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聖書読みましょ♪第74回 お金に罪はないけれど、お金をほしがる心には要注意ですって


メシア・イエス・キリストの生涯56回
  「山上の垂訓 神への献身 前半」

           マタイの福音書第6章19節~34節

こんにちは!まいむまむです。
聖書は、ちょっと読んでみたいけれど、どこから読んだらよいのやらと悩んでおられる方!
昔若いころ、聖書を読んだことがあるけれど、なんかしんどくてずーっと開けてなくて、開けるきっかけが欲しい方!わかりますよー!

そんなとき、わたくしは、「ハーベスト・タイム・メッセージステーション」というyoutubeチャンネルの中川健一先生の講義「メシアの生涯」に出会いました。

このnoteは、その講義をもとに、4福音書を絨毯爆撃で、端から読んでいこうというチャレンジです。
興味のある方は、ぜひぜひ、先生の講義を直にお聞きになってくださいね!

引用している聖書は「新改訳2017」版です。

また、参考文献は「新実用聖書注解」になります。

本日の音楽はこれ!

【チック・コリア - スペイン | 2台ピアノ】場内唖然からスタンディングオベーションへ by 中村天平 & Oleg Polyanskiy inウクライナ

もう、これは、すごすぎのライブ映像です!!!
まいむまむ激推しの中村天平さんとこれまたすごいテクニシャンのオレグ・ポリャンスキーさんの2台ピアノによる、チックコリアの「スペイン」であります!!!

オレグ・ポリャンスキー

オレグさんは、生粋のクラシックの人だと思っていたのですが、こんなバリバリのジャズを弾けるんだーっとびっくりです。

ところで、この会場は、ハリコフのシンフォニーホールです。

このホールも今や、いったいどうなっているのでしょう。
こうして、コンサートやライブを楽しめるというのは、どれだけ有難く貴重なものであるか、痛切に思います。
どうぞ、皆様も、戦争終結をお祈りくださいませ。
そして、日本の平和が守られますようにお祈りしましょう。


さて、イエス様の「山上の垂訓」も後半戦に入ります。

イエス様は、当時のユダヤ人に対して、モーセの律法の意図を解説し、
パリサイ人による「口伝律法」を否定するためにこのメッセージを語られました。

今回の箇所は、非常に現代的な意味をもっていて、
わたしたちの日々の悩みに適用できるものとなっています。

Ⅰお金について マタイの福音書6章19節~24節

・マタイの福音書6章19節~21節
自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。
自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。
あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。

①    ユダヤ的背景について
 ユダヤ教では、物質的豊かさは、神様の祝福を受けていることの証拠とされたようです。
彼らは、「神は、愛する者を富ませる」と教えていたようです。
とすれば、神様に愛されている人であると、
人々に評価してもらうために、パリサイ人たちは、蓄財に励むことになります。
発想がすごく独特ですね。

②    裕福なユダヤ人たちの財産管理法について
とにかく、盗人に盗まれないようにすることが肝要でした。

そのためには、
 ・両替人に投資すること
・神殿に預けること(盗人といえど、ちょっと盗みにくいから)
・地下に埋めたり、洞窟にかくしたりすること
この場合、イエス様の仰るように、豪華な衣服にも虫がつきますし、金属には錆が浮きます。

  ③    天に宝を蓄えるとは 
このように、地上に財を蓄えても、それは、一時的なものです。
心配も大きいですね。メンテナンスも大変です。
 
それに対して、天に蓄えられた宝は永遠です。 

 では、天に宝を蓄えるには、どうすればよいでしょうか。

中川先生によると、
天に宝を蓄える
とは、永遠に価値あることのために、才能、時間、金などを用いること
とだそうです。

天に宝があれば、わたしたちの心のありかも変わるということです。
心のありかが、地上から天に移動することになります。

では、心のありかが天にあるとどういう効果があるか。

中川先生は、バランスの取れた人生観をもつことができ、物に対する執着も、将来への不安もなくなると説明されています。

この不安な世界において、これは、すごく重要なことかもしれませんね。

・マタイの福音書6章22節~23節
からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、
目が悪ければ全身が暗くなります。ですから、もしあなたのうちにある光が闇なら、その闇はどれほどでしょうか。

この部分は、ちょっとなんだか変な文章ではありませんか。
目が明かりって?なんだろうと思われませんか。ウルトラマンみたいに目が光るのかな?とか・・・

ここの部分も当時のユダヤ人の考え方を知る必要があります。

当時のユダヤ人は、サーチライトのように目から光が出て、ものが見えるようになると考えていたようです。🙄
つまり、目がランプの働きをしていると考えていたのです。

一方、目から光が入るので、ものが見えるという考え方もありました。
これは、現代の考え方と同じです。

「目が健やかなら」とは、King James Version (KJV)キングジェイムズバージョン(欽定版)では、
「if therefore thine eye be single,」と訳されています。

「single」とは、一つ目小僧と言う意味ではなく、
一つだけ見ている、すなわち天だけ見つめている状態だそうです。
心が天にある、すなわち神様だけ見ていれば、全身明るいということです。

一方、「目が悪ければ」は英語で「 But if thine eye be evil」
「evil」まさに「邪悪」ということですね。
 
目が不純なものを見ている、
すなわち心が地上にしばられていると全身が暗くなるということです。
 
宝、すなわちお金に対して正しい視点をもたなければ、
その人の人生は暗い闇になるよと、イエス様は仰っています。

・マタイの福音書6章24節
だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。

「富」はアラム語で「マモン」と言います。

イーヴリン・ド・モーガン画「マモン崇拝」

 この絵のとおり、「マモン」は偶像とされています。

ギリシア語では、「マモナウス」といいます。
元の意味は、「自信」「確信」であり、英語の「confidence」です。
 
お金持ちには自信があります。
この自信の源は、「マモン」という偶像であるというのです。

ここで問うべきは、
「私は物質に仕えているのか、神に仕えているのか」ということだそうです。
 
佐藤優さんが、コラムで書かれていましたが、
「なぜ、お金を欲しいのか?」それはお金が欲しいからである、
だそうですよ。
なんだか変な論理ですよね。でも、これは真理なのです。

お金をほしいと思う心は、ほかの物質を欲しいと思うこととは、
全く異なるものなのです。

たとえば、特上のお寿司を食べさせてもらえると言われたらうれしいですよね。

でも、365日毎日朝昼晩食べさせてあげると言われたらどうしますか?
「いらない」と思いませんか。

どんなに好きなものでも、そんなにたくさんいらないのです。
ところが、お金は、違いますよね。
貰えるならいくらでも貰いたいですよね。

このように、他の物質とお金とは、何かが本質的に違うのです。
 
ですから、お金に対しては、わたしたちはすごく警戒すべきなのかもしれません。

お祈りします。
在天の父なる神様
わたしたちは、何に従って生きるべきなのか
考えるチャンスを与えてくださり感謝します。
神様のことを考えないと、マモンに従って生きてしまうことになります。
どうか神様に従うよう、私たちを導いてください。
救い主イエス・キリストのお名前によってお祈りします。
アーメン
 
次回は、私たちの思い煩いに対してイエス様が処方箋をくださいますよ!
 
 
「山上の垂訓 神への献身について」
 「メシア・イエス・キリストの生涯」第56回後半
マタイの福音書第6章19節~34節 
シャローム!!!

本日のおすすめ

先ほど申し上げた佐藤優さんのコラムはこちら。

実は有料記事なのです。
すみません。
でも、佐藤優さんの連載はどれも、非常に読みごたえあがあります。
おすすめいたします。