松本卓也『人はみな妄想する』読書メモ

序論

・ラカン ≒ フロイト+サルトル
 ・無意識(構造)+主体(実存)=「無意識の主体」→鑑別診断における「主体」の重視
  ・(症状の中に現れる)主体と関係する
・大文字の他者 l'Autre=自我と同じ水準には存在せず、主体とのあいだに象徴的な関係を取り結ぶ存在
 ⇔小文字の他者 l'autre=日常生活のなかで出会う他人、自我と同じ水準にいる存在

第一部

・フロイト「神経症の症状には意味がある」
 ・〃「精神病には(神経症のような)象徴的作業による媒介がない
 →ラカン「妄想は、葛藤が象徴作業による媒介をうけずにナマの形で患者に到来したもの」

50年代のラカン(シニフィアンの領域)

・神経症(抑圧)/精神病(排除)/倒錯(否認)の三つの構造には移行領域・中間形態がない
 ・症状だけでは神経症/精神病の構造を判別する根拠にはならない→象徴界を統御する〈父の名〉を排除しているかどうか
 ・〈父の名〉の排除を見きわめる方法

⑴〈父の名〉の排除の証拠となる要素現象の有無による、精神病/神経症の鑑別
⑵排除を間接的に示唆する指標であるファリック[ファルス的]な意味作用の成立の有無による、精神病/神経症の鑑別

要素現象
・要素現象は妄想における基本単位であり、要素現象と妄想のあいだにはフラクタルな関係が成立する→「精神病の構造それ自体の構造化」
 ・象徴界に属するはずのシニフィアンが現実界にあらわれる
  →(精神病では)シニフィアンが弁証法以前の「即自」として現実界にあらわれるため、その訂正を可能にさせる対立項[=シニフィアンどうしの連鎖]がそもそも存在しない
  →「確信」=「信じる」という事態の成立可能性の次元で生じている

ファリックな意味作用
・縮合/遷移(フロイト)→隠喩と換喩(ラカン)
 ・隠喩は新たな意味作用を出現させるが、換喩は新たな意味作用を出現させない
  →〈父の名〉は母の欲望に対する隠喩として介入する
  →父性隠喩によってのみ喚起される意味作用=ファリックな意味作用;精神病者にとって世界は「謎」として立ち現れる
・仮性妄想
 =象徴界の穴[禁止された領野;本来そこを埋めて周囲のシニフィアンを連鎖させるための中心的シニフィアンの欠如:p.149-150]に縁取られた不可能な対象が、不安を引き起こすファルス的なものとして受肉化され、主体を魅惑する想像的な産物としてつくりだされたもの=日中にみる悪夢

60年代のラカン(享楽・対象a)

・神経症者として構造化される二つの契機
 =疎外分離
 ・疎外:シニフィアンの構造(=大文字の他者)の導入によって原初的な享楽を失い、この消失のなかで主体が姿をあらわすこと(ゆえに人は快原理=シニフィアンのシステムに従属するようになる)
 ・分離:疎外における大文字の他者は、欠如を抱えた非一貫的な大文字の他者(Ā)であり、人はその欠如を埋めるために原初的享楽を部分的に代理する対象aを抽出し、差し出す
 →Ā+a=A
 →享楽から適切な距離を保つことを可能にするファンタスム[=フロイト的空想世界]の形成(/S ◇ a);神経症においては享楽は局在化されている
  ・精神病における享楽の脱局在化[ラカン派ターム]→その回復過程における局在化とシニフィアン化

・摂食障害(神経症)=無に対する欲望、大文字の他者を前にした、欲求に対する欲望の超越性を主張する試み

70年代のラカン(50s理論と60s理論の統合)

・ディスクールの内部と外部、ファルス関数への従属と非従属
 →内部・従属 =神経症
  外部・非従属=精神病
・神経症/精神病の構造にかかわらず、象徴体系を支えるシニフィアン(大他者の大他者)は存在しない→双方に「排除」と呼びうる象徴体系の穴がある(一般化排除©︎ミレール)
 ・父性隠喩は社会的に共有されているという点以外で「正常」であるわけではない(スクリャービン)

第二部

・エディプスコンプレクスの機能不全 ≒ 〈父の名〉の排除(=精神病)

第一章

・「防衛」のメカニズム(神経症=表象の心的加工)
 =相容れない(受け入れがたい)表象-情動への対処
 ・ヒステリー:表象の興奮→身体的なものへの「転換」
 ・強迫神経症:表象-情動の分離=「配転」

・精神病:↑の無化(=排除)
 ・表象の代わりの別の表象(妄想への逃避)
 ・の同一性(靴下と女性器の「穴」)による同一視

・欲動=心的なものと身体的なものの境界概念
 ・表象と欲動という身体的なものを心的なものに接続させる方法
・精神病では性愛がナルシシズム的段階にあるため、対象愛→転移が不可能
 ・ラカンの転移=分析家との関係で「転移のシニフィアン」が出現すること
  ・シニフィアン=他のシニフィアンに対して主体を代理表象するもの
  ・記号=誰かに対して何かを代理表象するもの
  →患者の症状は、患者に対してなんらかの意味を表しているもの[記号]から無意識の知を仮託されたなんらかのシニフィアンに対して分析主体を代理表象するもの[シニフィアン]に変わる

・ナルシシズムへの固着→自分自身への同性愛的欲望の防衛(私は彼を愛する→私は彼を愛さない=憎む→彼は私を憎む〔外的世界への投射による主客の転倒〕)崩壊していた世界の(妄想的な)回復→パラノイア
 ・(シュレーバー症例における)一次的役割は父コンプレクスであり、同性愛は二次的なものだったが、フロイトは相対的な「同性愛」をパラノイアの中核に据えた
  ・↑のフロイトの主張(パラノイアにおける同性愛)は、男女のエディプスコンプレクスの非対称性という観点から、絶対的な〈父〉に対するコンプレクスとして読み替えられるべきである(ラカンはこの線で読んだ)
・脱局在化した享楽の再局在化(ラカン)≒ 外的世界を回復する試み(フロイト)

・精神病における現実喪失:
 ・現実の否認→現実からの離反、外的世界の放棄→空想世界による現実の代替[=現実代替
 ・ラカン:(神経症の場合)現実の領野はその枠を与えている対象aの抽出によってはじめて維持される

第二章

・(精神病の)妄想の内容は生活上の葛藤を無媒介的に表現している(ラカン)
・(エメ症例から)精神病には〈法〉=〈父〉の不在があることが理解された

第三章

・55〜56年 精神病にみられるランガージュの障害
 ・精神病を⑴意味作用と⑵排除のどちらを中心として理解するか

⑴精神病発病時の謎めいた意味作用=排除された去勢の脅威が再出現した結果
⑵ある欠損したシニフィアンに決して接近できないこと(排除されたシニフィアンは再出現するわけではない)

・抑圧:去勢の脅威→f(x)→抑圧されたものの回帰(逆算=転移が可能)
 排除:去勢の脅威=現実界への再出現(逆算が不可能)
 ・排除(=精神病)において、翻訳不可能な意味作用[「困惑」]が訂正不可能なのは、その訂正を可能にさせる対立項が欠けているため→否定できないものを引き出す否定
  ・神経症/精神病の違いは、抑圧されたものの(象徴界への)回帰/排除されたものの(現実界への)再出現の違い
穴そのものはシニフィアンとしてはあらわれない→欠如したシニフィアンX(p.150)
 ・あるシニフィアンそれ自体に患者が接近するにもかかわらず、その接近が不可能である[=〈父の名〉の排除
・「かのようなパーソナリティ」と「発言すること」
 ・外的世界や自我に対する感情的関係が貧困だったり、存在しないようなパーソナリティ(他者を模倣して完全な関係であるかのようなふるまいをすること)→エディプスコンプレクス不在の想像的な代償

・第三の排除[=原抑圧©︎フロイト]
 ・「前言撤回的否定」(イポリット)=無意識への表象を否定しつつ肯定する弁証法的な否定〔これは誰かって?私の母ではありませんよ
 ・第三の排除は現実界を構成する=正常な心的システムの構造化のプロセス
 ・構成する排除(マルヴァル)
 ・原抑圧=意識から拒絶されたものが意識の外部において存続すること
  →現実界(象徴化からこぼれ落ちる外部として存続する領域)への対象aの位置づけ

第四章

・クラインへの批判:乳房は現実的な対象であり、母親は象徴的な対象であるため、両者の統合(前者から後者への移行)はありえない→この両者は同時に関係をもたれている
 ・象徴的母を動作主とする現実的対象の想像的損失 > frustration(p.176)
 →象徴的母[=現前と不在両方の性質を併せ持つ♠︎大文字の他者]を動作主[=授乳行為する者]とする現実的対象[=乳房]の想像的損失[=乳房を得られないことが想像的な愛情関係として捉えられる]

・シニフィアンの[剪定・迂回を経た]二重の要求
 1. 生物学的欲求を満たすための要求
 2. 欲求充足の特権をもつ母の現前を要請する愛の要求
 →1の多様な性的対象への欲求は2の単一的かつ無条件の要求へ質を落とされてしまう(揚棄=消去される)
 →ある対象を、「絶対にこれでなければダメ」かつ「母がこれを要求しまいが関係ない」という態度で欲望する(欲望の弁証法/絶対的条件)
 ・分析家は患者の要求を欲求不満フリュストラシオンに導くことで1と2を徹底的に分離させなければならない

・剥奪(想像的父を動作主とする象徴的対象の現実的穴)
 ・あるべき場所にない[=象徴的]ファルス
  ・象徴的=ファルスが不在であるときも「不在」という仕方で「現前」していること
  ・(女性は)不在という資格でファルスを分有している

・去勢(現実的父を動作主とする想像的対象の象徴的負債)
 ・象徴的負債=去勢の脅威(自分が想像的ファルスをもつていないこと)
 ・去勢された男性は、女性をみずからのファンタスム(/S ◇ a)の枠の中にはめ込むことでしか、その女性を性愛の対象とすることができない

・ファルス
 =陰性化できない享楽〔=セクシュアリティ〕のシニフィアン
 ・去勢を通じて、ファルスによって行なわれるセクシュアリティの規範化

・pp. 190〜200 理解できず

・母の欲望(Désir de la Mére, DM)
 =+(いた)とー(いない)の象徴的セリー
  →分節化されたシニフィアン(S)
  →その裏のシニフィエ(想像的ファルス、x)
 ・〈父の名〉=象徴的父は上記DM/xに介入することで、母の欲望を統御し、象徴界をひとつの体系システムとして安定させる機能を持つ
  ・父性隠喩の導入により、象徴界に属するあらゆるシニフィアンの意味は、究極的にはすべてファルスへ還元される
 ・〈父の名〉:母の欲望(原-象徴界)に対して法をなし、それを統御するもの
 ・ファルス[=シニフィエ=意味作用]:象徴界のシニフィアンを保証する

第五章

・ヤスパースの診断
 ・過程(精神病の経過の特徴)の証拠
 =要素的(⇔反省的)な症状
  →ラカン「過程によって、シニフィアンが現実界に解き放たれる」〔=あるシニフィアンが他のシニフィアンとの連鎖から切り離される;ひとつきりのシニフィアン
  ・あるシニフィアンS1に連鎖するはずのシニフィアンS2が来ないため、そこで代理表象されなかった主体(/S)はみずからを補完せざるをえない

・シェーマL
 ・精神病では大文字の他者(=象徴界; A)が除外されている〔=主体(S)と大文字の他者(A)との象徴的軸(S-A)が利用できない〕
 →患者本人(a)と会話相手(a')のあいだのメッセージが統御されない〔=あてこすりが生じる〕

・シェーマR
 ・精神病でも大文字の他者は除外されていない→大文字の他者の非-二重化(シニフィアンの場としての大他者が法の場としての大他者によって二重化されない)
  ・精神病者は〈父の名〉によって二重化される前の前駆的な大文字の他者に満足している〔原-象徴界に生きている〕
  ・p.243-245 理解できず

第六章

・60年代ラカンにおける、〈父の名〉の、神経症と精神病からの排除〔=シニフィアンの場としての大他者に対して法をなす大他者は存在しない; S(A)→〈父の名〉という虚構を信じるか信じないか〕
 ・父性の欺瞞(ペテン師);精神病者は大他者の非一貫性を喝破するイロニー的態度を示す

・〈物〉(=現実界の位相)
 ・乳児期の満足体験を与える「隣人」(母)の象徴化→シニフィアンへの翻訳によって無意識の層へ書き込まれ、原-象徴界を形成する
  ・〈物〉はこのとき翻訳できなかったもの=原初的な満足体験[=享楽
   ・享楽は、快原理(シニフィアンのシステム)の彼岸にあるために不快ないし苦痛としてしか引き起こされない
   ・折に触れて〈物〉は断片的に侵入してくるが、科学はこれについて何も知ろうとしない[=〈物〉の排除]→パラノイア

・対象a=〈享楽〉の残余

以下私信
・現実界と想像界の不整合(ex. ネオテニー)
 ・想像界の思うように現実界が動いてくれない(→二者間に象徴界が挿入される)
 ・サインとシグナルのちがい
  ・サイン=解釈を容れなければならない(その余地を象徴界が与える cf. 構造と力)

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