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人生の終わり

生きている存在として避けられないもの。
死。
当たり前のことなのに、死を思ってとんでもなく怖くなったり、やたら死にたくなったり。

動物はそんなことを考えたりするのだろうか。
考えてなさそうに見えるけれど。
猫は確実に考えてなさそうだな。

海外で暮らしていると老後を不安に思うことがある。
特に私には子供がいないから、このままここで年老いて一人になって死ぬのだろうかとたまに考えても仕方のないことを考える。
でもそれは祖国にいても同じこと。
家族がいても同じこと。
 
少し前、耳が急に聞こえづらくなった時にかかりつけ医に診てもらった。
世間話をしつつ、祖国には帰っているのかと聞かれた。
たまにね、と答えると、そんなもんだよね、と。
彼には子供が二人いて、息子はカナダ、娘はノルウェーにいてそれぞれそこで自分達の生活を根付かせていてフランスに戻る気はないそうだ。
滅多に帰ってこないし電話もしてこないと少し寂しそうにしていた。
家族がいたってそんなもの。

昨年、癌を患っていた友人を亡くした。
彼女は10歳年上で、私と同じくらいの時期にフランスに来た人だ。
フランス生活に馴染むまでや馴染んでからもいろいろ分かち合ってきた。
癌を患っていると聞かされてから一年ちょっとで逝ってしまった。
今思えばもっと頻繁にお見舞いに行ってあげればよかったのだけれど、当時は自分のメンタルが落ち過ぎていて人に会う気力がなかった。
最後に会った時に、彼女が病気のせいで痩せてどんどん醜くなる自分が嫌で人に会いたくないと言っていたから会ってくれたかはわからないけど。
いつもお洒落で可愛い人だったからそのイメージを壊したくなかったのかな。

彼女がかなり進行している癌に侵されていることを打ち明けてくれた時、彼女が死んでしまうことが堪らなく怖くなった。
でも彼女が亡くなったと知った時、思った。
とても悲しくなったけれど、いなくなるだけなんだと。
生きてはもう会えないけれど、彼女の存在は私の中に確実にあるし思い出も沢山ある。
不思議な感覚だけれど、ほんの少しだけ死が怖くなくなった。
私が薄情なだけかもしれないけれど。



以前のつぶやき。
考えてみたら、これこそ理想な死に方かもしれない。
いつも通りに暮らしていて、寝てる間に死んでしまう。
一緒に暮らす人はたまったものではないだろうけれど。

死ぬ時期や死に方もある程度わかったり、決められたらいいのにと思う。
同じようなことを考えている人は沢山いるような気がする。
安楽死を認めている国もいくつかあるし、これからはそういう制度も増えたり条件も変化していきそう。

安らかに死ねる権利は魅力的だと思う。


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