働く=団結
物心ついた時から実家は商売をしていたので働く=団結が当たり前だと思っていた。
第2次世界大戦後、祖母や曾祖母が上海から引き揚げてきた。
曾祖母たちは、なぜ身寄りもない田舎に来たのか今となっては聞くこともできない事が後悔の一つになっている。
頼れる親戚もいないこの地で生きていくには相当、苦労したと想像できる。
曾祖母は曽祖父の介護や子供たちを育てるだけで精一杯で、働き頭は長女であった祖母が担っていた。
近所の和菓子屋さんで家族の為に必死に働いた。
早く店主のように和菓子を作る職人になりたいと店主の技を目で盗み店が終わった後に残った材料で思い出しながら練習したそうだ。
もともと手先が器用だった祖母はみるみるのめりこんでいった。
そんな店主には子供がおらず、引退するころにはそのまま、店を譲り受けることになり祖母は奮闘した。
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私が物心ついた時には、祖母が社長で祖父がサポート、母、叔父が店を切り盛りして家族で店を支えていた。
朝から晩まで「はたらく」ことが目の前で繰り広げられている環境で育った私は
はたらく=家族団結
同じ目標を持った同志で役割分担し日々の作業に打ち込む傍ら新しい商品開発の為に何度も意見を出し合い、商品の改良を重ねてようやくみんなの自信をもって世の中に出せるものができた時のみんなで食べるご飯はほんとにみんなが満足そうな笑顔でおいしいお酒を飲んでいた。
そんな家族=仕事を見て育った私はそれが当たり前だと思っていたが世の中に出てみるとそんな働き方がほんとに少なく愕然としたものでした。
就職したらそこには団結があり、みんなで作っていき、やりがいも見出せるものだと思って何となく募集のあった会社に入った。
期待に胸を膨らませ、仕事に打ち込んでいった…。
日々の忙しさに考える時間もなく会社と自宅の往復で半年たち、1年が来ようとした時にふと我に返った。
私の「やりがい」
私の「団結」
私の「目指す先」
この会社に私の思いが1つとしてないことに気づいた。
さて、そこに気づいたのはいいが・・・・
祖母のような器用さも繊細さも持ち合わせていない私にとって
どこを目指していけばいいのか全く分からなくなってしまった。
自分は何がしたいのかを模索することにしたのはいいが、会社を辞めて仕切りなおす事も出来たけど、先の不安や無収入からの出発する勇気もなく会社に残りながら考えることにした。
自分探しの旅に出ると今まで見ていた会社の風景も仕事も人間関係も全く別の世界に見えてきた。
今までそんなに自分というものに向き合ってきたことが無かったけど、よく観察してみると今まで気づかなかった自分自身の新しい発見が楽しくてウキウキする自分がいた。
職場でも不思議なもので同じ仕事なのに、今まで退屈に思っていた仕事もやりがいなど無いと思っていた仕事も楽しいと思える仕事になっていた。
そして今は・・・・・
その会社で取締役という立場になっている。
はたらく=団結
はたらく=自分自身
はたらく=人生そのもの
何もとりえのない私がここまでこれたのもはたらくということがあったからこそだと思う。
この会社で中身が変わったのではなく視点を変えただけでこんなにも人生が変わってしまうのかと一番自分が驚いている。
なかなかいい人生だったと思える人生にできたのではないかと思う。
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