動物と挽き立てコーヒーのある朝

目が覚めたときが私の朝

前の記事にも書いたが、私は何時に起きると決めていない。

ここ最近は夜11時頃には寝てしまい、空がしらむ頃何となく目が覚める。
飼い猫が3匹おり、朝ご飯をせがまれて起きることもある。
しばらく布団の中で夢を反芻し、気が乗れば軽く瞑想してみる。
起きて鶏に餌をやった後、井戸水でコーヒーが自家製ハーブティーを淹れる。
カップを持って外に出て、朝日を眺めたり空気を吸ったりする。

朝の空気は本当に美味しい。
私の後を追って猫がやってくるので、お散歩するときもある。

この贅沢な時間は何にも代えがたい。
心身共に健康になるのが分かる。乾いた水に綺麗な水が染み渡るような感覚だ。
こうした朝を迎えていたら、ガンを始めとする病気とも無縁でいられる気がする。

通勤ラッシュを12年間体験して出した結論

私の通勤ラッシュ体験はかなり濃い。というのもそれは6歳から始まっているからだ。
何の因果か自宅からかなり遠い私立学校へ小中高と通うことになってしまった。小学校から私立というと、想像力にない人には優雅に思われることが多い。送迎などなく、私は自力で何度も電車とバスを乗り換えて行かなければならなかったので、優雅とはほど遠い。

朝まだ暗いうちに起き、身体が目覚める前に朝ご飯を口に運び、制服に着替えて決まったバスに乗る。バス⇒電車⇒電車⇒バスと乗り換えるのだが、ほぼ全てが満員である。
人生で最も嫌な時間だった。

臭いおじさんや精神的に不安定そうな人(独り言を言っていたり)とも身体を密着させて時間を過ごさなければならない。子供だからと言って気遣ってくれる大人は皆無で、それどころかあやとりしてるだけで激怒する輩もいる。電車内にストレスが満ち満ちているので、出来るだけ無感覚でいることに集中しなければならない。

中学2年生になった頃、私は毎朝あと何年通勤ラッシュに乗る羽目になるか数えるようになった。高校卒業までの5年と、大学を卒業して会社勤めをして定年するまで40年(その頃は60歳が定年)。45年間毎朝乗り続けると思うと今すぐ死にたくなってきた。今日乗るだけでもこれほど嫌なのに、45年間なんて無理だ。一緒に電車に乗ってる大人のように、鈍くてストレスだらけの人間になることが簡単に予想できた。

母に通学や学校が嫌だと言っても、耳を貸さなかった。
「誰もが羨む学校に行ってるんだから文句言うんじゃない!」と怒られるだけ。
どんなに羨まれても、自分が幸せじゃないなら意味ないよなと感じたが、面倒なので彼女には伝えなかった。

どうにかして通勤ラッシュに乗らない方法はないかと思い、自分の人生からサラリーマンになる選択は除外した。


TIME IS LIFE

時間は人生そのもの。
私自身の時間を乱暴に使おうとする人やシステムとはどんどん離れている。
時間を虐げてお金を稼いでも、結局それを浪費したり他人を粗末にすることになる。

私は10代のとき、花を綺麗だと思うことが無かった。
とにかく煙草が美味しかった。いつもいらいらしていた。
聞いている音楽もノイズがかかったものやポストパンクのような無機質なものばかり。それらが私にとってリアリティがあったからだ。

通勤ラッシュに乗らないために大企業の社員にはならず、近場でバイトばかりしていたので両親は激怒していたが、それで良かった。

アジアや中米の田舎を旅したりパーマカルチャー畑に通ったりしているうちに、なんだか煙草が不味くなってきた。
煙草を吸うと不安になる。おまけに寝起きも最悪だ。
いつの間にか吸わなくなった。
無機質なパンクも好きだが、民族音楽やレゲエにも呼応するようになった。
どちらもレベルミュージックであることは共通している。
花や虫を愛らしいを感じるようになり、育てるようになった。
動物は子供の頃からずっと好きだったのでそれは変わらない。
鶏と猫がいる朝。に加えて犬や家畜も欲しいがそれはタイミングに任せたい。

良質な朝時間を持つと浪費が減る。収入が減ってでも獲得すべきだと思う。










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