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板橋区・見廻り隊2(松月院)

 千葉氏一族は跡目争いから下総千葉氏と武蔵千葉氏に分裂します。武蔵千葉氏の居城だった赤塚山から千葉自胤(しらたね)一族の眠る松月院を訪ねました。
 曹洞宗宝持寺松月院は、古寺の宝持寺を1492年に松月院と改名しました。寺院の左手前には、一族の象徴である形の良い槇の木があります。松月院の院紋は、下総の真向月紋を使わず左月紋を使っていす。 
 院内を進むと、「次郎物語」で有名な佐賀県出身の作家・下村湖人のお墓があります。佐賀鍋島藩は九州千葉氏の拠点。江藤新平で通した平胤雄は、その九州千葉氏の末裔です。
 板橋赤塚山から中山道、足立、練馬に掛けて一族家臣団の名が残っています。板橋、大宮、豊島、大田道灌、上杉、古河公房などの関わる歴史が生まれました。
「塚一つ松一つなりほととぎす」・正岡子規
「ほととぎす声待ちかねてついにまた 月をも恨む人心かな」・江藤新平

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