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Part1 大塚が、はじめて聴覚医学会に行ったら大問題が議論されていました。#058

皆さん、日本聴覚医学会という団体をご存知でしょうか?

耳鼻咽喉科医や言語聴覚士の皆さんは知ってて当然ですが、補聴器技能者の多くは聴覚医学会についてあまり詳しく知らないと思います。

聴覚医学会の発足当初は耳鼻咽喉科医の皆さん、音響学の研究者の皆さん、そして補聴器技能者や補聴器メーカーの方、教育機関の方など、様々な方が所属して、聴覚についての研究発表が行われていたそうです。

しかし途中から「医師もしくは言語聴覚士しか所属できません」というルールになっていたので、補聴器技能者にはしばらくご縁が無い団体になっていました。

それが近年になって、再び「補聴器技能者の方もご参加いただけます」とルールが変わったのです。

補聴器技能者の方も、日本聴覚医学会が発行する論文の方はご存知かも知れません。
彼らが発行する論文はAUDIOLOGY JAPAN誌にまとめられ、J-stageというWeb上の論文データベースに無料で公開されているのです。

僕もこれまでは時々論文を読んでいるだけだったのですが、一度くらいは顔を出しておこうかな、と思い「第67回 日本聴覚医学会 総会・学術講演会」に一泊二日で参加してきました。

実際に行ってみたら聴覚医学会の学術講演では、補聴器や人工内耳を含めた聴覚についての研究結果が発表されていました。

本記事では、大塚が受講した中から面白かったモノをピックアップして、中川さんとディスカッションした内容と感想をご紹介していきたいと思います。

聴覚医学会について学会の会場で中川さんと話していたところ、聴覚医学会の歴史と裏話について等々、かなり詳しい話を聞くことができました。

日本聴覚医学会の沿革(と裏話)

『大塚さん、そもそも日本聴覚医学会という団体のことをどこまでご存知ですか?
言えない話もたくさんありますが、それはそれは、歴史もある由緒正しいオージオロジー研究者の集まりなんです。
そもそものスタートは、昭和26年です。難聴研究会として数名の耳鼻咽喉科医師の集まりから始まりました。

1985年作成のオージオロジー学会史にある「日本オージオロジー学会30年」を引用してみましょう』

第1回の難聴研究会は、昭和26年12月8日に東大で行なわれた。世話人は颯田琴次、西端驥一、大藤敏三、切替一郎、堀口申作、恩地豊、幹事は堀口申作、恩地豊、大和田健次郎、岡本途也であった。演題は14題、座長は森本正紀、高原滋夫両教授で、参加者は約40名であった。研究会の主旨として研究途上 のものを持ち寄り、相互に意見を交換し、完成に導くということで、この考えはオージオロジー学会の初期まで続いた。発表者は、謄写版を用い、ザラ紙に必要 な資料を印刷し、出席者数を想定して会場で配布した。さらに黒板を用いて説明を補うこともあった。

https://audiology-japan.jp/japan_audiological_society/outline/japan-audiology/

『発足当初の難聴研究会の中には、大和田式SPLオージメーターを発案した大和田健次郎先生の名前もあります。
大和田先生は晩年「内耳ひずみ研究会」を興され、現在もその集まりは聴覚医学会の分科会のひとつとして毎年開催されています。
また日本の補聴器の歴史を語る上で外すことのできない岡本途也先生のお名前もそこに見つけることができます。

40人で始まった小さな勉強会が、その後、日本オージオロギー学会、日本オージオロジー学会と名を変えていきながら、今の大きな組織になっていったんです。

新しい診断機器の登場によって、医療は進歩する

さてテクノロジーと医学の進歩にも目を向けてみましょう。

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