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親を見て看取り、そこから得られたこと①

死に向かう母に対して、寄り添いに苦慮したことを、
前回につらつらと書きました。
とかく「母親と長女」は確執があると言います。
ヤマアラシのジレンマとでもいうこともあります。

1)親子は鏡
きっと似ているんだと思います。
母は、私の鏡なんです。
母の気難しいところは、私にもあるのです。
そう自覚させられました。
ずっと寄り添うことが苦しければ、苦しいほどに
そこにいるのは自分なんだと感じました。
余命わずかしかない母にそんなことを感じていたのです。

2)死ということ
今、大抵の人(8割と言われています)は、
病院で亡くなるそうです。
最後まで、チューブに繋がれ、点滴を受け続けるということは
最善の医療なのだとずっと思ってきました。

でも、実はそうでは無いということを知ったのは、
僧侶であり、看護師でもある玉置妙優さんの著書を読んだ時でした。
人は、死に進むに従って、体の中の水分を綺麗に外に出して
カラカラの状態で綺麗に亡くなるのだそうです。
それが、一番自然で苦しくないのだそうです。

反対に、点滴をひたすら受け続けることは、
溺れるような苦しみがあると知りました。

我が母は、亡くなる前々日から急に尿量が増え始めました。
皮内注射の際も、水分がないために皮が硬くなってきていました。
そして、寒がりにもかかわらず、大量の汗をかいていたのです。

ひたすら汗を拭き、嚥下困難を起こさないように
ガーゼに水を含ませて、口だけでも乾かないようにとして
いました。(無意識に)

のちにこれで良かったとわかり、
本人にはわからなくても
少しの孝行ができたのだと自分を受け入れようとしました。


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