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ポリアンナ症候群なるものがあるそうな。

前回は「気持ちの持ちよう」について書いてみた。で、書きながらふと昔読んだ「少女ポリアンナ」という物語のことを思い出し、そしてそれについてググったら「ポリアンナ症候群」という言葉をみつけた。

そうか、では、わたしが「少女ポリアンナ」に抱いた違和感は、心理学的に見ればしごくまっとうなものだったのかも(笑)。

「少女ポリアンナ」(または発音の関係であろうが、「パレアナ」表記の物もある)は、米国のEleanor Emily Hodgman Porter氏による小説である。簡単に言うと、最愛の父を亡くし、叔母に引き取られた少女のポリアンナが、決して幸せではない人間関係の中で「良かった探し」という前向きなひとりゲームをしながら日々を幸せに乗り越えようと努力し、彼女のその姿勢が周囲のかたくなな人たちの心を変えていく、という内容。

テレビでアニメにもなっているから根強い人気があると思うのだが、たぶんわたしがその物語を読んだときは、主人公が自分と近い年齢であることもあり、彼女の考え方にものすごく違和感を感じた。

たとえば、片足を骨折してぶつぶつ不満を漏らしながら寝ている老女に「でも、もう片方の足はどうもないから幸せじゃない?」と言う場面があったと記憶している。
それを読んだときには「いやいやいや、ないでしょ、その考え方」と思ったのである。

もしかしたら、この小説を今初めて読んだとしたら、その視点の斬新さに、すごいと思ったかも。しかし当時は、「そんなバカな話あるかい。足折らなかったほうが絶対幸せじゃない。」と思ったのだ。(今もそう思う)

で、ポリアンナ症候群。
これは、
『ポリアンナ症候群は、直面した問題に含まれる微細な良い面だけを見て負の側面から目を逸らすことにより、現実逃避的な自己満足に陥る心的症状のことである。 別の言い方で表すと、楽天主義の負の側面を表す、現実逃避の一種だと言い換えることもできる。 別名を「ポリアンナイズム」「パレアナ症候群」という。』Wikipedia

なんとなく、「酸っぱい葡萄」の話を思い出すかな。でも「酸っぱい葡萄」の場合は、「手が届かないところにある葡萄が食べれないからくやしい」という悔しい思いを、「どうせあれは酸っぱくておいしくないんだから。」と手が届かないものの価値を落とし、悔しい思いを自己正当化してストレス発散するらしい。だからポリアンナの「良かった探し」とは全然ちがうのだが、どちらも現実を受け入れるための処世術なのだと思う。

ポリアンナ症候群の場合、まずいパターンとしては、たとえばいつも遅刻することを上司からこっぴどく叱られるとする。その場合、ふつうのひとならかなりへこみつつ「朝起きるのが苦手だからどうしよう。。。でも早起きしなきゃ。。。」などと反省したりするところ。しかしポリアンナ症候群は「部下をあんなに怒るなんて私に期待してくれているんだ!これからもがんばろう!」などと、ズレたポイントで自己満足するらしい。
ということは。その人とはいっしょにお仕事したくないわ~!!

わたしが「少女ポリアンナ」を読んだときに抱いた違和感は、たぶん、そこ。わたしから見たら、メンタル的に異常では?と思うほどの楽観さ。片足折った人に「もう片足が折れなくて良かったね」と明るく言える、頭のねじとんでるとしか思えないそのデリカシーのなさ。
おそらく当時のわたしは、きっちりしていて根が真面目だったから、そんなふざけた理論は受け入れられんと思っていたのだと思う。

しかし、生きていれば楽しいことばかりではない。どうしても光を見出しにくい状況もある。
そんな時には「ポリアンナ症候群」に片足突っ込んでみるくらいの楽観的な面をもちたいものだ、と今のわたしならポリアンナにちょびっと賛同する。(でも、わたしが片足骨折したときに「もう片方は無事でよかったじゃん」などと声をかけられて、微笑み返すことは、まず、ムリ。)


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