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聖書読みましょ♪Re-Collection 第72回 イエス様は、人を束縛するルールを否定しましたよ


メシア・イエス・キリストの生涯38回
  「断食論争」(後半)
・マルコの福音書第2章18節~22節 
・マタイの福音書9章14節~17節 
・ルカの福音書第5章33節~39節


こんにちは!まいむまむです。
イエス様の生涯について4福音書を並べて、時系列順に読んでいます。
毎回申し上げますが、わたくしは、
「ハーベスト・タイム・メッセージステーション」というyoutubeチャンネルの中川健一先生の講義「メシアの生涯」にそって読んでいきます。

興味のある方は、ぜひぜひ、先生の講義を直にお聞きになってくださいね!
引用している聖書は「新改訳2017」版です。

また、参考文献は新実用聖書注解になります。

本日のご紹介はこちらです。

悲しみの神-proserpina- cokiba

先日開催された「JAZZ-FUSION SUMMIT 2024」に出演されていた
スペシャルユニット「cokiba」をご紹介します。
このユニットは、アコーディオン奏者「coba」さんと
フラメンコギターの名手「沖 仁」さんがメンバーです。

全体的に電気がかったフュージョン色の強いバンドが多い中で、
この「cokiba」は アコースティックで、とても繊細で、
しかしフラメンコギターの荒々しさもあり、非常に印象に残りました。
サポートで参加されたパーカッションの仙波清彦さんもかっこよかったです。

あたり~!のバンドです。

ぜひ、単独ライブでたっぷり楽しみたいバンドです💙

🎸 🪗 🥁 🎸 🪗 🥁 🎸 🪗 🥁 🎸 🪗 🥁 🎸 🪗 

さて、聖書をお読みいたしましょ♪

前半では、なぜ、ユダヤの宗教指導者は、
イエス様にイラつくのかということを理解するために、
彼らにとっての律法について、予備知識を勉強いたしました。

日本人にとって、なかなか馴染みの薄い分野ですが、
この知識を共有できれば、
イエス様と聖書を理解する助けになると思います


Ⅰ 断食に関する質問 ●ルカの福音書第5章33節 

*ルカの福音書 5章33節
33 また彼らはイエスに言った。「ヨハネの弟子たちはよく断食をし、祈りをしています。パリサイ人の弟子たちも同じです。ところが、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています。」

同じことがマルコの福音書にも書かれています。

*マルコの福音書2章18節
18 さて、ヨハネの弟子たちとパリサイ人たちは、断食をしていた。そこで、人々はイエスのもとに来て言った。「ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちは断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか。」


さて、またまた聖書ミニ知識~♪👏👏👏👏👏👏👏👏

断食とはなんぞや。何のためにやるのでしょうか?

まいむまむも、ファスティング、ダイエットの一環で、
やったことがありますよ。そっちじゃないのね。今回の話は、

よくイスラムの人々が、ラマダン月に断食をすると聞きますよね。

断食の目的については、諸宗教様々で、コトバンクにも詳しく書かれています。

ちなみに、旧約聖書の規定する断食は、
年にたった1日、贖罪の日(ヨムキプールの日)
だけです。

ヨムキプルの日の様子です。みんなちょっと暗いね。
そりゃそうか。おなかすいてるもんね。

現代でも、この日はほとんどのイスラエルの国民は、断食するようです。

飲食をせず、祈りに集中すべき日なのですね。

こういう日が年に1日くらいあるのも、
心身ともに益なのかもしれません。


さて、聖書の規定する断食は年に1日だけですが、
これも、他の規定同様、だんだん増えていきます。

バビロン捕囚の後は、自発的に年4回の断食が加わりました。

イエス様の時代にになると、
パリサイ人たちは、週に2回!!!断食をしました。

年100回越えますね!

パリサイ人の断食は、水も飲まないタイプの断食で、
月曜と木曜に断食をしました。

そして、ラビ(先生)は、
弟子たちがちゃんと断食をしているかどうか、
見張る義務があったようです。

マタイの家で宴会があったのは、
恐らくは、そのヨムキプル以外の断食の日であったと思われます。

真面目なバプテスマのヨハネの弟子たちとパリサイ人は
きまりを守って、断食をしていたのでしょう。

それなのに、イエス様の一行は、
罪人たち(きれいなお姉さん方もいっぱい)と一緒に
どんちゃん楽しく食べたり飲んだりしていたわけです。

イエス様も、断食なんかせず、一緒に楽しんでいたと思われます。

口伝律法を大切に守っているパリサイ人からすると、
断食日に先生自ら、宴会に参加するなんて、もう、ありえない!
と思ったのですね。


Ⅱ 4つのたとえ話による回答 ルカの福音書第5章34節~39節 

*ルカの福音書5章34節~35節 (花婿の友人のたとえ)
34 イエスは彼らに言われた。「花婿が一緒にいるのに、花婿に付き添う友人たちに断食させることが、あなたがたにできますか。
35 しかし、やがて時が来て、花婿が取り去られたら、その日には彼らは断食します。」

いきなり、花婿と付き添いの友人が出てきて、ちょっととまどいますね。
ここで、もうひとつ、ユダヤの婚礼の予備知識。

ユダヤの婚礼は7日間ぶっ通しで続く宴会でした。

その間は、さすがのユダヤ教でも
断食、喪に服する行為、重労働などは、禁止されたそうです。

婚礼は、ごちそうにあずかるために行くのであって、
断食するためではないからです。

そして、ここで言う花婿はイエス様のこと。
弟子たちは付き添う友人たち
です。

イエス様は断食をしないと主張しているわけではなく、
今は、花婿がいる婚礼のときだから断食しないが、
いなくなれば断食するよ、と仰っています。

ここに、十字架の預言がさりげなくされています。

*ルカの福音書5章 36節 (新しい着物と古い着物のたとえ)
36 イエスはまた一つのたとえを彼らに話された。「だれも、新しい衣(ころも)から布切れを引き裂いて、古い衣に継ぎを当てたりはしません。そんなことをすれば、その新しい衣を裂くことになり、新しい衣もから取った布切れも古い衣には合いません。

現代の布は、洗濯してもあまり縮んだりしませんが、
昔の布は、洗うと縮むものでした。

ですから、新しい布で継ぎを当てると、洗うと縮んでしまい、
せっかく継ぎを当てた古い着物もダメになってしまうのです。

布切れをとった新しい着物も、
継ぎを当てた古い着物も共倒れになってしますわけです。

*ルカの福音書5章 37節~38節 (古いぶどう酒のたとえ)
37 まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れたりはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を裂き、ぶどう酒が流れ出て、皮袋もだめになります。
38 新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れなければなりません。

当時は、ぶどう酒は皮袋に入れて、
ロバやらくだに乗せて運んだようです。

皮袋です!今でも使うんですね!
この皮袋かなり年季が入ってますね。

このたとえの解釈はいろいろあるようですが、

古い皮袋は長く使用されて、伸び切っているので、
そこに新しいぶどう酒を入れたら、
発酵力が強くて、皮袋が破裂するんだよということのようです。

新し皮袋なら、弾力性に富むので、
持ちこたえることができるんだよという意味かと思われます。

*ルカの福音書5章 39節 (古いぶどう酒のたとえ)
39 まただれも、古いぶどう酒を飲んでから、新しい物を望みはしません。『古いものが良い』といいます。」

ここで、ん?となるところですが、
38節のたとえとは、別物です。

まず、ぶどう酒は、古いものほど良い味があるとされていますね。

ボジョレーヌーボーみたいなのは例外で、
もっぱら、何年物とか言って、古いものが珍重されたりしますよね。

ここでの「古いぶどう酒」はなにをたとえているのかといいうことですが、2つの解釈が可能とされています。

「古いぶどう酒」はパリサイ的ユダヤ教、すなわち口伝律法を指すとする解釈です。

パリサイ人たちは、パリサイ的ユダヤ教を好み、
「新しいぶどう酒」であるイエス様の新しい教えを拒否するとする解釈ですね。

② もう一つは、「古いぶどう酒」
モーセの律法を正しく解釈するユダヤ教のことであると考える解釈です。

その場合は、新しいぶどう酒「パリサイ的ユダヤ教」の方になりまいす。

イエス様が大切にする聖書の教えは、
モーセの律法を正しく解釈するユダヤ教であり、
「古いぶどう酒」=良いぶどう酒ということになります。
弟子たちは、古い良い味のぶどう酒を味わっている最中なのだよということになります。

良い味のぶどう酒を味わっている弟子たちに、
新しいぶどう酒を強いてはいけないんじゃないの?!ということになりますね。

多分②かな。(諸説あります)

これらの4つのたとえでは、
イエス様の教えとパリサイ的ユダヤ教の関係を論じたものなのですね。

両方を合体させたり、調和させたりすることは、
不可能なのだよとイエス様は仰るのです。

まとめますと、

花婿はイエス様のことであり、
メシアが到来した今こそ婚礼(祝い)のときである。
だから断食しなくていよい。

イエス様の教えは、新しい着物なので、
古いパリサイ的ユダヤ教の布で繕いをすることは、無理なのだよ。

イエス様の教えは、新しいぶどう酒ですから、
古い皮袋であるパリサイ的ユダヤ教の中には収まりきらないのだよ。

イエス様の教えは、美味しい古いぶどう酒でもあるよ。
イエス様は本来のモーセの律法を成就するために来られたのだよ。


イエス様のたとえは、当時のユダヤの文化に基づいたものなので、
そのまま理解するのは、難しい点もありますが、
イエス様の仰りたいことが
少しはおわかりいただけましたでしょうか。

しかし、生活に根付いたたとえですよねー。
当時の人々には、すぐにピン!ときたのではないでしょうか。

こうして、イエス様は、パリサイ人たちに、
ご自身の行動について説明されました。

が、この次は、またまた、イエス様の奇跡と律法の論争が起こりますよ。

ほんま難儀やわあ。

お祈りします。

天のお父様。
イエス様が本来あるべき律法の姿を説明してくれています。
救いはユダヤから始められたので、日本人にはわかりにくい点がたくさんあります。
どうか、この遠く離れた日本でもイエス様の存在が理解されますように。
御子なるイエス様のお名前でお祈りします。
アーメン

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次回は、

「メシア・イエス・キリストの生涯」第39回
「ベデスダの池での癒し(1)」
ヨハネの福音書第5章1節~18節 

シャローム!!!