【再掲】毎年って言うけどまだ2回目じゃん 2020年

今年は何をしようかなあ、このキャラの誕生日は何をしようかなあ、みたいなの、考えてる時が一番楽しいみたいなところないですか?




わたしがいささか享楽的で、文化レベルも低いことから、持続性のある多幸感を得ることやそのための努力が苦手なせいもあるのかもしれないのですが。




旅行行こうかなぁとか考えても、GoToもストップだったり、まあそうじゃなくても世間が世間ですし、祭壇つくろうにも今年は大した量買ってないし何より一人でやるのあれしんどいんだよな〜とかなんとか考えていたら今日になっていました。




一日それなりに楽しく過ごし、シャワーを浴びて寝るところで「そういえば文章でも書いてみるか。ぷいちゃんの誕生日に前に書いたやつ、大好きなんだよな〜」なんて思い出したので、見切り発車でつらつらとやってみることに。







今年の朝霧の誕生日カードのストーリーは「手入れとかをして長く楽しめるものがプレゼントで欲しい」というリクエストがあり、クライナーにそっくりなぬいぐるみと、あともう一つプレゼント(何かはわからない)を贈る話でした。




公園でプレゼントを開け、嬉しさからヒロインを抱きしめ、自分の喜びの表現方法を「まるで餓鬼だ…」と朝霧がつぶやくシーンでは「え、餓鬼って、あの腹がマジでクソでかい怨霊?」と遙か5とかに出てくる怨霊が頭をよぎってしまったため、ここはカタカナ表記でよかったんじゃないかな…とは思いましたが、総合的にはいい話でした。

朝霧のキズナストには誕生日関連の話がクソ多くて、実はバースデーカード以外にも誕生日を祝う話が結構あるんです。一番笑ったのは「ヒロインが朝霧の誕生日を忘れている」話です。いや、忘れんなよ。

でも、そういうバリエーションも許されているのは楽しさの一つでもあるかな。まあそれはなんでもいいんですけど。




前述の通り、わたしは持続性のある多幸感を得ることが苦手です。

短絡的で、刹那的な人間なので、努力努力努力努力努力努力努力努力成果!みたいなのが本気で無理なんです。

成果成果成果成果成果成果成果!じゃないとダメなんです。

なので「年間何円貯め、そのお金で何日間旅行に行き」みたいなこともできないし、ローンを組んで何かをする、みたいなこともできないし、就活や受験のためにいまから頑張る、みたいなのも特に人生にないです。結婚とかもだから考えることはないですし、株とか始めたらスる自信があります。

だけど今年のカードストを読んで、「そういえば去年だか一昨年だか、朝霧の本編読んだ後に完全にノリで買った時計、めっちゃベルト汚くなってんだよね」と思い出したので、時計のベルトの交換に行きました。こういう突発的な性格がすべてを物語っています。




時計屋に行ってベルトの交換だけ済ませればよかったものの、店内に入ったわたしはついつい店内を見て「朝霧とかヒロインとか、本編で時計を贈り合ってたけど、こういう店で選んでんのかな」「付き合ってないけど好きな人に贈る時計の予算ってどれくらいなんだろう…あんまり高いの贈りすぎるとかえって気を遣わせるし、かと言ってお互い社会人だし、あんまり安すぎるのも…って感じだよなぁ…いや、でもそれってお互いの収入とか支出によって基準ちがうか…刑事ってやっぱ儲かんのかな〜…””刑事の懐事情””みたいなドラマありそう…」「ていうか朝霧→ヒロインの時計はともかく、ヒロイン→朝霧の時計はめっちゃ選ぶの大変だろうな…わたしがヒロインだったら選べなくて爆発してたよ…だって、古き良きヤのつく自由業の方々って絶対時計にこだわり強いじゃん…だから”””””親父”””””はめっちゃ半端ない時計を朝霧にお祝いで贈ってるはず…それの代用になるような時計って何…?いや、難易度高くない?」などと悶々としてしまいました。

時計屋には、新品の時計もあれば、ヴィンテージの時計もありました。

現金な女なので「オメガの時計がこの値段で買えるのは激アツじゃね?!?!」とか思う気持ちを抑えて、今日は朝霧の誕生日なので「誰かの人生のひとときを共に過ごした時計が、こうしてまた別の誰かのひとときを共に過ごす役割を与えてもらえるの、幸せなことなのかもな」というように、丁寧な考えを膨らませました。

1990年台製造の時計がたくさんあって、もしかしたらその一つにはわたしが生まれた年に作られた時計もあるかもしれない。アレみたいですね。大きなのっぽの古時計。わたしあれちいさいとき「ふーん、時計も壊れたんだね」くらいにしか思ってなくて、小学校6年生くらいのときに、「時計が刻んだ時間=おじいさんの人生の時間」であることを知り「マジかよ!どこ情報だよ!じいさん死んだって歌詞にねぇだろ!今はもう動かないだけで決めるんじゃねえ!」とキレたことがあります。書いてないことを読み取るのが苦手です。




書いてないことを読み取るのは苦手でも、妄想するのは楽しいことですので、わたしは自分の時計を「あの時朝霧がくれたやつ(GPS付き)だと思っているため、「まあこの値段なら出せるでしょう」くらいの時計を自分で見繕って買いました。

だから別に時計のベルトを変えずに新品を買ってもよかったのかもしれません。ベルトの値段が、時計の値段の1/2くらいでしたので。




それでもやっぱり、もらった時計という脳内設定は変えようがないため、何度も何度もベルトを交換して使えるだけ長く使おう、それでも使えなくなった日が来たら、また新しい時計を贈ってもらおう。もちろん最初にもらった時計は家に大切にとっておくんだ…。と、「いや絶対それカードストとかで読んだことあるネタでしょ」みたいなことを考えていました。

ちなみにわたしがヴィンテージで可愛いと思った時計はGUCCIのものでした。ぴえん。

次はもしかしたらGUCCIの時計をヴィンテージで買っているかもしれません。それで「誰か他の男がどっかの誰かに贈った時計が巡り巡ってあなたの元に辿り着いたのかもしれないと思うと複雑ですね」と言われる妄想とかをして楽しんでいるかもしれません。




年に一度の誕生日を祝うために、わたしが何か継続的な努力をしたりだとか手間暇をかけるだとか、そういったことが今後できるのか、続けられるのか、それすらもわかりません。それでも毎年祝うっていうのはもしかしたら一つの持続なのかもしれないですし、妄想をするのも、まあ持続みたいなもんでしょう。努力や手間が伴っているかはわかりませんが。

だけど、わたしレベルになると忘れずに毎年祝うってのができてるだけでももしかしたらすごいのかもしれませんね。

これで来年忘れてたら笑ってください。

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