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偶然見つけた面白いコーヒーカップ、からの、視力が良いという感覚の考察

「面白い」と思うのはわたしだけかもだが。

昨日昼に妹と職場近くでコーヒーを飲んだ。

わたしは若いころは友人から「マサイ族」と呼ばれるほど目が良かった。今思えば目が良かった恩恵はたくさんあると思う。

たとえば、小学校ですごく退屈な話を先生から聞かされてる最中、つまらないから周りを見渡すと、友人のものやわたしのものや、掲示物や黒板や、いろいろとよく見えるので字を読んでいたし、部屋の本の背表紙もくっきり見えるので、たぶん無意識に目にぱきっとはいるので、読んでなくてもタイトルと作者は今でも覚えている。
電車の中でも吊りの広告など、なんでも読めてたから、スマホがない時代の満員電車でぎゅうぎゅうで立ちながらでも時間つぶしはできた。
スポーツをするときでも、たとえばバスケットボールをしていたが、人の目線もよく見えるし、ボールもクリアにもちろん見えるし、今思えばそういうところでも目が悪い人より得だったと思う。

なので、今も覚えているが小学校1年のときの視力検査の時。

規定の距離からは一番上の記号も見えなくて、先生から「では一歩前に出て」と言われて、かなり近づいてかつかつ読めた目が超悪い子がいた。まあ、今思えば正しい検査方法をされてたかどうか不明だが。素人の学校担任が教室で検査していたから、明るさとかいろいろバラツキあっただろうし。とにかくわたしは一番下のちっこい記号まで楽に見えていた。

だから、「見えない」という感覚がどうしても理解できず、小学1年のわたしは、検査のあとに、目の悪いその子を捕まえて「ねえ!なんで見えないの?」とバカな質問。たぶんその子から納得いく答えは得ていない。あと、覚えているのは「どんなふうに見えないの?」だかなんだか。そして目をつぶって、こぶしで目を自分でぐりぐりおさえ、ぱっと目を開けてぼやけた視界で「こんな感じ?!!」とさらに質問。しかし納得いく回答を得られた覚えはない。その子には申し訳ないことをした。矢継ぎ早に質問をされ、挙句の果てに目の前でわたしが唐突に自分の目をぐりぐりやりだしたから困惑しただろうな。
そして、もしその子が生まれつきずっと目が悪いなら、目が良い感覚はわからないのだから、何が標準かわからないのだもの。答えようがないよね。

わたしは目がすごくよかったから、老眼の兆候も30代後半で感じた。しかし、その時は眼科に行っても、検査技師から本を手渡され、それは右の行から左の行へだんだん字が小さくなるものだったが、どこまで読めるか尋ねられた。わたしは一番小さい字の行まで読めたからそのことを告げると、検査技師さんが「え?これ、針孔だよ?」と私を疑い、「じゃあ、読んでみて」と。わたしがスラスラ読むと「ちょっと貸して!」と本を受け取り眼鏡をかけて確認し、わたしが正解だったので困惑していた。

おそらく、その検査技師さんはもともと目が良くなかったのだろう。もともと目が良かったら、そのくらい見える感覚がわかると思う。

そして、目が良かった私の考えだが、「目がいい人は老眼になるのが早い」というのは少々違うのかな、と。早く老眼になるというより、もともと目が良いと、ピントがものすごくクリアなので、少々の異常にすぐに気づくのだ。違いがわかる、って感じ。カメラのピントがほんのちょっとずれてもわかる感じ。

なので私の場合は眼科に行ったときは、私にしか感じないくらいの小さな違和感、老眼の兆候があった程度だったから、異常なしで終了した。

まあ、その後、実際老眼になったし、乱視にもなったし。乱視に関してはもともとそうだったらしいが、若いころはレンズ調整する筋肉がそれを代償してくれていたので乱視が表面化してなかっただけらしい。

人体の調整機能ってすばらしい。

というわけで、現在のわたしは見事に乱視だし老眼だから、目が悪い感覚がよくわかる。
でも乱視が出たときは老眼にもなってきてたので、近視の感覚はわからない。近寄っても見えないからね(笑)。

さて、本題のコーヒーカップだが、昨日妹とコーヒーを飲んだ時のこと。
向かいで妹が持ち上げたカップの絵が、まさに乱視の象徴!

それが、これだ ↓


これは勝手に「乱視カップ」と名付けた。

目が良かったころの私に「これが乱視の見え方だよ」と見せてあげたかった。

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