若さゆえ


(2018年9月30日)

生きてるだけでいっぱいいっぱい。

子供のくせに、じゃなくて 子供だからこそ、だと思います。うんうん、分かるよ。覚えてるよ。

子供はまだ自分の周りの世界も小さいし経験値も少ないし理不尽なことやこわいことが、大人よりもずっとずっと多いということを、大人になってもずっと覚えていようと思っていました。

この気持ち、分かります。



↓下から上は見えないけど、上から下は丸見えっていうダニング・クルーガー的な話。
(2019年4月24日)

子供って、自分の知っている事に絶対的な自信を持っていることがありますよね。

そして経験値1とか2の段階での非常に限られた選択肢で出来るか出来ないか、という判断をするので非常に自信を持って出来る出来ないとか言う訳ですよ。(人にもよります)

経験値の多い大人から見ると、その浅さが丸見えで、子供が大人に対して傲慢な物言いを平気で出来たりするのもむしろ微笑ましく眺めていたりする事がよくあって、それはまるで世界の果てまで来たと思った孫悟空が「ここまで来たぞ孫悟空」と自信満々に書いたのがお釈迦様の指だった、みたいな感じ。

それって、大人の世界でも同じだよなと思います。物を知らない人ほど自信満々になれる。経験値が高い人から見たらその滑稽さは丸見えで、ああ、自分も気を付けないとなあと自分の子供の(私に対する)尊大な態度を見ながら思う次第です。

まだまだ丸見えだよ、息子😅

大人になって思うのは、多分私もずっと周りの大人に温かい目で見られていたんだろうなあということ(もしかすると今も)。若者というか馬鹿者でした。自分のことです。

まあ私の場合は本当に物を知らないし門外漢という開き直りもあって堂々とうんちく語ったりしがちなので、自覚がある分よりタチが悪いかもしれません。



↓根拠の無い正義感とか万能感みたいなのって、若者の特権ですね。
(2019年10月19日)
「普通」とか「常識」っていうことを、何の疑問もなく普通に使っていますが、何なのでしょうね。

自分も、たかだか半世紀ちょいの"自分だけの"浅い経験と感覚しか根拠がないのに、つい普通〜とか言っちゃう。

よく真実という言葉も簡単に使われていますが、真実だって100人いれば100人それぞれにとっての真(当人にとって本当だという感覚)の出来事があって、その前提となる「事象の定義」が全く異なってバラバラなのに議論したり。

ネットの世界というのは、70歳も10歳もお互いのバックグラウンドも経験も全く抜きにして同じ場で交流する極めて特殊な環境で、面白いなあと思います。

子供は経験値が浅いのに黙っとれとかそういうんじゃなくて、みんなそれぞれの立場で思うことを言っていいと思います。ただし、良識、礼節をわきまえて。

自分の子供の頃をふりかえると、本当に穴掘って潜りたいくらい無知で大馬鹿者のくせに大人は何も知らないと思ってたのですよ。働き始めた頃も。うわー恥ずかしい。

あの当時の周りの大人たちは、そういうの全部分かってて見守っていてくれたんだなあと思います。きっと自分達も若者だった頃通ってきた道だから。でもほんと申し訳ない。

年寄りは黙っとれという若い方々、年寄りって若者が思ってるほど馬鹿じゃないし案外フレキシブルかもしんないですよ。

そんなにフレキシブルじゃない年寄りも、幅広い年齢層のネット社会で若い人たちの感覚に触れることで、凝り固まった老兵(私)の頭も柔らかくなりますね。

面白い時代に生まれてよかった。



(2020年12月28日)
【故きを温ね新しきを知る】

どの時代においても、やはりこれは大切なことだと思います。

若い世代は何でもかんでも古い世代を否定しがちですが、その若い世代が歳を取り現役の若い世代に煙たがられ否定される年代になった頃、やはり若さゆえの愚かさというものを痛感するわけですよ。

やってみて初めて理解出来ることがある。見えてくる浅さがある。

そこを、とりあえずは踏襲した上で改善なりを加えて変えてゆくことが、たった寿命100年足らずの人間の、しかも現代に於いては20代が社会の中枢のような扱いになってしまっている社会において進歩成長する最短距離なのではないかと思います。

年寄りは黙れという今の風潮は、退行・衰退への道のように見えます。

知恵の蓄積を軽んじる社会は、文明だって育たないし破滅するんじゃないかな。

若い世代が考えて主張するのはすばらしいことですが、それを活かすためには、ちゃんと見守りつつも道を示すことの出来る成熟した大人が必要で、若い世代もまた、先達に対する敬意を持つのは大切だと思います。

(勿論年寄りの幼児化も問題ですよ。まずは大人がちゃんとした大人にならなくちゃね。)

そういう子供を育てるには、自分が自分が!というのが多い今の時代は難しいことが多いです。親がまず、自分の子供にしっかりと他を敬う心・公共心・道徳心などを『見せる』ことが出来るのか。

自分はその点、ダメだなあと反省しきりなのですが。

難しいですね。(本音ポロリ)

中2で起業の慶応ガールの記事に関してつらつらと考えていたことです。
↓これ

彼女のように非常に若くして経済力社会を変える力を得た人は、もしかすると凡人とは違う何かがあると思うのでその限りではないかもしれませんが、今あるものを踏襲するというプロセスは踏んだ方がいいんじゃないかなあと老婆心ながら思います。

色々とすっ飛ばしちゃったら、「自分が何を知らないのか知らない」ってなっちゃわないのかな。

まあ、聡明な方みたいなのでその辺りもちゃんと分かった上かもしれませんね。決めつけちゃダメですね。



(2021年5月15日)
これ。

もう同意だらけです。自分が書いたのかと思った。

小さい頃から理不尽だらけで大人へのなんで?どうして?だらけ、大人になってから逆に若者へのなんで?どうして?だらけだった経験が有り余るほどあるので、両方の気持ちがよ〜く分かります。歩み寄りはお互いにまず人間としての敬意が無いと難しいですね。

こういう問題は平安時代あたりでも既にあったそうなので、形は変われどずっと続くのでしょう。まあそれが人間。

ただ、終わりに近付くにつれて思うのは、やっぱり繋いでゆかないとってこと。

たったの50年かそこらで築いた経験値って全然大したことないですよ。

こんなに短い寿命の人間が進歩進化してゆくためには、やはり先人の積み上げたものをまず踏襲した上で、時代に合わせて細かいところはどんどん修正してゆけばいいだけで。

自分が正しい自分のやり方が、と我ばっかり出して、嫌なことは全てキャンセルしても成長は無いよねと思います。

先人が一段一段積み上げた階段を、それは古い道だからと全部取り壊してまた一から積み上げる、みたいなことを繰り返してるのと同じで、それじゃあ登れませんよって話ですよね。そこにある階段をとりあえず登って、そこからまた修復するなり素材を変えて積み上げるなり新しい階段を継ぎ足してゆかないと。

若者はいつの時代も年寄りを否定したいというのは、自分も通って来た道なので本当によく分かります。ただそれじゃあ人間は種として退化する一方だよねって思います。

今自分の置かれている現場で最大出力しようと出来る人はどんな場所でもやってゆける力が付くと思います。

BBAのたわごとです。

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