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習い事と、あの日のわたし

珍しくね、やってみたいことができた。
このままならない状況でも
なんとかできないかと本気で悩み始めている。

でもそれをどうしても
夫に打ち明けることが出来なくて
なんでこんなに勇気がいるものなのかと
情けなくなりかけたけど
ふと昔の自分と繋がったので書き残しておくことにする。


わたしの小さな頃…
友達がピアノを習っていて、
楽しそうだなーやってみたいなーって
たまにぼんやり思いながら生きていた。
ただ、そこまで大きな衝動や熱意があったわけでもなく
どうやったらそこにたどり着けるのかも知らなかった。


父はわたしの話を聞かない男だ。
昭和の頑固親父、と形容していいのだろうか。
娘が自分に意見する、ましてや自分の意に沿わないことなど
全くもって言語道断とでも言いたげな有様だ。
わたしは幼いながらに
彼に対してはある種諦めのような気持ちを仄かに抱いていた。


母は人並みにわたしの話を聞いてはくれた。
ただ、寄り添うとか共感するというようでもなかったのと
なんだかんだで父には逆らえない人なのとで
当時の不器用にすぎるわたしは
彼女とあまり合わないような感じもしていた。


小学生の頃、母の勧めで習字教室へ通っていた。
「私は字が汚くて苦労したから」というのが彼女の言い分だった。
幸いなことに、あの静かに集中して字を書く一時がわたしには合っていたようで
嫌がることもなく毎週通っていたものだった。


数年経って、4年生か5年生の時だったかな。
ある日何の前触れもなく母は言った。
「他に何かやってみたいこととか習いたいものとかあったら教えてね」と。

なんで言ったのかはわからない。
他のお母さん達とそんな話にでもなったのだろうか。


ふと、小さな頃の思いが頭に浮かんだけれど
当時父の転勤で何度も転校している状況や
家庭の金銭的事情をほんのりと察し
母に言ったところで父に反対されるのが目に見えることから
口にも出さずに諦めてしまった。


それからもう20年以上経つ。
今頃になって新しく習いたいことが出来てわかったのは
あの日の悲しさはまだ
わたしの心の隅にひっそりと根を下ろしていた、ということ。


ひとり静かに泣きながら、この文章にもなりきれないものを打っている。
でも、よかった。
気がつくことができて。



夫は大変に優しく、
そして妻であるわたしに大変甘い人である。
おそらくは希望を伝えたところで強く反対されることもないだろう。

理性でそれだけわかっていても、
今日はどうしても言えなかった。


明日は打ち明けてみようかな。
この長い話も、一緒に添えて。


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