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雑音

ツイッターに何かを書き込むのが、人の目がやっぱり気になってしまって、怖くなってきたので、散文としてここに置いておきます。(それでもまだ、この独り言が人の目には触れてほしいとか、自分を理解しようとしていてほしいとか、そういう欲があるのが自分でもよくわからないんだけども)

何も考えず事実について話したくて
体のせいでいろんなことが受け付けなくなっていて、いつもなら流し見できるクソみたいなツイッターのレトリック芸とか、コンテンツに深くハマった幸せそうなオタクとか、いろんなものに縋り付いているようなVtuberとか、何につけても知ったような口をきく奴とか、女性アスリートの性的なところを切り抜いてるアカウントとか、定期的に過剰に自虐して見せる奴とか、もう気持ち悪くなってしまって、好きな人のツイート、それも三人とかそれくらい、しか見たくなくなってしまって、でも上記のような欲は未だにあって、だからこうしているんだけど
こうして書いている間も、自分が人を酷く見下しつつ、その癖とても稚拙な文章を書いていることに怯えてる

共感が嫌い
共感はあくまでも自分のコントロール下に置いた道具として使いたい
関係の強弱って人と共感しあえる部分がどれだけ多いかで決まると思う。言い換えたら、どれだけ同じ話ができるかとか、または、どれだけ話しやすいか。共感は作れる。そして利用できる。ただ、相手の欲しい反応を予想して返すだけ。それだけで相手には好意と安心が生まれる。私の母は私にそういう話し方を求めた。共感を利用することで関係を築いた友人もいる。誰でもやっていること、という言葉は何にもならない。私はただ、共感の利用を絶対的な(×相対的な)卑劣さだと思う。感情をジャックしている気になる。
作品でも同じだ。こういう要素を盛り込めば、こういう感情になる。これが感動を生む、みたいな。何をやってるんだろうと思う。感情の自慰?人々は感情の誘導がわかりやすいものにはヘイトを向けるくせして、ちょっと構造が複雑になると途端に評価は一変する。盛り込んだ感情の要素の数とか質感とか、そういうものを評価しているのかな 共感させる技術への評価?
かくいう私もちゃんと泣いてしまうしちゃんと自分を投影してしまう。歌でも、作品でもそうだ ラブソングに恋人を投影して浸って馬鹿みたい、気持ち悪い 恋人まで自分の都合で消費するなよ 自分に引き寄せて、言語化や具現化を他者に頼って、消費して 何を、しているんだろう
私は自分で共感を作ってみせるのが嫌い。卑劣だから。だけど、共感は心地良い。そういうものを求めてしまうのはほとんど性に近いと思う。だから作る。作るのにも技術と労力がいる。答えを外してはいけない 共感で積み上げた関係は崩れやすい
だから勉強する、寄せる。私が一番話しやすい人であるように、一番うまく共感してあげられるように。そうすれば、その間はそばにいてもらえる。そういう方法でしか私は他人が自分といるメリットを作り出せない。たとえ、その方法を今更やめたところで、それ以外何も残らない。

ただ、私はその音楽が好きではない。その文章に全然納得できないし、そのキャラクターの良さもわからない。あなたが好きなほど私はあなたの好きなもの好きになれない。
そういうことが言い出せない孤独
多様性の受容なんて、共通項を取り除いた後に残るものがしっかりとあって、それが受け入れやすい場合にしか成り立たない。そういう孤独

私の家系はなんだか気持ち悪いぐらいストイックだ。だから私もそれで苦しくなることはあれど、ストイックである状態は落ち着く。意識高いと言われようと、そうしているのが落ち着く。逆にそれ以外の方法では落ち着けない。それはもう、どうしようもない。そういう自分がいくらメタに見て気持ち悪くてヘイト買ったって、それを否定したところで何にもならない。今、体がうまく動かなくて、どうすれば落ち着けるのか私にはまだわからない。

こういう少しのズレを正直に話して、好きな人との距離が離れるくらいなら、黙ってあなたの望むように そこで行われていることがグロテスクだと理解しながら

家族のこと、許せないのが苦しい
辛かったこと苦しいことが家庭周りに起因しているのは確か
だけど、母も父も親切にしてくれる時間が増えてきた。それは、私と親の距離があいたからかもしれないけど、それでも今までの事を取り返すように親切にしてくれている。そういうことを、否定し続けるのが辛い。私が他の人との関係を築くために(共感のために)家族へのヘイトを話した経験があるのは事実で、でもそのたびに、実際にはあったはずの楽しかった時間を塗りつぶして話していることに罪悪感を強く覚えていた。私はもしかするとコンテンツとして家族仲を消費しているんじゃないかとか。そろそろちゃんと見つめたい、正直になりたい。

すごく疲れた、歩いていられるのも大切な人がくれる給水ポイントのおかげ
変化がない人間は飽きられる いつまでも病んでて次第に皆いなくなる
そうなる前に頑張って、ビックリマークを沢山つけたプラスチックの返信を沢山送る

全部壊して、肉片にして、明日なんて来なくても全然構わないと思いながら、それでも洋楽のきれいな愛をうたうコーラスに大泣きしながら、丁寧に自分を自分の手で葬ってあげたいと、最大の自己愛を持って、そうやって一日をまた積み上げる


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