殺すことでしか生きられないぼくら

 ある日友達の家に遊びに行ったとき、アマゾンプライムか何かで映画見ようという話になりました。で、適当に選んだ得体の知れないドキュメンタリーを見ることになりました。

 山に住んでいるおじさんの話。猟銃をたくさん持っていて、それで動物を自らの手で殺し、肉を食べる。毛皮を売りに出すことで生計を立てる。
 わ、このおじさん、すげえ。なんですげえと思ったかって話を今からします。

 みなさん生きてれば何度か考えると思うんです、植物とか動物の命をいただいて生きているということ。小学校でも習いますよね、「いただきます」って言って食べるのは、生き物への感謝と作ってくれた人への感謝をするためですよと。
 さらに、動物を殺す工場の映像を授業で見ることもありますよね。私は小学校のとき見た気がします。鶏の首を切り落としていく映像だったような。

 そうするとありがたいという気持ちと別に、可哀想、申し訳ないという感情が湧き上がってくる人もいる。動物にも植物にも。まあ私ももやもやしてたんですよ。動物可哀想だなとか思うときもありました。でも、命をいただかないと私たちは生きられない。いや、人間だけじゃなく動物は全てそう。みんな命をもらって生きている。これは当たり前のこと。でも、なんか人間だけ特別っぽいのはなんでだろうな、、、

 そんなときにそのドキュメンタリーを見てはっとしました。そうか、人間界は分業そしてシステムが発達した結果、生き物を殺すことを自分の手で下さずして生きていける人がほとんどであるのか。そこが他の動物との大きな差であると気づきました。
 その点このおじさんはすごい。生き物を殺して生きるという、本来自分の手で行うべきことをしている。原始人や他の動物と同じように。

 まあ私は山で暮らせませんし、この現代のシステムをしっかり享受して生きていきますけどね。ただ、生きるために動物を殺すことを穢らわしいと思ったり言ったりする人いますけど、それがどれだけ愚かなことかと思います。平和ボケしてるんだろうと思います。もっと言うと、人間は動物とは違うとどこかで思ってるんだと思います。

 これに関連して、さっきちょっと色々検索していたらこんなものを見つけました。
https://www.city.meguro.tokyo.jp/smph/gyosei/jinken/jinken/keihatsu/shokuniku/syokuinkarahitokoto.html
 悲しくなりました。私たちに代わって殺して私たちを生かしてくれている食肉市場に、差別はがきがたくさん送られているなんて知りませんでした。お肉の情報館に足を運んでみたいと思います。

 魚釣りとか山菜採りとか潮干狩りとか、いいですよね。自分に技術がなくてもできるように整備されているところもありますから、それをありがたく利用して、自分で採った命をいただきたいものです。

 ここでタイトルに戻ります。急にすみません。"殺すことでしか生きられないぼくら"。これはきのこ帝国の夜鷹という曲の歌詞です。生きることに真摯に向き合っているから書ける歌詞だと思います。私たちは、殺すことでしか生きられないということに、自分で折り合いをつけて、生きていかなければならないと思います。

 誤解を生まないように書いておきますが、遺伝子組み換えとか実験台になる動物とか、そういうものについては言及していません。そのへんも話せたら良いのですが、勉強不足で適当なこと言えないです。

 終わりです。この内容は当たり前のことしか言ってないかもしれないし不快な内容かもしれないし全然わかりません。何か思っていることを形にしようと思って書いてみました。読んでいただけたら、そしてさらに何か感じてくだされば嬉しいです!