悪行のアチラ側

「世界がこんな状況なのにわたしは一体何をつまらんことをしてるんだ」
そうやって塞ぎ込んでしまうのがわたしの悪い癖

悪行が振りかざされるたび思うのは、自分だっていつアチラ側になるのか分からない。紙一重であるということだ。
戦争はいけない、人を殺すのはいけない、そんなのみんなわかってる。

「そんなのみんなわかってる」
世界にはどれだけの“そんなの”がある?
“そんなの”のうち、みんながわかってて、わたしがわかってないことはいくつある?

ワークショップを設計する際、プレイフルアプローチの対抗概念としてペインフルアプローチの名前をよくあげる。
創造的対話に向かうための対話のU理論では、対立の概念がプロセスには不可欠だとよく語る。
創造や学びには一定の痛みも必要だと言う口が、アチラ側にならない確信が果たしてどれくらい持てるだろうか。

アチラ側には行こうと思って向かうのではない、気付かないうちに足元がいつの間にかアチラ側になっているのだ。
悪行が振りかざされるたび、いつもそんなことを考えている。

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