深夜の決意
決めた!今決めた!
ペンディングしている文章があるんです。フリッパーズギターのZineを読んで「ここにいた!近い!」ってことがあったので私が思っていた小沢健二についてのテキストを歌詞引用しつつ1記事は書き上げているのだけど(予定はもう1つと同時公開。2回に分けようかなと思い未着手)、どうしょもなく無粋と思ってしまって。
だってさ、そんなことわざわざ言葉にしなくても聴けば感じるだろ!って自分ツッコミのパターンに陥ってしまって。
でも今ふと久しぶりに『ヘッド博士の世界塔』を聴いて、なんなんこれ本当に最高やんって。まあ酔っているんですけどね。でもなんか、言語化する不粋も有りというかむしろ俄然やっていいでしょと思った。
語る言葉なんて持ってやしないのにどんどん言葉が溢れる感じ。大事なことは何ひとつ言ってなくても、喋り過ぎて口の中もカラカラだけど、それでも素直に喋る!って思った(ヘッド博士聴きながら恋とマシンガン思い出すんかい)
ちなみに書き上げた1記事目は、夫に「難しい」と言われてしまった。確かに前提条件の書籍が未読の人には伝わらないかも。平易に要約すると、それ故に伝わらないってある。本来文字数多くなければ伝わらないことなんだから当たり前で。かと言って長いのも…
でも最低限付け加えねばと思ったのは人物概要。「まずそれ誰?ってなるよ」と言われて、いやほんとその通り!って。図らずも編集さんにチェックして貰ったみたくなった。
私の元夫は漫画家だったので少々知っているのだけど、編集さんってやっぱすごいんですよね。相性もあるけれど、個人の力量にも差がある。売れてくるとヒット作を担当してきた編集さんに変わったりとかあって、段違いにすごかったことがあった。自分だけでは気づかない点を指摘してくれる他者の視点ってすごくクリティカルなことあるし、それが造詣深い人だったら尚更。
えーっと何の話だったっけ?あ、小沢健二テキスト!そうだ、ひとつ前の記事もだけど、私は詩心がないのがコンプレックスなんです。叙情的な文章が書けない。すぐ論文みたくなる。できないことを悩んでも仕方ないしどうにもしようがないから私は私のまま進むけど。
あ。あとひとつ摂食障害と消費社会について思い出したんだった。あえて追記はしなかった。
岡崎京子は94年のインタビューで自作『ひまわり』について以下のように語っている。
「最後のページのゲ◯のとこが気に入ってます。やっぱ、これからはゲ◯ですよ、ゲ◯。飽食の時代のトレンドはゲ◯ですよ。うんこはもう、アウト」
『リバーズ・エッジ』には過食嘔吐をしながらモデルをするこずえが登場する。連載は93年〜94年。
『ひまわり』の初出は93年(『エンド・オブ・ザ・ワールド』収録)
岡崎京子が消費社会をテーマに描き続けていたことは語るまでもない。
なんだろね、ほんと答えが出ないんです。岡崎京子はどんなこと考えてたのかな。インタビューでの言い草なんて、それこそフリッパーズの2人みたく、何も本当のこと言ってないでしょ?
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