心意気でやられていることと存じます。

 それでも当時の私は、限定的でニッチな貸し会場だからこそ提供できる事を意識して、時にはリスクを負いながらやってきたつもりでした。

 …このことについては、もっと思うところがあるのですが、深く話をすると、辞めたとはいえ内外的にアレがアレでアレしてしまうので、ここでは胸に締まっておくこととします。

 結局は「ボカぁ、寄席のような世界観が好きだなぁ…」という想いを、無理矢理に己の過去へ結びつけただけの、こんがらがった文章になってしまいましたね。オチはないです!(キッパリ)

 以上、無職でコロナ禍を迎えて途方に暮れるおじさんの戯言でした。
 お目汚し失礼いたしました。

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