見出し画像

プリミティブな感性

耳鼻科に行った。安定の外耳炎(今年初)

待合室で小学生姉弟がずっとグリンピースしてた。「グリンピース!グリングリン パリン」というあのワードとメロディを久しぶりに聞いて郷愁に駆られた。キャッキャと声を上げて時に身体を捩り、笑いながら興じるとても可愛らしい様子なのに、微笑ましく眩しくは感じなかった。むしろ胸苦しく切ない気分。グリンピースじゃちっとも楽しめなくなって久しい自分を思ってしまって。

いないいないばあなんかも、小さな子供は全身で楽しさを示す。目をキラキラさせて声を上げて笑う。何度繰り返しても笑う。グリンピースの姉弟も、既にいないいないばあでは楽しめないだろう。

大人は中毒患者のようなものかもと思う。そんなんじゃ楽しめない、もっと楽しいのを!もっと強いのを!と。それは成長でもあることは分かっている。様々な経験を経た大人だから面白いと感じる、子供にはちっとも楽しめないものは世の中にたくさんある。目が肥えていないと魅力が理解できない作品も多い。だけどそれでも思ってしまう。いないいないばあやグリンピースで楽しめる感性の豊かさを。
面白いもの、素敵なものを日夜求める私は好奇心旺盛で良いのかもしれないが、もっと効くドラッグを、もっともっとと落窪んだ目で求めるジャンキーのようでもあるのではないかと。

深い感慨をくれる文化(作品)に異論なんてない。そんな体験を求めている。一方で、ただ咄嗟に笑ってしまうとか、漠然と美しいと感じるものの強さを改めて思った。相手がひょんなことで発した一言や表情に意味もなく爆笑してしまうとか、空や道端の花に魅せられるとか。意味を乗り越えて揺さぶってくるプリミティブな強さ。
「書を捨てよ、町へ出よう」ということだ。
春だ。世界の美しさを享受しに、プリミティブな感性を養いに、お出かけしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?